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#1528 その三十は、傷をおった翌日の十兵衛の様子から……

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

今日から「その三十」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

其三十

十兵衛傷を負ふて帰つたる翌朝、平生[イツモ]の如く夙[ト]く起き出づればお浪驚いて急にとゞめ、まあ滅相な、緩[ユル]りと臥[ヤス]むでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなつたら何となさる、どうか臥[ヤス]むで居て下され、

『五重塔』は1891(明治24)11月から連載されますが、その二年前の1889(明治22)年、遠いベルリンの地で、北里柴三郎(1853-1931)がコッホ研究所において、破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、翌年の1890(明治23)年には破傷風菌の毒素に対する抗体を発見します。

お湯ももう直[ジキ]沸[ワ]きませうほどに含嗽[ウガイ]手水[チョウズ]も其所[ソコ]で妾[ワタシ]が為[サ]せてあげませう、と破土竃[ヤブレベッツイ]にかけたる羽虧[ハカ]け釜[ガマ]の下焚きつけながら気を揉んで云へど、一向平気の十兵衞笑つて、病人あしらひにされるまでの事はない、手拭だけを絞つて貰へば顔も一人で洗ふたが好い気持ぢや、と箍[タガ]の緩[ユル]みし小盥[コダライ]に自ら水を汲み取りて、別段悩める容態[ヨウス]も無く平日[フダン]の如く振舞へば、お浪は呆れ且つ案ずるに、のつそり少しも頓着せず朝食[アサメシ]終[シマ]ふて立上り、突然[イキナリ]衣物[キモノ]を脱ぎ捨てゝ股引[マタヒキ]腹掛[ハラカケ]着[ツケ]にかゝるを、飛んでも無い事何処[ドコ]へ行かるゝ、

破土竃とは、ひび割れた土のかまど、羽虧け釜とは、端の欠けた釜のことです。

何程仕事の大事[ダイジ]ぢやとて昨日の今日は疵口[キズグチ]の合ひもすまいし痛みも去るまじ、泰然[ジッ]として居よ身体[カラダ]を使ふな、仔細は無けれど治癒[ナオ]るまでは万般[ヨロズ]要慎[ツツシミ]第一と云はれた御医者様の言葉さへあるに、無理圧[ムリオシ]して感応寺に行かるゝ心か、強過ぎる、仮令[タトイ]行つたとて働きはなるまじ、行かいでも誰が咎めう、行かで済まぬと思はるゝなら妾[ワタシ]が一寸[チョト]一ト走り、お上人様の御目にかゝつて三日四日の養生を直々[ジキジキ]に願ふて来ましよ、御慈悲深いお上人様の御承知なされぬ気遣ひない、かならず大切[ダイジ]にせい軽挙[カルハズミ]すなと仰[オッシ]やるは知れた事、さあ此衣[コレ]を着て家[ウチ]に引籠[ヒッコ]み、せめて疵口[クチ]の悉皆[スッカリ]密着[クッツ]くまで沈静[オチツイ]て居て下され、と只管[ヒタスラ]とゞめ宥[ナダ]め慰め、脱ぎしをとつて復[マタ]被[キ]すれば、余計な世話を焼かずとよし、腹掛着せい、これは要らぬ、と利く右の手にて撥[ハ]ね退[ノ]くる。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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