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#1511 ただただ塔さえよくできれば、それに越した嬉しいことはない!

それでは今日も幸田露伴の『五重塔』を読んでいきたいと思います。

浮葉に露の玉がゆらぎ、立葉に風がそよふく夏の眺めもさらりとなくなり、赤とんぼが菱藻をなぶり、初霜が向丘の梢をそめます。世を忍ぶようにそろりと歩く白鷺、暮れゆく空に光り出す星を背に飛ぶ雁、そんな不忍池の景色を酒の肴にして、蓬莱屋の裏二階で気持ちよさそうに人を待つ男がいます。職人らしい言語挙動に見えながらすこしも下卑ぬ上品さ。「さぞお待ちどおでござりましょう」と馴染みのお伝という女が言います。「お待ちどおで、お待ちどおで、たまりきれぬ。人の気も知らないで何をしているであろう」。ようやく来たのは、艶もなき武骨男、ぼうぼう頭のごりごりヒゲ、顔は汚れて着物は破れています。源太は笑みを含めながら、「さあ十兵衛、ここへ来てくれ」。こんなところへ来てもらったのは何でもない、じつは仲直りしてもらいたくて……こないだの夜、おれが言い過ぎた事を忘れてもらいたい。「聞いてくれ、こういうわけだ」。こないだの夜は、きさまが分からぬ奴と思って腹も立ち、癇癪も起こし、業もにやし、頭を打ち砕いてやりたいと思ったが、その夜、酔った清吉の無茶苦茶を聞いて、了見の小さい奴とはつまらぬことを理屈らしく恥ずかしくもなく言うものだと思った途端、きさまの家で並べ立てた俺の言い草も似たり寄ったりと気づいた。昨日、上人様からのお招きで行ってみれば、「十兵衛に普請一切を申しつけた。陰になって助けてやれ。そなたの善根福種になるのじゃ。十兵衛が仕事に取り掛かる日には、何人も雇うその中に、そなたの手下の者も混じろう。必ず、そねみ、ひがみが起きぬように、そなたからよく言い含めてやるがよい」。何から何までお見透しの慈悲深い上人様のありがたさ。十兵衛、こないだのことは堪忍してくれ。いままでどおり、清く睦まじく付き合ってもらおう。あとに残して面倒こそあれど益のないこと。不忍の池にさらりと流して俺も忘れよう。十兵衛、きさまも忘れてくれ。

木材[キシナ]の引合ひ、鳶人足[トビ]への渡りなんど、まだ顔を売込んで居ぬ汝[キサマ]には一寸[チョット]仕憎からうが、其等[ソレラ]には我[オレ]の顔も貸さうし手も貸さう、丸丁[マルチョウ]、山六[ヤマロク]、遠州屋[エンシュウヤ]、好い問屋[トイヤ]は皆[ミナ]馴染[ナジミ]で無うては先方[サキ]が此方[コッチ]を呑んでならねば、万事歯痒い事の無いやう我[オレ]を自由に出しに使へ、

引き合いとは、買い入れるときの交渉のことです。

め組の頭[カシラ]の鋭次[エイジ]といふは短気なは汝[キサマ]も知つて居るであらうが、骨は黒鉄[クロガネ]、性根玉[ショウネダマ]は憚りながら火の玉だと平常[フダン]云ふだけ、扨[サテ]じつくり頼めばぐつと引受け一寸[イッスン]退[ノ]かぬ頼母しい男、塔は何より地行[ジギョウ]が大事、空風火水[クウフウカスイ]の四ツを受ける地盤の固めを彼[アレ]にさせれば、火の玉鋭次が根性だけでも不動が台座の岩より堅く基礎[イシズエ]確[シカ]と据[スエ]さすると諸肌[モロハダ]ぬいで仕て呉るゝは必定、彼[アレ]にも頓[ヤガ]て紹介[ヒキアワ]せう、既[モウ]此様[コウ]なつた暁には源太が望みは唯一ツ、天晴[アッパレ]十兵衞汝[キサマ]が能く仕出来[シデカ]しさへすりや其[ソレ]で好[ヨイ]のぢや、唯々[タダタダ]塔さへ能く成[デキ]れば其[ソレ]に越した嬉しいことは無い、苟且[カリソメ]にも百年千年末世[マッセ]に残つて云はゞ我等[オレタチ]の弟子筋の奴等[ヤツラ]が眼にも入るものに、へまがあつては悲しからうではないか、情無いではなからうか、源太十兵衞時代には此様[コン]な下らぬ建物に泣たり笑つたり仕たさうなと云はれる日には、なあ十兵衞、二人が舎利[シャリ]も魂魄[タマシイ]も粉灰[コバイ]にされて消し飛ばさるゝは、拙[ヘタ]な細工で世に出ぬは恥も却つて少ないが、遺したものを弟子め等に笑はる日には馬鹿親父が息子に異見さるゝと同じく、親に異見を食ふ子より何段増して恥かしかろ、生磔刑[イキバリツケ]より死んだ後[ノチ]塩漬[シオヅケ]の上[ウエ]磔刑[ハリツケ]になるやうな目にあつてはならぬ、初めは我[オレ]も是程[コレホド]に深くも思ひ寄らなんだが、汝[キサマ]が我[オレ]の対面[ムコウ]にたつた其[ソノ]意気張[イキバリ]から、十兵衞に塔建てさせ見よ源太に劣りはすまいといふか、源太が建てゝ見せくれう何十兵衞に劣らうぞと、腹の底には木を鑽[キ]つて出した火で観る先の先、我意は何にも無くなつた唯だ好く成[デキ]て呉れさへすれば汝[キサマ]も名誉[ホマレ]我[オレ]も悦び、今日は是[コレ]だけ云ひたいばかり、嗚呼[アア]十兵衞其[ソノ]大きな眼を湿[ウル]ませて聴て呉れたか嬉しいやい、と磨[ミガ]いて礪[ト]いで礪ぎ出した純粋[キッスイ]江戸ッ子粘り気無し、一[ピン]で無ければ六と出る、忿怒[イカリ]の裏の温和[ヤサシ]さも飽[アク]まで強き源太が言葉に、身動[ミジロ]ぎさへせで聞き居し十兵衞、何も云はず畳に食ひつき、親方、堪忍[カニ]して下され口がきけませぬ、十兵衞には口がきけませぬ、こ、こ、此通り、あゝ有り難うござりまする、と愚魯[オロカ]しくもまた真実[マコト]に唯[タダ]平伏[ヒレフ]して泣き居たり。

「ピンでなければ六が出る」とは、サイコロの一[ピン]と「六」は、ちょうど表と裏にあたるところから、中途半端なものではなく、どちらかにきっぱりと割り切ることをいいます。

というところで、「その二十一」が終了します。

さっそく「その二十二」を読んでいきたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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