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#023 こうして舞台は整った!

中国から伝わった白話小説は、儒学の見地からすると、架空で根拠もなく、嘘と妄言で人心を惑わすため、許し難いものでありました。しかし、儒学そのものも、文明開化の日本で、徐々に必要とされなくなっていました。そんな時、巷に流布する低俗な書物を保守的な立場から非難するイギリスの本と、時代遅れの日本の儒者が、出会いました。それが『西国立志編』です。原著の文中で、novelやromanceやpopular literatureと使い分けられていても、儒者の中村正直の立場からすれば、白話同様、一括りの「卑俗で低俗な俗文芸」にすぎなかったのです。

しかしながら、この書物は、明治最大のベストセラーとなりました。それは、西洋文化圏の成功者のお話を、漢学と儒学を素地にして書かれているからに他ならないでしょう。

サミュエル・スマイルズの『Self-Help』の冒頭には、格言として、こんな一文が載っています。

Heaven helps those who help themselves

これを翻訳した中村正直の次の一文は、今でも有名ですよね!すなわち…

天は自ら助くる者を助く

自分で自分を助けることができるなら、天なんていらないじゃないか!

…というツッコミはやめておきましょう!w

なんせ、300年も続いた政治体制が終わって、世界がガラリと変わる時代の本です。「自分のことは自分でなんとかしろ!」と突き放すのではなく、「その努力は、ちゃんとお天道様が見ている!」というのは、何を拠り所にしていいかわからないほど激変する世の中で、勇気を奮い立たせる言葉となったに違いありません!

前回紹介した三川智央氏の論文には、次のような記述があります。

「神」を「天」に置き換え、儒教的な枠組みで西洋文化を受け入れようとした中村は、英語のnovelを「小説」という漢語に翻訳しただけでなく、その社会的状況までをも中国儒教社会における「小説」の実態に重ね合わせ、翻訳を行なっていたと考えられるのだ。彼にしてみれば、イギリス発展の基礎となっている近代市民社会の倫理は、近世以来の日本が拠り所としてきた儒教倫理と、根本においては共通したものとして認識されていたに違いない。

「天は自ら助くる者を助く」という翻訳は、キリスト教と儒教がうまく溶け込みマッチングした、見事な名訳だと思います!「Heaven」を「天」ではなく「神」と訳していたら、おそらく、それだけでベストセラーになることはなかったでしょう!

さて、『西国立志編』(1871[明治4])から14年後に、早稲田大学で英文学を研究していた一人の教授が、ある書物を出版しました。それが坪内逍遥の『小説神髄』(1885[明治18])です。坪内逍遥は、晩年、約20年の歳月をかけて、シェイクスピアの全作品を、独力で翻訳した人なんです。また、1850年代を境に、イギリスでは「小説」という文芸が大出世を果たした時でもあったんです。

想像ですけどね…間違いないと思うんですけどね…坪内逍遥は、『西国立志編』の「小説」観に一言物申したかったに違いないのです!

ということで、いよいよ、坪内逍遥の『小説神髄』に戻りたいのですが…

それは、また明日、近代でお会いしましょう!





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