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休職生活中間報告 双極性障害と焚火の効能

休職している
いくつかの記事で散発的に言及しているけれど、僕は今精神疾患の状況が悪化し休職中だ
もうふた月くらいになる
世の中にはメンタルを壊して仕事を休んでいる人はたくさんいると思うのだけれど、そういう休職をしたことがないという人のほうが圧倒的に多いと思う、当たり前だ

この記事は、そういうみなさんに休職というものを知ってもらいたいという大それた話でもないし、僕は代表的な精神疾患患者ですと言うつもりもサラサラない(むしろ、どちらかといえば僕は精神疾患患者の王道的なタイプではなくてちょっとおかしなタイプなんじゃないかなという気がする)
そうではなくて、「こんな風に休職生活を過ごしている人もいるよ」くらいの感じで、もし興味があったら読んでみていただきたいという気持ちと、自分自身のためにここまでの休職生活について一応言語化してまとめておくのも良いのかな、というくらいの軽い気持ちで今パソコンに向かっている


僕の病気の状況やこれまでの経緯、それから今回の休職に至る経緯については、他の記事にも書いているのでここに改めて書くと長くなるし、既に書いた記事を読んでくださった方には同じ話を何度も聞かせるのは申し訳ないので、このあたりについては以下の記事をご確認いただければと思います

僕と精神疾患(双極性障害)との馴れ初めやらお付き合いの様子やら精神病院での暮らしについてはこのあたりの記事をお読みいただければ↓

今回の休職の経緯についてはこの記事の後半くらいに書いてあります↓


さて、そんなわけで休職中の暮らしについて
まず、「中間報告」というタイトルにしたのだけれど、今月いっぱいで終わりと思っていた休職がもう少し伸びそうな雲行きになってきた

今は調子がいいと2週間おきに、少し塩梅が悪いと1週間おきに精神科の椎名医師を受診する
前回の受診でも椎名医師はいつもと変わらない調子だった
彼がいくつか質問をし、僕がしどろもどろになりながら近況についてぼそぼそと回答する
ぼくの支離滅裂な回答を椎名医師はしっかりと「傾聴」してくれる
とても良い先生なんだ
ひととおり僕が説明をすると椎名医師は少しキーボードをたたき、僕のほうを向き直ると
「堀込さん、もうひと月復職は待ちましょうか」
と言った
椎名医師という人は物腰は柔らかいけれども言葉遣いについてはあまり無駄がない人だ
「申し訳ないのだけれど」も「残念ながら」もなく、ただ「もうひと月待ちましょうか」と言った
医師として当然の考えを言ったまでですよ、という雰囲気だ
正直に言えば、「まあそうでしょうね」というのが僕の感想だ

僕の知る限り精神科医というのは大変に慎重な人種だ
そろそろ復職してもいいかな、と思えば「念のためもう少し休みましょう」と言うし、入院していて「そろそろ退院してもいいのでは」と思っても「もう少し様子を見ましょうか」という
最初はこういうのがとても嫌だった
退院できる、社会復帰できる、という期待が折られるからだ
特に入院というのは社会から断絶されているから、患者側としてはできるだけ早く退院したいと願うものだ
一般論として、あまり長い入院期間や休職期間を最初に提示すると患者側が抵抗したり心が折れたりするから医師は最初は短めの期間を「とりあえず」提示するのではないかと思う
だから結果として「延長」と言われることが増える
これにイライラしてしまうんだ
だけれど、病気との付き合いが長くなってくると医師の姿勢が正しいことがわかるし、患者を第一に考えていてくれていることもわかる
患者はたいてい早期の復帰を求めるけれど、早めに復帰していいことなんて何もない
僕が入院している間にも、半ば強引に急いで退院していった人が再入院して来るという場面に何度も出くわした
復職したひとが再度休職するのも目にしてきた
そしてそういう人は往々にして、失敗した、ダメだった、というように自信を喪失することになってさらに状況を悪化させているように見えた
だから医師が慎重に社会復帰のタイミングを見極めるのは意味のあることだと僕は思う

とは言いつつも、一応「え、またですか」という小さな反論を試みる
椎名医師はニッコリと歯を見せて笑う
「僕の患者さんには1年以上休職している人もいますからね、堀込さんもあんまり慌てないで、ほら、今は体と心を休めるときですから」

