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#1252 後編第二十一章は、お才が山瀬の罠にはまったところから……

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

今日から「後編その二十一」に入ります!それでは早速読んでいきましょう!

(二十一)染井の寮(下)
お才は慄然[ギョット]して、扨[サテ]は露[アラ]はれたるかと思へど、わざと落着[オチツ]きて、まづ初春[ハツハル]の御慶[ギョケイ]から、旧冬[キュウトウ]の無沙汰の挨拶まで式[カタ]の如く、何に驚きたる気色[ケシキ]も見せず、余五郎の来[コ]ぬことは洞察[ミヌ]きながら、御前[ゴゼン]は何方[イズレ]にと尋ぬれば、山瀬はくつ/\と笑ひ出し、家暮[ヤボ]な、それほどの事が知れぬかと衝返[ツキカエ]せば、お才はいはる〻ま〻の家暮[ヤボ]になりて、卜者[ウラナイシャ]ではないものを、其様[ソノヨウ]な事が私[ワタシ]に知れますものぞ。貴下[アナタ]が御前[ゴゼン]の御名代[ゴミョウダイ]とならば、御用の次第を聞かせたまへと畏[カシコ]まれば、山瀬はいよ/\笑[ワライ]て、金仏[カナブツ]の口頭[クチノハタ]に餡[アン]を塗りつけても、知らぬ顔では通らぬ理[ワケ]。かの一件が又[マタ]破裂[バレ]たぞ、と会釈無しに言飛[イイト]ばされ、余人[ヨニン]ならぬ山瀬には、お才も冷たき汗を掻きて黙然[モクネン]として俯向[ウツム]けば、山瀬は力を入れたる声にて、それほどに彼男[アノオトコ]が好[イイ]かな、と呆[アキ]れて感心さる〻にいとヾ赤面[セキメン]して、此間[コノアイダ]の御心切[ゴシンセツ]を無にするではなけれども、腐れ縁の二度の不埒、貴下[アナタ]には面目[メンボク]もござんせぬ、と萎[シオ]れてぞゐたりける。
山瀬へは兎も角も、御前[ゴゼン]へ面目無しとは思はずか。其方[ソナタ]を御前[ゴゼン]の落籍[ヒカ]されしも、始めをいへば好[ス]かれぬ男の無理取[ムリドリ]と、それに免じて一度の浮気は辛抱せられしは、中本[チュウホン]にでもありさうな粋[スイ]な処置[サバキ]。

美濃紙の長辺を二つ折りにした大きさの本(300mm×210mm)を美濃本といいます。半紙の長辺を二つ折りにした大きさの本(250mm×170mm)を半紙本といいます。さらに美濃本を半分にした大きさの本を中本[チュウホン]、半紙本を半分にした大きさの本を小本[コホン]といいます。滑稽本や人情本などは中本で刊行されたところから、「中本」は滑稽本・人情本の異称としても用いられます。

其方[ソナタ]も諸訳[ショワケ]を知らぬ娘にはあらず、其処[ソコ]を買ふ肚[ハラ]の無くては協[カナ]はぬに、否[イヤ]な男を甘く見過ぎて、好[スイ]た男に実過[ジツス]ぎた仕方は、余りといへば義理を余所[ヨソ]にして、念の入りたる蹂躙[フミツケ]にし様[ヨウ]。それでは仏[ホトケ]でも堪忍したまふまじ。
思へばよし無き媒妁[ナコウド]を頼まれて、去年は野暮な意見番、今日は時次郎に憎まれさうな役廻[ヤクマワリ]、女の前で酒飲めば、意気な言[コト]の一つ二つはいうて見たき男なれど、これも君の厳命[ゲンメイ]是非無く、ちと誰やらに説法じみて気が退[ヒ]けれど、上意[ジョウイ]を承[ウ]けて如件[クダンノゴトシ]。

「時次郎」は、初代鶴賀若狭掾[ワカサノジョウ](1717-1786)の浄瑠璃『明烏夢泡雪[アケガラスユメノアワユキ]』の主人公です。1769(明和6)年に江戸三河島で実際に起きた心中事件を題材にしたもので、1851(嘉永4)年2月には、江戸市村座の忠臣蔵八段目のあとに清元の『明烏花濡衣[アケガラスハナノヌレギヌ]』を地にして舞台化されました。吉原の遊女・浦里になじんだ時次郎は借金を重ねてまで店に隠れて忍び逢いますが、やり手が浦里を連れ出し、時次郎は店の若い者に引き出され打ち叩かれます。雪の中、時次郎と別れろと浦里は折檻されます。その後ふたりは隙をみて、禿[カムロ]のみどり(実はふたりの間の娘)とともに逃げるという話です。

お才は徐[シズカ]に面[オモテ]を擡[ア]げ、おほせらるゝ一々心[ムネ]に徹[コタ]へて、身の不埒は今更言解[イイト]くべき様[ヨウ]もなし。向後[キョウコウ]心を悛[アラタ]めむと、二度までいはむも冗[クド]ければ、御前[ゴゼン]の思召[オボシメ]すまゝに此[コノ]身をいかやうとも遊[アソバ]さるべし。昔ならば首は無き女ぞ、と色[イロ]稍[ヤヤ]蒼ざめたれど声朗[ホガラカ]に、少しも悪びれず。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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