#1296 これにて『三人妻』読了だぁ!
さて……去年の7月から読んでいた尾崎紅葉の『三人妻』もいよいよ今日で最終回です!
余五郎の死後、3人の妾たちはどうなったのか……それでは早速読んでいきましょう!
紅梅は素六のもとに戻ったんですね。女神の石像とは、かつて余五郎が素六に送った水神の大理石の像のことでしょうね。詳しくは#1144を参照してください。
お才はやはり菊住とよりを戻したんですね。「放生会」とは、供養のために捕らえた魚や鳥などを池や野に放してやる法会のことです。
というところで、これにて『三人妻』完結です!
さて……尾崎紅葉は1891(明治24)年から1892(明治25)年にかけて雑誌『都の花』にて『二人女房』を連載しますが、この小説の中編から言文一致体を試みています。『都の花』といえば、山田美妙と絶縁するきっかけとなった雑誌ですが、美妙が主筆を勤めていたのは1890(明治23)年まで……。美妙に恨みはあれど、雑誌に恨みはなしということで連載を許可したのでしょうか……。しかも、このとき紅葉は、二葉亭四迷の「だ」調、山田美妙の「です」調に対して、「である」調に挑戦しています。しかし、紅葉の「である」調の言文一致体の完成を見ると評価されているのは、1896(明治29)年から読売新聞に連載された『多情多恨』であるといわれています。ということで、明日から『多情多恨』を読んでみようと思っていたのですが……ここで、ふと、気になったのが……この頃、幸田露伴は何をしていたんだろう、ということでして……
そこで、ジグザグした動きになってしまうのですが、今度は、幸田露伴に移って「紅露時代」を眺めてみようと思うのですが……
それに関しては、また明日、近代でお会いしましょう!
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