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#589 年の瀬は、みんな浮き足立っているのに…

それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

第九回は、浅草の年の暮れの様子から始まります。歳の市も、蕎麦屋も、子供も、せわしない様を見せています。

おのづから物事がそは/\として落付[オチツ]かぬありさま、下手にたとへれば市中[シチュウ]が残らず空中に浮島[ウキシマ]となッて居るのです。やゝ冷[サ]めた洋服熱[ヨウフクネツ]には活返[イキカエ]ッた鼈甲屋[ベッコウヤ]の槌[ツチ]の音﹆ます/\多くなる新年宴会の貸席[カシセキ]の用意にハ障子や襖をつくろふために待合[マチアイ]や料理屋へ通勤をはじめる経師屋[キョウジヤ]の師弟。

経師屋は、襖や屏風の張り替えを職業とする人です。

切地[キレジ]がまだ染まらぬかとの矢の催促にハ紺屋[コンヤ]も明後日[アサッテ]の卸売[オロシウリ]をはじめ﹆今日頼む、あした直[スグ]にこしらへろとの名刺の註文[チュウモン]には活版屋[カッパンヤ]も挨拶に当惑して活字と共に腕を組んで居ます。

「紺屋の明後日」とは、紺屋は仕事が天候に支配されるので、染物の仕上げが遅れがちで、客の催促に対して、いつも「あさって」と言い抜けて当てにならないことから、 転じて、約束の期限があてにならないことを言います。

赤大根[アカダイコン]を引抜[ヒキヌ]いて居る植木屋、黒豆を仕入れて居る煮豆屋、景物[ケイブツ]の略歴を刷[ス]らせて居る貸本屋、門松の仲買[ナカガイ]で頭を張る際物師[キワモノシ]、顔を合はせさへすれば酒席[シュセキ]で春衣[ハルギ]を披露し合ッて居る芸者ども、やうやくトランプの俄修業[ニワカシュギョウ]が卒業にならうとして居る令嬢たち、すべて何処やら浮立[ウキタ]ッて居ます。

際物師とは、一時的に世間にもてはやされる物を作ったり売ったりする人のことです。

トランプは、世界的には「プレイングカード」と呼ばれ、本来はブリッジというゲームの「切り札」を意味する呼び名なのですが、明治の人々が、カードそのものをトランプだと思い込んだため、日本独自の呼び名で定着したといわれています。ブリッジは欧米では「社交上必須のたしなみ」と呼ばれているので、上記の令嬢たちは、ブリッジのルールを勉強していたのかもしれませんね。ちなみに、日本初のトランプ製造に着手したのは任天堂の創業者である山内房治郎(1859-1940)で、1902(明治35)年のことです。

其処[ソコ]へ至ッてハたゞ書生、なるほど春の支度も多少は有りませう。しかし、学校も早[ハヤ]休暇に近くなッて教師も次第になまけて来ますから既に十分の課業[カギョウ]はほとんど無いくらゐで、そのためには教はる生徒の方もよほど閑暇[ヒマ]になッて、之を他[ホカ]の腮[アゴ]に齷齪[アクセク]して居る連中に比べて見れば忙[イソ]がしさの度[ド]ハ決して比較には為[ナ]りません。

「ほかの腮に齷齪」は、食べることにせかせかしているという意味です。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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