見出し画像

#1232 また来たか!と、水を浴びせかける!

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

新聞で話題となっていることを知らないお才は、昼過ぎから華の師匠のところへ出掛けます。伝内はすぐにあとを追います。師匠の家の門に来てみるも、無用の他人であるため踏み込みかねて当惑します。裏口を尋ね、板塀に内を覗く穴がないかと探すが見当たらず、片耳を塀につけて、話し声が聞こえないかと息をつめますが、花ばさみの音がするのみ。立つこと一時間にわたり格別変わりたる様子はないが、お才の聞き慣れている咳払いが聞こえます。伝内が額の汗を拭いながら耳をたてていると、後ろの路地から菊住がやってきます。家を窺う男を見て、菊住はぎょっとして傘を開いて後ろ姿を隠して路地を駈け出ます。そのとき木戸の錠を外す音がして伝内がびっくりします。出て来た老女に何の用かと尋ねられたので、山田という家はござりませぬかと問い、そのような家はござりませぬと言われます。その後、老女は引っ込むことなく、伝内が路地を出る頃にもう居るまいと振り返るとまだいます。伝内はこのまま帰り難く、少し経ってまた忍び行こうと氷水屋に腰をかけて時刻をはかります。

嚮[サキ]に菊住は内[ウチ]を覗[ウカガ]ふ男あるに驚き、引返[ヒキカ]へして袖岡の正門[オモテモン]へ廻り、玄関より立派に案内を乞ひ、主婦[アルジ]を呼出[ヨビダ]して裏の様子を知らせ、彼[カノ]男を遂払[オイハラ]ふたる跡より入[イ]らむと囁けば、主婦[アルジ]は伝内を旦那殿からの間諜[マワシモノ]とは気も着かず。今夜を覘[ネラ]ふ窃盗[コソコソ]の類[タグイ]にやあらむと、扨[サテ]は裏木戸を開けて誰何[スイガ]せしなり。
風體[フウテイ]は窃盗[ヌスビト]などのやうにも見えざれば、いとヾ気味悪く、此事[コノコト]をお才に告[ツグ]れば、少しも気に留めぬ面色[カオツキ]。彼奴[キャツ]の又[マタ]入[イ]り来[キタ]らむかと、主婦[アルジ]は木戸を細目[ホソメ]に開けて露路[ロジ]を覘[ウカガ]へば、果[ハタ]して人影は、来たかと熟[ヨク]視[ミ]れば、盗人[ヌスビト]なれど、恋にきく住[ズミ]。
戸[ト]には内より錠を掛けて、お二方[フタカタ]とも御二階[オニカイ]へと、主婦[アルジ]は独り此[コノ]坐敷に番[バン]して、鵯越[ヒヨドリゴエ]を固[カタ]むるとは、更に知らざる大谷伝内、もう好時分[イイジブン]と、氷の塊[カケラ]を頬張りながら、濡手拭[ヌレテヌグイ]を頭顱[アタマ]に載せ、そろり/\と忍び寄れば、塀に物の触[フ]るゝ音を、主婦[アルジ]は来たとは心着[ココロヅ]かず、犬かと聞捨[キキステ]にせしに、犬にはあらぬ人の跫音[アシオト]と聴決[キキサダ]め、又[マタ]うせたかと腹立たしさに、手水盤[チョウズバチ]の水を柄杓[ヒシャク]に掬[スク]ひ、塀の外を目懸[メガ]けて十二三杯ほど立続[タテツヅ]けに浴びせければ、伝内も之には避易[ヘキエキ]して、蝸牛[マイマイツブロ]のごとく塀に取附[トリツ]き、頭の上越[ウエコ]す水を観[ナガ]めながら、頭[クビ]を縮めて居たりしが、裙袂[スソタモト]の纔[ワズカ]に濡れたるのみ。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?