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#296 お秀と顔鳥の出会い

今日も坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでいきたいと思います。

『当世書生気質」』はいよいよ最終回に突入!任那くんからの手紙を読んでいる小町田くんのところに、倉瀬くんが登場!田の次のことで話があるから、応接所へ来いと呼びつけます。行ってみると、そこにいるのは守山くん。久々に会った三人は、服装に関する議論で、桐山くんにコテンパンにやられた須河くんのことで盛り上がります。そんな無駄話をさんざんしたあと、ようやく小町田くんが、「僕に用事でもある訳ですか」と聞きます。そして、守山くんは、衝撃的な内容を告白します。何と、自分の妹は、田の次だと言うのです!そして、そのきっかけは、やはり上野戦争だというのです。降りしきる雨と、猛火の勢いの中、顔鳥の兄貴・全次郎が、三芳さんの妾のお秀と、その子・お新を連れて、混乱に乗じて逃げようとしているところから始まります。お秀は駆け逃げてる最中に、前方に倒れ、その時、お新を投げ出してしまいます。必死に奪うが如く抱きかかえ、先を走る全次郎に追いつこうとした時、全次郎の額に弾丸があたり、全次郎は亡くなってしまいます。髪も服も乱れ、息も絶え絶えの状態で逃げ延びると、なんと抱えていた我が子がお新ではありません!どうやら、転んでお新を投げ出してしまった時に、別の子供を抱え上げてしまったようなのです。とにかく、いま、自分が抱えている子供は誰の子供なのか、それを確認しなければ、お新を探し出すことはできません!臍の緒の包みを開くと、守山亮右衛門の娘・そでと書かれてます。そこから、お秀の中の天使と悪魔がささやき始めます。さて…この子をどうするべきか!

おそでが腰につけし巾着をばそのまま奪ひとりて肌身[ハダミ]に着[ツ]け、急ぎその処[トコロ]を立のきつつ、ある旅籠[ハタゴヤ]にその夜は宿りて、翌日朝まだきに其処[ソコ]をもたちいで、日を経て高崎まで赴きつつ、おのが相知れる家をたづねて、色々身の上をいひこしらへ、およそ二月[フタツキ]もその家にありて、空しく厄介人[カカリウド]となりゐるものから、気随三昧[キズイザンマイ]にして暮せし身体[カラダ]は、其処[ソコ]にもゐ悪[ニク]き事数々生[ショウ]じて、つひにある人にそそのかされて、再び東京へは帰り来しが、ほどなくその男に誑[アザム]かれて、吉原のある青楼[ウチ]に身を沈めぬ。さるほどに明治三年といふ年、解放の令官より下りて、娼妓は悉[コトゴト]く自由の身となり、各々その宿元へ帰されしが、お秀は帰るべき宿元もなければ、兼て懇[ネンゴロ]に語らひたりける、仕事師某[ナニガシ]に引取られて、往[イヌ]る十二年の冬の頃まで夫婦となりて連添[ツレソ]ひゐしが、夫に死なれて後[ノチ]、たつきを失ひ、またもや泥水の海にただよひ、あるひは二階の小母[オバ]さんとなり、あるひは座敷持[オイラン]の梳攏[シンゾ]となりて、甲楼乙台[カシコココ]と渡りあるきつ。つひに角海老[カドエビ]の二階に雇はれ、娼妓顔鳥の新造[シンゾ]となりしは、正にこの年の三月にぞありける。

1872(明治5)年、横浜港に停泊中のペルー船籍マリア・ルス号に、奴隷として乗せられていた清国人231人を政府は解放します。これがマリア・ルス号事件であり、日本が国際裁判の当事者となった初めての事例です。この時、被告である船長ヘレイラ側は、「日本が奴隷契約は無効であるというなら、娼妓の契約が認められているのはおかしい」と主張します。日本側はこれに対して「娼妓の解放を準備中である」と答えざるをえなくなります。これを機に発せられたのが「娼妓解放令」です。人身売買は禁止、娼妓は前借金を棒引きで解放されました。しかし、これは売買春そのものを禁止したわけではないし、その後の更生策もなかったため、お秀さんのように路頭に迷う女性がたくさん出たのです。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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