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#1201 飼われては鼠を捕るが猫の務め

それでは今日も尾崎紅葉の『三人妻』を読んでいきたいと思います。

今日の花見を近づきに、これからは心やすく出入りくださいというお麻の言葉を有難くお受けしてお開きになります。帰りの馬車の中でお麻は、あの三人には大抵の男は殺されるだろうと言います。紅梅は心かしこく、お才は張り強く、お艶は無垢である。紅梅は床の口説、お才は酒のお酌、お艶は茶漬けの給仕と役割で例え、余五郎とともに笑います。余五郎は、一番のお気に入りは誰と問われ、お才は物足りない、お艶は素気無い、紅梅は昔ならお家騒動のもととなる曲者と言って、お麻は笑います。その後、紅梅は月に二度ほど通い、お才お艶は二か月に一度ほど尋ねます。

お艶には意地から思ひを繫[カ]け、お才は浮気から靡[ナビ]かせ、紅梅には余五郎も心[シン]の底から惚れたる気味あり。地女[ジオンナ]なれど天性[テンセイ]備はる男殺し。格別巧みていひ出すにもあらぬ辞[コトバ]に情[ナサケ]を含みて、何処に一つ媚[ナマメ]かぬ処も無く、とても拵[コシラ]へもの〻売色[クロウト]が及ぶことにはあらず、樹に咲ける花と絹糸細工[キヌイトザイク]の剪綵花[ツクリバナ]とのごとし。
男も茲[ココ]に執着して、一際[ヒトキワ]憎からぬ思ひあるに、尚お麻の陰[カゲ]ながら誉[ホ]むるが力を添へて、いとヾ可愛[カアユ]きものになれば、深川の道の外[ホカ]はおのづと忘られぬ。
もとが菊住への意地から、さうした事情[ワケ]のお才の心には、微塵[ミジン]も余五郎に好[ス]いたる処あらねば、思はれてからが嬉しくもなければ、疎[ウト]まれたとて苦労にもならず。何分[ナニブン]とも宜敷[ヨロシキ]やうに先様[サキサマ]次第と構へて、之が御意に召[メ]さず、飽かれて棄てられたらば棄てられた時、最一度[モウイチド]左褄[ヒダリヅマ]も可笑[オカシ]かるべし。

芸者が左手で着物の褄を取って歩くところから、芸者勤めすることを、「左褄を取る」といいます。

色も慾も離れたる身に、一月[ヒトツキ]は扨置[サテオ]き、半年お出[イデ]が無くても子細[シサイ]無けれど、飼はれては鼠を捕るが猫の務[ツトメ]、鼬[イタチ]の道を切りたる旦那殿を、恋[コ]ひしさうな顔もせずに、怨言[ウラミ]の一句[ヒトツ]もいうてやらずば、月百円といふ扶持[フチ]の手前も冥利悪く、惚れましたといふよりは、怨言[ウラミ]いふを男は悦ぶものと、知りながら悦ばさぬも罪深し。近頃久[ヒサ]しう髯殿[ヒゲドノ]の見られぬは、畳も青い内のお艶いぢめに精が出られるのか、若又[モシマタ]風など引かれてか、北の方[カタ]にも久しうお目通りをせねば、其[ソレ]をも兼ねて、殿様の安否[オトヅレ]を聞かんと、本宅を訪[タズ]ねける日余五郎は留守にて、奥の別室[ハナレ]に遠音[トオネ]幽[ユカ]しく、お麻を正座[ショウザ]に紅梅が琴を調べてゐたりけるが、お才の入来[イリク]るを流盻[ヨコメ]に見て、手をも停[トド]めず、悠々と一段仕舞ひて、それからの挨拶が、つんとして言寡[コトバスクナ]く、横柄[オウヘイ]なる物の言様[イイヨウ]、音羽の花見の時とは人の違[チゴ]うたか、と想ふほどの見識になりぬ。
今は朋輩なれど、此間[コノアイダ]までは雪村の私窩子[ジゴク]に、卑[ヤス]くさるゝ我にあらず、と気嵩[キガサ]なるお才は胸に蓄[ス]ゑかねて、口に唾[ツ]のたまるほど言ひたかりしを、お麻に遠慮ありて辛抱すれば、小癪[コシャク]に障[サワ]る挙動[シウチ]いよ/\眼に余りて、此上[コノウエ]に勘辨[カンベン]の仕様もあらず。長座[ナガイ]せば事を起[オコ]さむと、立際[タチギワ]に紅梅を睨[メ]めつけて、ちとお遊びにお出[イデ]なされまし。

というところで、「後編その四」が終了します!

さっそく「後編その五」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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