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#1268 紅梅を頼みに思う危うさは、火を風下に避けるに似たり

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

紅梅は興津から帰ってきて、お艶を訪ねると、余五郎と日光に行っていることに呆れますが、飛んで火に入る夏の虫。これがお艶の運の尽き、お麻を焚きつけるには誂え向き。翌日、何気ないふりして本家へ行き、お艶のことを報告すると、お艶にしては出来過ぎたとお麻は笑いますが、紅梅は、お艶様も余りなお方とムッとします。興津から東京まで迎えを出したのに、ひとの親切を無にして、義理を知らぬ我儘な!日光へ行ったのは、こっちが迎えを出した翌日、息子の病気が一夜で回復するだろうか!回復したとて、日光まで出られるのなら、なぜ興津に来なかったのか!私への見てくれか、奥様への面当てか!たとえ余五郎から行こうと言われたとて、興津から呼ばれた話をすれば、余五郎とてイヤとは言えない、日光行きはお艶様から言い出した……と、ここですかさずお麻が……

もういやるな。何処[ドコ]へ行[ユ]かうと銘々の好々[スキズキ]、否[イヤ]なものを無理に興津に来てもらうて、後[アト]で彼此[カレコレ]愚痴をいはれうより、好[スイ]た処へお伴[トモ]して喜ばるれば、伴[ツ]れて行[ユ]きたる効[カイ]のあるというもの。お艶はお艶、和女[ソナタ]は和女[ソナタ]、何[ドウ]せうとも構はぬが可[ヨイ]と、語気[コトバ]和[ヤワラ]かに、心に稜[カド]も立たぬやうには見ゆれど、今度は薬の利[キ]いたやうの加減と、紅梅は肚裏[ココロノウチ]に雀躍[コオドリ]して、手始めの此[コノ]峠[トウゲ]一つ越してから、後[アト]は車の坂落[サカオト]し、手を着けずとも思ふ坪[ツボ]に落ちてゆくは知れた事。これからは又[マタ]精々[セイゼイ]お麻の気に障る資料[タネ]をこしらへて、絶えず突撞[ツツ]かば、其内[ソノウチ]には堪忍袋も孔[アナ]あきて破るべし。為[シ]すましたりと、思ふを色にも表[アラワ]さで、お言葉はお道理なれど、それでは済まぬはずの人情、と仍[ナオ]心解[ココロト]けざらむごとく、お麻の分までも引承[ヒキウ]けて、独りくど/\呟きぬ。
お艶は留守に紅梅の訪ねて来[キタ]りしと聞くより、互ひに積る話ある身の会ひたさに、帰りし次日[ツギノヒ]深川へ訪ねかへせば、お麻の前に出[イ]づる紅梅とは、宛然[サナガラ]別人の応待[シナシ]、演劇[シバイ]する気でゐたらば訳は無かるべし。
案の定興津から迎ひを出されしは、十分苛[サイナ]まむ奥方の肚[ハラ]なりしを、お心着[ココロヅ]け申しておいたばかりに、お出[イデ]の無かりしは何より重畳[チョウジョウ]。お辰[タツ]お縫[ヌイ]などといふ御側[オソバ]去らずの侍婢[オンナ]たちに、何やら言含[イイフク]めて手筈[テハズ]までせられし様子に、余所[ヨソ]ながら恐ろしく、真箇[ホンニ]危[アヤウ]いことでござりました、と根拠[アテコト]も無い事を恩に被[キ]せて嬉しがらせ、御前[ゴゼン]と日光御見物[ゴケンブツ]の事も、奥方は夢にも御存じ無ければ、いよ/\貴嬢[アナタ]のお仕合[シアワ]せ。かういふ事は御前[ゴゼン]の奥方へ、一々お話ある例[タメシ]なければ、知るゝ気遣ひはござりませぬ、と散々訐[ダマ]して後[アト]は、海と山との土産話[ミヤゲバナシ]を交換[トリカ]へて、睦[ムツ]ましう笑ひ興じ、なほ末[スエ]は皆[ミナ]仇[アダ]となる深切[シンセツ]を尽[ツク]して、お艶を当座に歓[ヨロコ]ばせ、挙句はお麻の肚[ハラ]黒きことを虚談[ツクリバナシ]して聞かせければ、お艶は一々信[マコト]にして、末[スエ]をおもへば身の措所[オキドコロ]あるまじく怖[オソ]れて、何分[ナニブン]にも紅梅を頼みに思ふ危[アヤウ]さは、火を風下[カザシモ]に避[サ]くるにも似たらむかし。

というところで、「後編その二十七」が終了します!

さっそく「後編その二十八」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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