そんなわけで僕は休職の再延長を言い渡された
一応、次回の受診で確定することになっているので、まだ本決まりではないけれど


休職中に何をして過ごしているのかという話だけれど、実際のところは何もしていなことが多い
というか何もできない状態であることが多い

何かをしようと思っても体が動かないという状態だったりする
僕も休職してしばらくはそうだった
外出は近所のスーパーがやっとだし、なんなら風呂に入るのも億劫だ
ベッドから出られないという日も珍しくない
休職中に映画でもたくさん見るかとネットフリックスの契約をしようと思ったけれども、契約のためにスマホを少し操作することが面倒で登録するまで数日かかった(結局たいして見ていないけれど解約手続きも面倒でお金だけ払っている)
そのころ椎名医師からは「温泉にでも行ってのんびりするとかそういうことだってしていいんですよ」なんて言われたのだけれど、とても温泉旅行する気力なんて湧いてこない

でも、調子が良くなることもある
最近はわりと調子がいい
躁を抑える薬はそのまま、抗うつ剤を少し増やしたことが良かったのかもしれないし、仕事を離れて療養しているのが奏功しているのかもしれない
そんなときは買い物をしたりドライブをしたりする
でも土日は少し怖い気がする
会社の同僚とばったりと出くわしてしまったらどうしようと思うからだ
「あいつ休職してるのに遊んで歩いているのか」と思われるのはなんだか嫌なのだ
ど田舎暮らしをしているわけではないから、ちょっと街に出ればすぐに知り合いに会ってしまうということはあまりないのだけれど、そういう時に限って誰かにあったりするものなのだ

温泉に行く気力がない、ということを書いたけれど、実は僕は休職中に焚火をしている
焚火
薪(まき)や枯葉を燃やす、あの焚火だ
僕はマンション暮らしだし住宅街に住んでいるから、もちろん自宅近くで焚火をすることはできない

わざわざ車に乗って焚火ができるキャンプ場まで行って焚火をする
近くても車で一時間以上はかかる
なぜわざわざそんなことをするかといえば、薪が燃えるのを見るのが好きなのだ
薪が燃えるのを眺め、パチパチと薪がはぜる音を聞くととても心が落ち着く
寝つきが悪い人向けにyoutubeに入眠用の音がいろいろあるでしょ、雨の音とか、川のせせらぎとか、飛行機の客室内の音とか、クリスタルボウルの響く音とか
そういう中のひとつに焚火の音とか暖炉の音があって、僕はこれが好きで眠れない夜に時々寝室で流している
要するにこれを生で聞きたい、ということだ

キャンプ場ならどこでも焚火ができるわけではない、というか焚火はNGというキャンプ場のほうが多い気がする
焚火がOKでも、直火と言って地面で直接焚火ができるところは少なくて、焚火台というものを使って焚火をすることが多い
キャンプ場を手配する、キャンプ場に薪の準備がなければホームセンターに行って薪を買う
薪にも種類がある、針葉樹と広葉樹
針葉樹の薪は油を多く含むから燃えやすく火付けがしやすいかわりに燃え尽きるのが早い
広葉樹の薪は固いから火が付きにくいけれど、一度火が付くとゆっくり燃えるので長持ちする
僕は焚火を見るだけだけれど、もし焚火で調理をするなら針葉樹でやると煙が多いから鍋の底がすぐに真っ黒になってしまう
とにかく薪を買う、針葉樹広葉樹あわせてできれば10キロくらい買いたいな
あとは車に着火剤と火ばさみと防火グローブとバケツなんかを載せておけばよい


大きな薪に直接火をつけようと着火剤の火を当ててもなかなか薪に火はつかずすぐに消えてしまう
だから鉈やナイフを使って割りばしみたいに細くした薪、もう少し太い薪を作らなければいけない
刃物を使うから集中する
そうすると頭の中が空っぽになるのがとても良い
うつの状態の時ってずっと頭の中に色々な考えが渦巻いていて常に混乱しているみたいな状況になることがある
だから頭の中が空っぽになるというのは精神衛生上とても良いことのように思える
僕は趣味で楽器演奏をするのだけれど、これも集中して演奏するため頭の中が空っぽになってとても良い
趣味ってそういうものですよね
目の前のことに集中して余計なことを考えずに済む
じゃあうつの時には趣味に没頭すれば良いではないかという話になるのだけれどそうは問屋が卸さない
うつの状況が悪くなると趣味に手が付けられなくなる
趣味が億劫になってしまう
楽しくないしやりたくない、という状態
うつが悪いから趣味がつまらなくなるのか、趣味がつまらなく感じたらうつが悪化しているということなのか、鶏が先か卵が先か的状況だ
以前、認知症の専門家の方とお話をした時に教えていただいたのだけれど、認知症のセルフチェックや初期症状の中に「長年続けていた趣味をやめてしまった」という項目があるらしい
やはり趣味というのは生きていく上で大事なものなんだな、仕事以外に趣味を持つことは必要だよな、なんて思ったりする

