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#1578 人の命というものは、実に儚い!

それでは今日も尾崎紅葉の『多情多恨』を読んでいきたいと思います。

鷲見が二階の奥の居間で待っていると、あるじの葉山があがってきます。葉山は鷲見の格好を見て「なんだ学校へ出る装束じゃないか」「今朝墓参りに行ってきた」「その帰りかね」「きみ、これを見たまえ」と言って一枚の絵を渡します。インドの女性が鉢を抱えた立ち姿の絵である。「よく見たまえな、似とるじゃないか」「誰に?」「死んだ類にさ」「似ているものか、気の迷いだよ」「似ておらぬ?よし!」と言うと、上衣から都合四枚のお類の写真を出します。これには葉山も驚く。逆らわぬがよかろうと真面目に絵と比べて「そういえば似ている。一緒にしておきたまえ」と写真と共に包んで返すと葉山は「この煙草は墓参りに行く途中で買ったのだ。そうするとこれが中に入っていたのだ。その帰りに婚礼を目撃すると、風呂敷の紋が妻の紋でゾッとしたよ」「そんな話はよそうよ。陰気でいけない、陰気で」

柳之助は猶[ナオ]凝然[ジッ]と俯いてゐる。
「これさ、又始めたよ。鷲見、何だな。」
火鉢に張つてゐる臂[ヒジ]を葉山はニ三度撼[ウゴカ]せば、漸く顔を挙げたが、はや両眼の涙は溢るゝばかり。
「困つた人だねえ。」
と葉山はその肩を丁[トン]と拊[ウ]つて、
「おゝ僕の手巾[ハンケチ]を未[マ]だ用[ツカ]つてゐるのかい。否[イヤ]だぜ、否だぜ。」
と話頭[ハナシ]を転[ソラ]しにかゝる。鷲見は其[ソノ]手巾[ハンケチ]で涙を拭いて、
「少し貸して置いてくれたまへ。僕は手巾が無いのだ。汚れたのは幾多[イクラ]もあるけれど、奇麗にして置いてくれるものは無いのだから。」
何を言つても、其方[ソノホウ]へ話を引付[ヒキツ]けて了[シマ]ふので、葉山は弱り果てゝゐる。
「余り懐[ナツカ]しかつたから、僕は引還[ヒッカエ]して其[ソノ]尾[アト]に追[ツ]いて行つたさ。浅草の方へ行くのだらう、停車場[ステーション]の側[ワキ]を通つて、鉄道馬車の線路の通[トオリ]を何処[ドコ]までも真直[マッスグ]に行つたよ。

1882(明治15)年6月25日、東京馬車鉄道会社が日本初の鉄道馬車を開業します。目抜き通りの中央に4フィート6インチの軌道を埋め込み、1903(明治36)年に電車に転換されるまでの20年間活躍しました。開業当時は新橋~日本橋間、開業時47頭だった馬は、年末には226頭に増え、路線も日本橋から延伸され、日本橋~上野~浅草~日本橋の環状線が開通します。新橋~全区間は2時間、新橋~浅草橋経由~浅草までは46分、新橋~万世橋経由~浅草までは42分、浅草~上野までは16分、料金はこの3区分制で一区間一等車は3銭、二等車2銭でした。

あゝ気の毒な、あの人も今に死ぬだらう。彼[アノ]荷物は何日[イツ]までも遺[ノコ]つて、其[ソノ]主[ヌシ]は直[ジキ]に在[イ]なくなつて了[シマ]ふのだ。考へて見ると、人の命と云ふものは、実に儚い。昨日[キノウ]まで話をして、笑つたり、慍[オコ]つたりしてゐたものが、今日は忽ち在[イ]なくなる。儚いね、吁[アア]、儚い!昨日まで睦しくしてゐたものが、もう土になつて了[シマ]ふのだ。土になつて了[シマ]ふのだからね、考へて見給へ、仮[ウソ]のやうだ!妻[サイ]などを有[モ]つものぢやないね、係累[ケイルイ]を増すのは一つの悲[カナシミ]を増すのだ、僕も妻を有[モ]たなかつたら這麼[コンナ]思[オモイ]をせずに済むだのだ。向者[サッキ]のなども僕のやうな悲[カナシミ]のあることを知らんで、結婚をするのだらう。気の毒な!彼[アレ]も今に死ぬのさ。」

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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