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#1005 一晩の宿泊を願いに来た行脚の比丘尼

それでは今日も尾崎紅葉の『二人比丘尼色懺悔』を読んでいきたいと思います。

谷陰にひっそりと佇む庵……茅葺は黒ずみ、壁は破れ、竹縁は踏み抜けそうです。ここには暦日がなく、昼は木を伐る音に暮れ、夜は猿の声に更けます。そんな庵に……誰かが訪れます。

何処[イズコ]よりか来たる法衣[ホウエ]の人。塗笠[ヌリガサ]目深く冠[カブ]りて。門[カド]に立休[タチヤス]らひ ⦅頼む⦆と音なふは女の声。鉦[カネ]の音[ネ]絶[タエ]て。障子の外に現はれしも法體[ホッタイ]の女。鼠木綿の布子[ヌノコ]に黒染の腰法衣[コシゴロモ]。頭巾着たるが門外[オモテ]を窺ひ。
⦅何御用で御坐ります⦆
⦅行脚の比丘尼で御坐りますが。慣れぬ山路[ヤマジ]に迷ひまして難義を致します。御無心ながら一夜の宿りを願ひたく。御看経[ゴカンキン]のお邪魔を致しました⦆ 寒気に慄[オノノ]く声
⦅御覧の通りの茅屋[アバラヤ]。夜の物とて御坐りませんが。お厭[イト]ひなくばさア……さアおは入[イリ]遊ばしまし⦆
客の比丘尼は凍[コオ]る手のもどかしく。笠の紐とく/\椽[エン]に立寄り。草鞋とつて主人[アルジ]が勧むる微温湯[ヌルマユ]に足を濯[ソソ]ぎ。導かれて炉[ロ]に近く坐を占め。初対面の挨拶。やがて茶渋一椀[パイ]。饗応[モテナシ]ぶりにさしくべる榾[ホダ]の。焚上[モエアガ]る炎に客は背ける顔。主人[アルジ]は何心なく見るに。俗に在りし昔の我ならば。ねたましく思ふほどの容色[ヨウショク]。今さへも見て。臭骸[シュウガイ]の上を粧[ヨソ]ふて是とは覚えず-地水火風空も。よく形造らるればかほどの物か。自分は二十一歳。二ツばかりは少[ワカ]かる可[ベ]し。此眉目容姿[ミメカタチ]-この年頃。菩提の種には何がなりし。まだ爪[ツマ]紅の消え切らぬ指に。数珠つまぐる殊勝[シュショウ]さ……過[スギ]て哀れなり。我身[ワガミ]に思ひ較[クラ]べて。うるむ涙を。炉の榾[ホダ]掻動[カイウゴ]かして。烟[ケブ]しと擬[マギ]らはす。
客も主人[アルジ]を見れば。世に捨らるべき姿かは。世に飽くといふ年かは。或は我に似たる身のなれる果[ハテ]か。聞かせたし語らせたし。我が事人の事。
互[タガ]ひに一様[イチヨウ]の思[オモイ]はあれど。言ひ出す機会[シオ]なく。山路[ヤマジ]の険阻[ケワシサ]-麓の川の名-仏堂伽藍[ブツドウガラン]-昨夜[ユウベ]の氷。其等[ソレラ]を題に他事[タジ]を物語る。粥[カユ]熟せしとて主客夕餉[ユウゲ]の箸[ハシ]をとり。やがてまた少時[シバシ]の物語。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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