話が逸れた
焚火だ
とにかく無心に薪を割って、着火剤の上に細い薪か小枝や枯葉なんかを置く
今の時期、北海道ではいくらでも落ち葉が落ちているからそれを使う
着火剤に点火して少しずつ炎を大きくしていく
はじめに針葉樹を使って、安定してきたら広葉樹を使う
バーベキューの時の炭の火起こしに似ている
炭の火起こしのほうが簡単だけれど

あとは簡単だ
じっと燃える炎を見つめる
パチパチと薪のはぜる音に耳を澄ます
ただそれだけ

本当は焚火の音を聞きながら眠りに落ちたいのだけれど、火事になってしまうから眠ることはできない

この時期、もう北海道の夜は寒い
暖かい格好をして、暖かい飲み物を飲む
時々炎の中に薪を投げ入れる
雲がなければ星を眺める(びっくりするくらい星がきれいだ)
周囲から時折話し声や笑い声が聞こえる
とても楽しそうに見えるグループもいれば、何かを考えならが星空を見つめている一人キャンパーもいる
自然は厳しいけれど、自然は優しく美しい
そしてその優しさと美しさで僕の心を澄んだものにしてくれる
腹が減ってきたら最初に焚火の中に仕込んでおいた新聞紙とアルミホイルで包んだサツマイモを取り出して食べる
焚火で焼いた焼き芋はとても甘くトロっとしている
気が向けばもっと気の利いたものを食べてもいいけれど、別にキャンプに来たわけじゃない
あくまでも僕は焚火をするためにわざわざ遠出してきたのだ
焚火の副産物として、やむを得ず、とろっとろにとろける甘美な焼き芋をおいしく食べたりしているわけだ


薪をすべて燃やしてしまい火の勢いが弱くなるころ、とても心の中が静かになる
焚火台の中に燃え残った僅かな薪が赤く光っているのを見つめながらまたひとしきりぼんやりとした時間を過ごす
そして薪がきれいさっぱり灰に変わってしまえば焚火は終了だ

けっこうな手間と時間がかかる
それに焚火をすると服がびっくりするくらい臭くなる
でもそんなことがどうでもよいことに思えるくらい炎を眺めるという行為は僕の心を落ち着かせ、静かにし、温めてくれる
とても素敵なことだ
唯一残念なことは、精神の状態が比較的良いときでないとこんなアクティブな行動はできないということだ
本当に炎を見つめることが必要な時にはベッドから出られない
「逢いたい時にあなたはいない」の中山美穂と大鶴義丹みたいだ


休職している間、趣味で所属している吹奏楽のバンドの練習はお休みしているけれど、一人で楽器の練習をしたりするし、そうでないときは家ではたいてい何かしらの音楽を聴いている(僕はテレビを全く見ないから、家にいればほとんど一日中何かの音楽をかけている)
調子が良ければ、少人数のアンサンブルをやったりする(5人くらいでやるやつだ)
あるいは子どもと会って公園へ遊びに行ったりする

こんな風に自分にとって幸福で快適で楽しいことを、楽しいと思えるタイミングでやっている
どんなに好きな音楽も、聴きたくないと思う日がある
どこにも出かけられない誰にも会えない、そんな日もある
メンタル疾患を患うと自分の思うようにいかない日がたくさんある
だからこそ、楽しみたいことを楽しめるタイミングでやってみることは大事だし、それによってさらに調子が上向いていくという効果もあるような気がする
映画を見に行くのでも、ドライブでも、電車に乗ってどこかに行ってみるでも、図書館に行ってみるでも
そういうことはとても大切なことだ
だから「休職中なのに遊んでいる」と思われたらいやだななんて思わないで自分の気持ちの赴くままに好きなことをやったらいいと思うんだよね


僕の暮らす街ではもう雪虫が舞っている
そろそろ冬用タイヤのCMもやっているんじゃないかな
もうすぐこの場所には寒くて長い冬がやってくる
雪が降る前にできることはできるだけやっておきたいな
冬眠前のリスがたくさんのドングリを集めるみたいに

今のところの僕の個人的な目途としては年内に復職できればいいなという感じで、のんびりした気持ちで構えている
仕事とかお金とか、いろいろと問題はあるけれど「きっと大丈夫」と根拠なく信じて、好きに生きることを最優先にさせていきたい


激しい雨を降らせる巨大で真っ黒な雨雲が頭の上をゆっくりと通り過ぎていく
なるべく頭を低くして、それが通り過ぎるのを待っている
それがすっかり通り過ぎてしまうまでは頭を上げてはいけない


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