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#1560 女におけるただ一人の好きをなくしたのであれば、男におけるただ一人の好きを頼まねばならぬ

それでは今日も尾崎紅葉の『多情多恨』を読んでいきたいと思います。

墓参りに行きたいが老婢に止められ悶々としていると、家の外で人力車が停まります。慌てて駈け出ると、見覚えのある友人の葉山の車である。葉山が来てくれた!嬉しいような、頼もしいような、涙が出る。「ああひどい降りだ」「さあ上りたまえ」。葉山は座敷へ入ると、「おやビールかい。洒落ているじゃないか、今日はお見舞いに来たのだ。そうそう、これを御仏前へ」「おやまあ見事な。旦那様、御覧あそばしまし」「代物は精進だけれど、すこしは陰にいかさまがしてあるかもしれませんよ」と言って笑います。葉山はなんと慰めたらいいのか思案していると、柳之助は左の袂からハンケチを取り出し隅の方へ投げやり、今度から右から引っ張り出し、それをも投げ出し、袖で目をこすります。「なんだあのハンケチは、あれはみんな濡れているのかい。さあ貸そう」「いい匂いがするね。妻がよく言ったっけ、君が来るといい匂いがするって。じつにこういう時に妻がおったら御馳走するのだけれど、おらん、妻はおらん」「しかしね……」「しかし、おらんような心地はせんよ。死んだとは思われんよ」「それはもっともだ。しかしね……」「なぜ死んだかと思うと、妻は僕を愛しておらんかったと思うよ」「そんな無理なことがあるものか」「無理かもしれぬ、無理だろう、無理だった、全く無理だった」「時に、君は学校のほうはどうした?」「学校?学校なんぞはかまわん、もうイヤだ」。柳之助は東京物理学院の教授を勉めている。勤勉で懇切で実力もあり、生徒の信用も極めて良い。「あんまり長く退いていたら、学校のほうで差し支えるだろう」「差し支えても構わん」「困ったもんだ」「僕は実に寂しくていかん、ああイヤだ、イヤだ」「天命と思いきるよりほかはないのだ」「到底思いきれんよ、僕の身になってみたまえ、君は残酷だ」「残酷はひどいね。思いきれないと言ったところで、お類さんが生き返るわけじゃなかろう」「ほかの話よりこの話がいいのだから、もっとしてくれたまえ」「いけないよ、不吉な話はよそう」。柳之助はコップを控えてキッとなり「不吉とは君……」「いや悪かった。迷惑だろうから私はこれでお暇をする」。柳之助は葉山の袖をしかと捉え「悪かった、僕が悪かった、言い過ぎたよ」「それじゃそういう話はよすかい」「よす、よす」「そんな話はよすというなら」「まあいてくれたまえ。君に行かれてしまうと僕はひとりだ」。葉山は笑みを帯びて「有る酒ならばこうして出る。無い酒は出ない。酒のない壜で酌をすることはできないということを君は知っているじゃないか」「それが?」「無い酒も亡い人も同じ事だろう」。柳之助は卵を皿のふちへあてようとして控えます。「何を考えているのだ?」「僕は今日から精進なんだ」「今日からとはどういうわけだ」「もういいよいいよ」と柳之助はひと思いに皿のふちに卵をうちつけます。「そうだ、そうだ、下地をかけて、あっ、そんなにかけて……さぁさぁこっちへ貸した」「君はいいな、そんなことも上手にやる。みんな妻にしてもらっとったのだ。ああ困った」「その話はよすと言ったじゃないか」「ぼくはもうたまらん、不愉快で、こんな不愉快なことはない。ぼくはどんな不愉快なことがあっても妻のために慰められたのだ。ぼくはその妻を失ってしまった。今朝墓参りをしたのだ。土饅頭と一本の墓標が立っとるばかりで、寂しく雨が降っとるのだ。これを見てくれたまえ」と言って、山茶花の一輪挿しを指さします。「この山茶花だよ、いいだろう」。葉山は何がいいのか少しもわからない。「妻は賑やかなのが好きだったのに、寂しい森のなかで雨に降られて、ひとり埋まっとるじゃないか。そうすると、垣の隅にこの花がたったひとつ咲いとるのだ。たったひとつなのだよ。これは類子の魂だ。類子の思いが残って花になって咲いたのだ、と言って義理の母が泣くのだ。こんな所にひとりで置くのは可哀そうだから一緒に連れていってくれってね、折って僕に渡したのだ。この花だよ、ああ、君のほうを向いとるよ」。「もう言わないがいい。いつまで言ったってしょうがない」「言っとれば多少気が晴れるから」「それじゃこっちが困るよ」「君は僕がこんなに思ってるのに、少しも哀れだと思ってくれん。君はそういう不実な人物とは思わんだった。こんな悲しいことは覚えない」。葉山はむしろ首を傾けます。「またその話を始めて挙句の果て私を攻撃するのだ。悪い事は言わない、引っ込んでいるのがよくない、ちと出掛けたまえ」「それがすでに不実だ。死んだ者はしかたがないから忘れてしまえというのは残酷じゃないか。君は世間をもって僕を責めるのだ。僕の心には世間というものに曇らせられん一片の誠がある。その誠があるために僕は忘れられんのだ。決して恥ずべきことではないと思う」「誰も恥ずべきことだとは言いはしないよ」「言わんけれど君は恥ずるほうだろう」「もうどちらでも宜しきように願いましょう」「腹を立ったのか」「ああ腹を立ったよ」「許してくれたまえ」「それなら朋友の言う事も用いたがいいじゃないか」「無論用いるさ」

