見出し画像

#597 よく注意して軽率な事はしない方がいいよ!

それでは今日も山田美妙の『花ぐるま』を読んでいきたいと思います。

第十回は、お梅さんが梅の枝を持って、兄であり力造さんの学校の教師である杉田素清の家を訪ねるところから始まります。お梅さんが、杉田先生に「来間力造という人をご存知?」と尋ねます。

素清は些[スコ]しも擬議[ギギ]しません﹆
「来間、あゝ東洋法律学校に居るさ」。
「あの本当に?嘘でしやう」。

この「嘘でしょう?」という言い方も、いつから使われているのか気になっていたんですけど、明治時代から使われているんですね。

「何、嘘なものかね、本当さ。私犯法を今私[ワタシ]が教へて居るさ」。
「なンでも鋭い顔のやうな?」
「左様々々[ソウソウ]そンなだ」。
十分に正鵠[マト]はつきましたが、しかしそれからそれが車を挽く顚末[テンマツ]を語ッても、何故[ナゼ]だか兄妹[キョウダイ]二人とも仔細[シサイ]がわかりません。「一派[イッパ]かはッた人間だから或[アルイ]はそンな事をも為[ス]るか知らんが、併[シカ]し何[ド]うも」…
目的[メザ]す遠山[トオヤマ]は雲か陸[クガ]かほとんど曖昧です。
が、一[ヒト]ツ曖昧で無いといふことは阿梅[オウメ]の心が何処[ドコ]と無く力造を奇[キ]とした事実で、軽卒[ケイソツ]ながらも多分今の処「珍らしい人だ」とは思ッて来ました。雑誌へ書入[カキイ]れてあッた文句が可[カ]なり見識を持ッて居たこと、それです、それが阿梅の心を広く領して居ます。けれど是[コレ]は阿梅の胸の内だけです。兄はそれとも知りませんから来間力造のことは太[タイ]して心にも注[ト]めず、この頃[ゴロ]の阿梅の身に付いて居る一大事[イチダイジ]に話を移掛[ウツシカ]けました、
「牛込へ行ッた時の事は昨日阿母[オッカ]さんから聞いたけれど、無理だねエ年寄[トシヨリ]も、いくら美佐雄[ミサオ]が自分たちによく見えたッて仕様が無いぢやア無いか、肝心の本人の気に入らんければ」。

美佐雄は、お梅さんのお見合い相手ですね。

挨拶を求める体[テイ]で暫時[ザンジ]言葉を中絶させましたが、しかし相手は口無しの山吹[ヤマブキ]、実[ミ]も香[カ]もありません。

無言の「口無し」と、植物の「梔子」を掛けているわけですね。八重山吹は、種子が出来ない園芸品種です。

「御前が異論を言ふのも至当[シトウ]な話さ、それだから。わるい智慧[チエ]を附けるのぢや無いけれど、そも/\是[コレ]は一生の固めだから能[ヨ]く注意して軽卒[ケイソツ]なことを為[シ]ない方がいゝよ。就[ツイ]ては此間[コナイダ]柳橋であッた宴会の時ね、あの時美佐雄について聞込[キキコ]んだことも有るのだ」。
「あの美佐雄さんの?」蘇[ヨミガエ]ッた様な調子です。
「けれどまだ確かで無いなら口外は出来ない。が、蛇の道は蛇、そンな事に掛けては是でも新聞記者をして居る甲斐[カイ]には直[スグ]に探れるさ」。
新聞記者?それで教師。なるほど当世流行の其[ソノ]一ツ。それで洋行がへりで御化粧が上手[ジョウズ]で…想像[オモイヤ]られます、その蛇の路[ミチ]の道中記[ドウチュウキ]が。柳橋の宴会とはそも/\どんな仔細でしやう?

というところで、第十回が終了します!

第十回も短かったですね。

さっそく第十一回へと移りたいのですが…

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?