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#1527 わかった!えらい!もう用はなかろう!お帰りお帰り!

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

「誰か来たようだ、あけてやれ」と、がらりと戸をひけば、お吉と気づいて、「親分、なんの、あの、なんの姉御だ」と、せわしく奥へ声をかけます。「おうそうか。お吉よく来た。そこらのゴミのなさそうなところへ座ってくれ」。二つ三つ無駄話してのち、お吉は改まり、「清吉は寝ておりまするか」。「清吉はすやすや寝付いて起きそうにもない容態じゃが、頭のサラを打ったわけでもない。ひどく逆上したところをメチャメチャに打たれたため一時は気絶までもしたが大したことはない。ちょっと覗いてみよ」。お吉が三畳ばかりの部屋に寝ている清吉を見ると、顔も頭も腫れ上がり、こんなになるまで打った鋭次のむごさが恨めしく思うほど憐れなるさまで、座に戻って鋭次にむかい、「夫は清吉の余計な手出しに腹をたち、上人様や十兵衛への義理をかねて出入りを禁じるでござりましょうが、私はどうも夫のするばかりを見ているわけにはいかず、すこし訳あって私がどうかしてやらねば胸の済まぬ仕儀もあり……

それやこれやを種々[イロイロ]と案じた末に浮んだは一年か半年ほど清吉に此地[コチ]退[ノ]かすること、人の噂も遠のいて我夫[ウチ]の機嫌も治つたら取成[トリナ]し様[ヨウ]は幾干[イクラ]も有り、まづそれまでは上方[カミガタ]あたりに遊んで居るやう為[シ]てやりたく、路用[ロヨウ]の金[カネ]も調[コシラ]へて来ましたれば少しなれども御預け申しまする、何卒[ドウゾ]宜敷[ヨロシク]云ひ含めて清吉めに与[ヤ]つて下さりませ、我夫[ウチ]は彼[アノ]通り表裏[ヒョウリ]の無い人、腹の底には如何[ドウ]思つても必ず辛く清吉に一旦あたるに違ひ無く、未練気[ミレンゲ]なしに叱りませうが、其時[ソノトキ]何と清吉が仮令[タトイ]云ふても取り上げぬは知れたこと、傍[ソバ]から妾[ワタシ]が口を出しても義理は義理なりや仕様は無し、さりとて慾で做出来[シデカ]した咎[トガ]でもないに男一人の寄り付く島も無いやうにして知らぬ顔では如何[ドウ]しても妾[ワタシ]が居られませぬ、彼[アレ]が一人の母のことは彼[アレ]さへ居ねば我夫[ウチ]にも話して扶助[タスク]るに厭は云はせまじく、また厭といふやうな分らぬことを云ひも仕ますまいなれば掛念[ケネン]はなけれど、妾[ワタシ]が今夜来たことやら蔭で清をば劬[イタワ]ることは、我夫[ウチ]へは当分秘密[ナイショ]にして。解つた、えらい、もう用は無からう、お帰り/\、源太が大抵来るかも知れぬ、撞見[デックワ]しては拙[マズ]からう、と愛想は無けれど真実はある言葉に、お吉嬉しく頼み置きて帰れば、其後[ソノアト]へ引きちがへて来る源太、果して清吉に、出入りを禁[ト]むる師弟の縁[エン]断[キ]るとの言ひ渡し。鋭次は笑つて黙り、清吉は泣て詫びしが、其夜[ソノヨ]源太の帰りし跡、清吉鋭次にまた泣かせられて、狗[イヌ]になつても我[オレ]や姉御夫婦の門辺[カドベ]は去らぬと唸りける。
四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の温泉[イデユ]を志[ココロザ]して江戸を出[イデ]しが、夫[ソレ]よりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都[アズマ]なるべし。

というところで、「その二十九」が終了します。

さっそく「その三十」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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