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#1538 尾崎紅葉の「である」調の完成体『多情多恨』を読んでいくぞぉ!

さて、ここで再び尾崎紅葉に戻りたいと思います。『三人妻』から4年後の1896(明治29)年、紅葉は読売新聞に『多情多恨』を連載します。この小説こそ、紅葉が文体を試行錯誤した結果、文末形式に「である」を用いて完成させた言文一致体小説です。

ちょっとここで、『多情多恨』に入る前に、すこしだけ寄り道して読んでおきたいものがありまして……。というのも、そもそも尾崎紅葉は言文一致に対してどんなことを考え、苦悩し、「である」調に辿り着いたのか……。

紅葉は1903(明治36)年10月30日に亡くなりますが、その約2ヵ月後の1904(明治37)年1月1日に、「新小説」にて尾崎紅葉門下の小説家・山岸荷葉[カヨウ](1876-1945)が「故紅葉大人[タイジン]談片[ダンペン]」を発表します。「折々にふれて受けたる教えの中より、取り出でたる数種の談話を、断片にはあれど故大人の口吻を写して記すものなり」として「地の文と会話」という文章を載せています。それをまずは読んでいきたいと思います。

文章という奴は、推敲すれば推敲するほどよくなるものだ。一旦書いた原稿紙に貼紙をして、その貼紙の上へまた貼紙をする。さう言つたやうに、何辺[ナンベン]も貼紙をして、それから清書をするとまた直す所が出来る。仕方がないから、直し/\清書をして、また読み返しをしてまた貼紙をする。限[キリ]がないやうなものゝ、どうしても、かうやつて行かないぢゃ、とても大文章は出来ない。
『不言不語[イワズカタラズ]』を書く前に『源氏物語』を通読した。あの文章は実に流麗で、花のやうだ。僕は読んで、実に紫式部の文才のあつたのに敬服したね。而[ソウ]して当時を考へて、紫式部はどれほど、この文章を推敲したか知れないだらう。その推敲の痕[アト]の少しも見えないほど、充分に推敲したのだらうと思つたね。
『我楽多文庫』時代に、頻[シキリ]に雅俗折衷躰といふものを唱導[ショウドウ]した。つまり西鶴文[サイカクブン]を根本[コンポン]に置いたのだが、今ではまた、地の文と会話を分けて書くやうになつた。さあ地の文と会話とを分けて書くやうになつたもんだから、従つて之に伴つて来る困難は、その地の文と、その会話との調和だ。どうもこれでひどく苦しんだね。
言文一致を『紫』や『隣の女』から書き出して、前に雅俗折衷躰で書いて居た頃よりは、初[ハジメ]は大層楽[ラク]で、好[イ]い工合[グアイ]に書けたけれども、『多情多恨』を書くやうになつてから、段々言文一致躰に手馴れて来るほど、前の雅俗折衷躰を書く時以上の困難が起こつて来た。人は知らないから、言文一致躰は声に現わす通[トオリ]に書けば可[イイ]ので、これほど容易[ヤサ]しい文躰[ブンタイ]はないなどゝいふけれども、声に現わしたものをそのまゝ書くのは、既[スデ]にそりや文章ぢやない。文章は簡明に、声で現わして居る以上の美をその中[ウチ]に含めなくつちやならないのだから、つまり彼と是とは別物になる。要するに別物だけに、言文一致の文章を書くのに、また雅俗折衷躰を書く以上むづかしい事になつて来た。言文一致躰の文章も随分変遷して、初め山田美妙斎やなんぞが書いた時分には、実は僕大嫌[ダイキライ]で、全[マル]で女郎の文[フミ]見たやうだと罵倒した事があつた。それから段々僕も言文一致を書くやうになつたが、第一考へたのは文章の結びだ。何々『です』何々『だ』、何方[ドッチ]も感服しないから、種々[イロイロ]工風[クフウ]して『である』といふ事になつたのだがね。此の『である』でも随分苦労したのさ。つまりこの『である』といふ結びの言葉を、あまり目立たぬやう、読んでも耳立たぬやうにと、心がけて使つたのだが、それからといふものは、言文一致といふと誰も彼も、皆[ミンナ]この『である』を使つたので、であるであるである……。『である』が行毎[ギョウゴト]にあるかと思ふと、新節[ニウパラグラフ]のある前には、屹度[キット]『である』で結んだのさ。かう『である』の珠数繫[ジュズツナ]ぎになられたには、困つちやつたね。
それに、会話といふ奴。是がまた中々むづかしい。矢張[ヤッパリ]文章同様冗長[ジョウチョウ]にならないやうにとは、言ふまでもなく務める所だが、男の詞[コトバ]、女の詞、老幼の言葉。円朝の話を聴くやうにそれ/″\に使ひ分けて行つて、読んでる内に、その会話で人々の性格を現わすといふ、むづかしいには違ひない。所が有難い事は、日本の標準語とするものは、この東京の言葉なんだ。同時に吾々[ワレワレ]此[コノ]東京で生れ、東京で人となつたものだから、無意識の中[ウチ]に、この標準語を解し、身[ミ]自らその標準語を話して居るのだから、是を文章にして会話を用ひるといふのには、比較的雑作[ゾウサ]もない。それがもし標準語が大坂か、仙台でゝもあつた日には事[コト]だね。吾々東京生れのものは、まづその大坂なり、仙台なりの標準語から研究して懸[カカ]つて、それから文章といふ事になる。や、もうむづかしい、むづかしい。

ということで、いよいよ『多情多恨』を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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