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#1591 わたしがいると窮屈ですって?

それでは今日も尾崎紅葉の『多情多恨』を読んでいきたいと思います。

柳之助は葉山の妻であるお種が苦手ですが、勇気を出して盃を差し、酌をします。それを葉山がからかいます。やがて肴を取りに行くと言ってお種が起ったので、やれ嬉しやと「ぼくはどうも窮屈でいかん、ぼくは困る」と言います。「何が困るのだ」「細君がいちゃ困る」「なぜそんなにイヤなのだろう」「理由はないけれど僕の性質なのだから」「どうあってもイヤだというなら仕方がない」「イヤじゃない、決してイヤではない!窮屈でな」「その窮屈がわからないよ」

此時[コノトキ]階子[ハシゴ]を踏む音がする。柳之助は慄然[ゾッ]として、又[マタ]硬くなる。
「妻君の前で今の事を言つちや困るよ。」
と忙[セワ]しく囁いて、手の遣端[ヤリハ]が無さに、空[カラ]の盃を取つたが、口へは持つて行かれず、置所[オキドコロ]も無し、持余[モテアマ]して葉山へ差す。
お種は手料理の茶碗蒸を能代塗[ノシロヌリ]の通盆[カヨイボン]に載せて、入つて来て、其処[ソコ]に座るか座らぬかに、葉山は吃々[クスクス]笑ひながら、
「おい、嚔[クシャミ]は出なかつたか。」

うわさをされるとくしゃみが出るって言い伝え、いつからあるんでしょうね。

柳之助は小くなつて膳の上を突々廻[ツッツキマワ]してゐたが、之を聞くと斉[ヒト]しく飄然[フイ]と起上[タチアガ]る。葉山は益[マスマス]可笑[オカシ]がる。お種は中間[ナカ]に介[ハサ]まつて、何が何だか解らず。
「如何[ドウ]なすつたのです。」
と訊ねると、葉山は未[マ]だ笑ひながら、
「謔[カラカ]つたのよ。」
「何を御謔[オカラカイ]なすつて?」
「何有[ナニ]、お前が出てゐると窮屈で困ると言ふから、何故[ナゼ]那様[ソンナ]に嫌ふのだ、と怨言[イヤミ]を言つて弱らしてゐる所へ、お前が来たのだ。鷲見は何でもお前を引退[ヒキサ]げてもらひたいのだ、所が、乃公[オレ]が毎[イツモ]のやうに今日は引退[ヒキサ]げない、其処へお前が来たらう、さあ極[キマリ]が悪かつたのだ。而[ソウ]して、乃公[オレ]が又[マタ]目の前で気の毒な事を爆然[パッパッ]と言ふだらうと思つて、耐[タマ]らなくなつて迯出[ニゲダ]したのだ。」
「あゝ然[ソウ]でしたか。それぢや私[ワタクシ]は下へ行つてゐませう。私が居ると窮屈ですつて?」
「窮屈ださうだ。」と葉山は笑ふ。
「ぢや下へ参りますから……。」
「下へ行つたら鷲見を寄来[ヨコ]してくれ。」
「何処へ御出[オイデ]なすつたのです?」
「いづれ御下屋敷[オシモヤシキ]だらう。」

御下屋敷とは便所のことです。

というところで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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