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#1537 今日で『五重塔』読了だぁ!

さて、今日でいよいよ『五重塔』も最終回を迎えました!それでは早速読んでいきましょう!

其三十五

去る日の暴風雨[アラシ]は我等生れてから以来[コノカタ]第一の騒[サワギ]なりしと、常は何処[ドコ]に逢ふても二十年前[ゼン]三十年前[ゼン]にありし例[タメシ]をひき出して古きを大袈裟に、新しきを訳も無く云ひ消す気質[カタギ]の老人[トシヨリ]さへ、真底[シンソコ]我折[ガオ]つて噂[ウワサ]仕合[シア]へば、まして天変地異をおもしろづくで談話[ハナシ]の種子[タネ]にするやうの剽軽[ヒョウキン]な若い人は分別も無く、後腹[アトバラ]の疾[ヤ]まぬを幸ひ、何処[ドコ]の火の見が壊れたり彼処[カシコ]の二階が吹き飛ばされたりと、他[ヒト]の憂ひ災難を我が茶受[チャウケ]とし、醜態[ザマ]を見よ馬鹿慾[バカヨク]から芝居の金主[キンシュ]して何某[ナニガシ]め痛い目に逢ふたるなるべし、さても笑止[ショウシ]彼[ア]の小屋の潰れ方はよ、

『五重塔』は1891(明治24)年11月から1892(明治25)年3月にかけて連載されたものですが、1891(明治24)年9月30日の台風による被害で、赤坂溜池町に建設中だった福禄座という小劇場が崩壊するという出来事が起きています。どうやら着工以前から苦情の絶えない計画だったようで、着工後も資金が足りずに建設が途中で止まり、その間に台風被害で崩壊したようで、「馬鹿欲から芝居の金主……」はそれをネタにしているのではないかといわれています。

又日頃より小面[コヅラ]憎かりし横町[ヨコチョウ]の生花[イケバナ]の宗匠が二階、御神楽[オカグラ]だけの事はありしも気味[キビ]よし、それよりは江戸で一二といはるゝ大寺[タイジ]の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒[ダント]から多分の寄附金集めながら役僧の私曲[ワタクシ]、受負師[ウケオイシ]の手品[テジナ]、そこにはそこの有りし由、察するに本堂の彼[ア]の太い柱も桶でがな有つたらうなんどと様々の沙汰に及びけるが、いづれも感応寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚剥がれざりしには舌を巻きて讚歎し、いや彼塔[アレ]を作つた十兵衞といふは何とえらいものではござらぬ歟[カ]、彼[アノ]塔倒れたら生きては居ぬ覚悟であつたさうな、すでの事に鑿[ノミ]啣[フク]んで十六間[ケン]真逆[マサカ]しまに飛ぶところ、欄干[テスリ]を斯[コ]う踏み、風雨を睨んで彼程[アレホド]の大揉[オオモメ]の中に泰然[ジッ]と構へて居たといふが、其[ソノ]一念でも破壊[コワ]るまい、風の神も大方血眼[チマナコ]で睨まれては遠慮が出たであらう歟[カ]、甚五郎このかたの名人ぢや真の棟梁ぢや、

ここの甚五郎とは、江戸初期に活躍したとされる伝説の彫刻職人である左甚五郎(生没年不詳)のことですね。

浅草のも芝のもそれ/″\損じのあつたに一寸一分歪[ユガ]みもせず退[ズ]りもせぬとは能[ヨ]う造つた事の。いやそれについて話しのある、其[ソノ]十兵衞といふ男の親分がまた滅法[メッポウ]えらいもので、若[モ]しも些[チト]なり破壊[コワ]れでもしたら同職[ナカマ]の恥辱[ハジ]知合[シリアイ]の面汚[ツラヨゴ]し、汝[ウヌ]はそれでも生きて居られうかと、到底[トテモ]再度[フタタビ]鉄槌[カナヅチ]も手斧[チョウナ]も握る事の出来ぬほど引叱[ヒッシカ]つて、武士で云はば詰腹[ツメバラ]同様の目に逢はせうと、ぐる/\/\大雨を浴びながら塔の周囲[マワリ]を巡つて居たさうな。いや/\、それは間違ひ、親分では無い商売上敵[ショウバイガタキ]、と我れ知り顔に語り伝へぬ。
暴風雨[アラシ]のために準備[シタク]狂ひし落成式もいよ/\済みし日、上人わざ/\源太を召[ヨ]び玉ひて十兵衞と共に塔に上られ、心あつて雛僧[コゾウ]に持たせられし御筆[オフデ]に墨汁[スミ]したゝか含ませ、我[ワレ]此[コノ]塔に銘じて得させむ、十兵衞も見よ源太も見よと宣[ノタマ]ひつゝ、江都[コウト]の住人[ジュウニン]十兵衞之[コレ]を造り川越源太郎之[コレ]を成す、

江都とは江戸のことです。

年月日[ネンガッピ]とぞ筆太[フデブト]に記し了[オワ]られ、満面に笑[エミ]を湛[タタ]へて振り顧[カエ]り玉へば、両人ともに言葉なくたゞ平伏[ヒレフ]して拝謝[オガ]みけるが、それより宝塔[ホウトウ]長[トコシナ]へに天に聳えて、西より瞻[ミ]れば飛檐[ヒエン]或時[アルトキ]素月[ソゲツ]を吐き、東より望めば勾欄[コウラン]夕[ユウベ]に紅日[コウジツ]を呑んで、百有余年[ヒャクユウヨネン]の今になるまで、譚[ハナシ]は活きて遺りける。

今に語り継がれる百年以上前の話だったんですね!

というところで、『五重塔』は終了します!

前半はずいぶんと展開がのんびりとしているなぁと思ったのですが、後半の暴風雨のシーンは露伴の真骨頂という感じで面白かったですね。

さて、このあとは、再び尾崎紅葉へと戻りたいと思うのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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