#233 再び吉住という男について
今日も坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでいきたいと思います。
第十五回は、角海老の顔鳥の座敷で、お秀さんと源さんという男女が何やらヒソヒソ話をしているところから始まります。この日はちょうど花柳病検査の日で、皆検査場へ出払って座敷はひっそりとしています。すでに検査場から帰って来た娼妓も疲れ果てている様子で、それぞれの寝相で休んでいます。お秀さんの声は、静かな楼中の戸の外に微かに漏れ出ているようで、その声を聞いてみると、何やら悪いことを企んでいるようですが、ここで、明け方にも関わらず、お客として吉住さんがまたまた登場します。妓楼たちに昨夜は何処にいたのか問われて、真偽をはぐらかそうと、新聞を読もうとしますが、お秀さんや顔鳥がそうはさせまいと邪魔をします。ところが、吉住さん、その時、偶然、その新聞に載っている人探しの広告に目が行きます。その広告とは、第四回で話題となった、上野戦争で妻・娘と生き別れになった守山くんのお父さんが出しているものでした。ところが広告の差出人には、「鈴代つね」という名前が…。「つね」といえば、かつて、小町田くんのお父さんの妾だったお常さんしか思いつかないのですが…。ともかく、この新聞広告を顔鳥が見たことによって、顔鳥と守山家の距離がだんだん近づいている予感を抱かせます!というのも、かつて、守山くんの羽織を着た倉瀬くんがお客としてやって来た時、顔鳥は、その羽織に描かれた紋が気になったんですよね。なぜなら、母の形見の脇差の紋が、羽織の紋と同じだったからです。ということは、もしかしたら、上野戦争で生き別れた娘とは顔鳥のことで、守山くんの実の妹かもしれないのです!さて…お話は、吉住さんという男について言及します。
もと吉住といへる男は、きはめて嫉[ネタミ]ぶかき性[サガ]なるゆゑ、些細[ササイ]の事をも聞[キキ]ひがめて、智慧がついた洋犬[カメ]の子同様、むやみにチンチンをしたがる質[タチ]なり。
何度も言っていますが、ここでいう「チンチン」は「嫉妬」のことです。
久しく顔鳥の許[モト]へは通ひて、多少わるくなく遇[ト]られた事ゆゑ、自然足しげく通ふうちには、いくらか花柳界の情にも通じて、例の持前[モチマエ]の気取だけは、ちかごろめっきりと減りたりしが、まだ生得[ウマレツキ]の甚助ばかりは、さすがに止[ヤ]められぬ事と見えて、お秀と顔鳥の話の様子を、少し変だと疑念を起して、
「あるひは守山といふ男は、内々[ナイナイ]情人[イイヒト]か何かであるので、わざとその名前を担[カツ]ぎだして、聞えよがしにおれの前で、かくは馬鹿にしていふのであらう。その手はたべぬ」と邪推をなし、帰る帰るとジャジャばれども、その実帰りたくもないのと見えて、わざと紙入[カミイレ]を忘れた手際[テギワ]は、廊下で立留[タチドマ]らむ寸法なるべし。お秀はやうやうに追すがりて、
秀「お待なさいてッたら。マアおいでなさいヨ。昼日中[マッピルマ]、なんですネエ。」
吉「なんですたアなんだ。アア、しまった。紙入を忘れた。取てきてくれ。」
ただの子供ですね!w
秀「サア、紙入をあげますから、マアともかくも、エエお出[イデ]なさいといふに。」折からいでくる以来[イゼン]の源。
源「ハハハハハ、吉住さん。大層おはようございますネ。」
秀「源どん。わたしの倅[セガレ]は、実にわんぱくで、浮気で、ほんにほんに困り切るよ。今もネ外[ホカ]へゆかうと思つて、だしぬけに帰らうとするんだヨ。惘[アキ]れかへるぢゃアないか。おめへ後[ウシロ]からおしておくれな。わたしが引張つてつれてゆくから。」
吉「馬鹿ア。おれを山車[ダシ]かなんかだと思つてゐやがる。」
源「ハハハハハハ。方々の芸者衆[ゲイシャシュ]が引張[ヒッパリ]ますから、なるほど山車かもしれませんヨ。ハハハハハハハ。」
ということで、ここで第十五回が終了します。
さっそく第十六回へと移りたいのですが…
それはまた明日、近代でお会いしましょう!