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#1224 ふた臼いっぺんに搗く方法

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

菊住の服装は歌舞伎座で見たのと同じで一張羅。お才は打ち解ける薬は酒だと支度を急がせます。お才は母の浴衣に着替え、菊住は麻襦袢で涼みながら、別れてからの物語となります。菊住は、お才と別れてから二か月目には小〆にも振られ、その後、会社に勤めるが薄給で諦め、惨めにも神妙に暮らし、ひと月送るも切なく、人を怨むこともできずと言うと、お才は打ち笑みます。罪を作る報いの恐ろしさ、色男の末とは皆そうしたもの……。忘れても色事は慎みたまえ。よき往生は難しき体なりと思いありげに菊住の顔を覗くと、こめかみあたりに傷があり、それはと尋ねると、これもバチなれどこなたの過失と言うと、お才はあの時の傷かと驚きます。この傷こそ菊住一代の色事のカタミ。昨日、歌舞伎座で見た時の衰えた姿。今の若さでどうする気かとお才は帯の間から五十円を投げ出します。菊住は「こんなに戴いては……」と、しおらしく頭を下げ、「せっかくのこころざしなればありがたく……」と金を戴くと、お才は「みっともない!そんな真似はヤメにしやんせ!女に物を貰ったら、うれしい顔をせぬほうが男らしくていいもの!」と言います。お才は、大事な主がありながら悪い事をしては義理が済まぬ、旦那の耳に入ればそなたの身にかかわることと言えば、菊住は煮るなり焼くなりよろしきようにと言います。その頃、お才の母親は、金だけの話なら五分で済むところ二時間近くも話していることに気を揉んでいます。怒られる覚悟で呼んでみようと梯子を昇る音を立てたりしますが、「何ぞ用か」と声をかけられ、こそこそ逃げ帰り心は休まりません。辛気臭さに酒を飲んでいると、昼飯を言いつけにお才が下りてきて、さらに風呂を焚いてくれと言われ、やれやれの状態。午後になって菊住は名残惜し気なる顔して裏口から帰ります。お才はすぐに昼寝してしまい、母は起きたらひとこと言おうとしますが、夕暮れの帰りを急ぐことに紛らわされて逃がしてしまいます。

一匹の男としては歯応[ハゴタエ]の無き菊住が、末[スエ]の望[ノゾミ]のあるにあらず。衣類は箪笥[タンス]に、食物[クイモノ]は戸棚にある中[ウチ]のみの合手[アイテ]なれば、鑑札[カンサツ]受けぬ俳優[ヤクシャ]買ふも同じく、一時[イチジ]の慰みにする気にも、忘られぬ可愛き処ありて、其後[ソノノチ]は主[ヌシ]ある身の人目を忍び、大川端[オオカワバタ]なる挿花[ハナ]の師匠の奥座敷に逢引[アイビキ]して、此[コノ]楽[タノシミ]伴[トモ]につれらるゝお仲も知らず。一六[イチロク]は弟子の来る日と避[ヨ]けて、月に四回[シカイ]の出会[デアイ]。御前[ゴゼン]は紅梅方[カタ]へなりとも、お艶の許へなりとも御出[オイデ]次第、此方[コナタ]へは可成[ナルベク]遠々[トオドオ]しきを奇貨[シアワセ]にして、挿花[ハナ]を定めて上手になるべき執心、腕ばかりで眼鼻[メハナ]は利かぬ大谷先生、左様なる義の有るべしとは、なか/\存寄[ゾンジヨ]らざりけり。
昔[ムカシ]愚[オロカ]なる智者ありて、二臼[フタウス]の米を一つの杵[キネ]にて一度に舂[ツ]かむことを考へ、上に置かではならぬ一つの臼は、倒[サカサマ]に梁[ハリ]より釣下[ツリサ]げむとして、米を入[イ]るゝ工夫に尽き、折角の仕掛[シカケ]も空[アダ]になりぬ。思ふ女を自由にして、楽[タノシ]みながら金を獲[エ]むことの難[カタ]き、正[マサ]に此[コノ]発明に同じきに、菊住の果報愛[メデ]たさ、人の真似はなるまじきことなり。

愚かなる智者の話は、「臼の付き方」という江戸小話のひとつです。
「私は今日、日本一の発明をした」
「いったい、何の発明だ」
「ふたうすをいっぺんにして、米をつく方法だ。米をついているのを見ると、下におろす杵は役に立つが、上にあげる杵は何もついていない。そこで、上にも、うすをさかさに吊るせば、上下両方の米がいっぺんにつけるというわけだ」
「なるほど。で、さかさに吊るしたうすの中に、どうやって米を入れる?」
「その方法は、これから考えるんだ」
というものです。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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