「外[ホカ]の事でもないがね、内にばかり引込むでゐるのは好[ヨ]くないから、本当[ホント]にちと出掛けたまへ。」
「何所[ドコ]へ?」
「まづ学校へ行くのは一番好[イ]いが……。」
「未[マ]だ脳[アタマ]が乱れとるから、それは可[イ]かんよ。」

脳と書いて「あたま」と読ませてますね。

「それでは、僕の家[ウチ]へ来たまへ、遊びに来るのだ。御馳走するよ。出掛けた方が気が霽[ハ]れて甚麼[ドンナ]に好[イ]いか知れやしない。気も進まなからうけれど、まあ瞞[ダマ]されたと思つて来て見給へよ。屹[キッ]と来るかい、宜[ヨロシ]いかい、来るね。」
柳之助は熟[ジッ]と思案してゐる。
「如何[ドウ]したのさ。別に考へるほどの事は無からうぢやないか。内に引込むでゐるよりは気が霽[ハ]れるよ。明日は休日[ヤスミ]で、私も一日内に居るから、朝から来たまへ。何を那麼[ソンナ]に考へてゐるのだらう。」
太[ヒド]く考へてゐるのが葉山には解らなかつた。尤も何事にも直に考へるのが此[コノ]人の癖[クセ]ではあるが、己[オノレ]の信ずる唯一人の葉山の言ふ事は、常に自分の了簡[リョウケン]よりも信ずるほどであるから、葉山が右といへば右、左といへば左、つい応[オウ]と言はぬことは無いのである。今日に限つて、何故[ナニユエ]か考へるにも当[アタ]らぬ事を太[ヒド]く考へる。なるほど葉山には解らなかつた。

出た!「了簡」!『三人妻』でさんざん使った単語ですね。ぶっちゃけ読んでいる途中で「使い過ぎじゃね?」とうんざりした単語ですw

けれども、是は仔細も無い事で、例の細君の死を悲[カナシ]む余[アマリ]、何を為るのも気が無いので、外へも出たくはないのであらう、と恁[コ]う判じたから、猶更勧めて、否応[イヤオウ]無しに引出さうと考へたのである。
利発の葉山も是ばかりは踏違[ハキチガ]へてゐた。なるほど柳之助は何を為[ス]るのも憂[ウ]いのである、外へ出る気も無いのである。然し、彼はその最愛の妻を亡[ウシナ]つた、女に於ける唯一人の所好[スキ]を無くしたのであれば、此上[コノウエ]は其[ソノ]心を慰むるには、男に於ける唯一人の所好[スキ]を恃[タノ]まねばならぬ、その葉山が深切に言ふ事をば、如何[イカ]にしても背[ソム]かう道理が無い。葉山が強[シ]ひて言ふならば、随分学校へも出るのである。掃憂[ウサハラシ]とならば葉山を連立[ツレダ]つて何所[ドコ]へでも行くのである。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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