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精神疾患の話、父の話(1/n)

近所の小学校の向かいの二階建ての戸建て住宅の前で小学生が花火をしていて、それを父親らしき人物が無言でスマホに収めている
特に会話もなければさほど楽しそうにも見えない
だいたい、もう花火をする季節ではないのだ
9月の末の土曜の夜
北海道のこの季節はもう肌寒い
パーカーでも着ないとじっとしていられない

僕は近くのファミリーマートまで行って煙草とミックスナッツとジャスミン茶を買って、歩きたばこでスマホを見ながら歩いていたのだけれど、花火独特の火薬のにおいが鼻腔をついて、それで彼らのことを眺めるでもなく眺めていた

最後に花火をやったのはいつだったろう、と考えてみる
意外と最近のことだ
先月、8月
小学校低学年の息子(と言ってもぼくには親権がないのだけれど)と花火をやった
そもそも市内の公園は花火が禁止されているし、僕も、僕の元配偶者(僕の息子の母親だ)もマンション住まいだから花火をやる場所がない
だから彼は花火をやったことがないという
それで、今年の盆に元配偶者の両親の墓参りに行くついでに貸別荘みたいなところを借りて(ログハウスみたいなやつだ、わかるかな)、そこで花火をやった
彼はずいぶん緊張した面持ちで、僕に言われた注意事項を守って腕をまっすぐにピンと飛ばして花火を一袋、一人で全部やって、とても満足そうな顔をしていた
だいたい、彼はいつも家でYouTubeやらゲームやらそういうものばかりやっているから、山小屋に泊まるみたいなことにすごくテンションが上がっていたんだと思う
僕にしたって息子と一緒にそういうようなことをしたことはないから、みんなテンションが上がっていたんだ
まるで幸せで平凡な家族みたいだったな
貸別荘の管理人が僕のことを「ご主人」、元配偶者のことを「奥さん」と呼んでいたんだけど、まぁわざわざ訂正するのもおかしいから特に何も言わなかったのだけれど、確かに傍から見れば幸せそうな家族に見えたのかもしれない
僕だってなんだか幸せな気分だった

季節外れの花火のにおいをかいでひと月ほど前のことを考えるともなくぼんやりと思い出していた
花火のにおい、蝉の鳴く声、草いきれ、蚊取り線香のにおい、古いログハウスの冷ややかな空気、そういうものがぼんやりと入り混じったものだ


ここ最近タバコを吸う習慣が身についてしまった
大学に入ったころに吸い始めて今から10年くらい前に禁煙していたのだけれど、ここ最近またタバコを吸い始めた
きっかけは何だったかな、よく覚えていないな
最後に僕がメンタルを持ち崩したのが10年くらい前のことだから、きっとまぁ精神的なものが原因だろうとは思う
僕は調子が悪いと何かしらのものに依存しがちなんだ

ちょうど子どもと花火をした少しあとくらいからメンタルのバランスが少しづつ、でも確実に崩れていくことを自分でも感じていた
メンタルを持ち崩すときはいつもそうなのだけれど、崩れていくことはわかっているのに、それをどうにかする術を僕はいつだって持ち合わせていない
大雨でがけ崩れが起こる映像をニュースなんかで見ることがあるけれど、最初は少しずつ、やがて一気に崖は崩れ家は押しつぶされる、それを押しとどめる術はなくただただ逃げるよりほかに手立てがない
それに似ているんだよね
でも、それとは少し違ってメンタルを持ち崩すとき、逃げる場所はない
崩れてくる崖の下でただ土砂に押しつぶされるのに耐えるより仕方がない
うまく堪え切れれば運がいい、そんな感じだ

そんな風にしてぼくのメンタルは北海道の短い夏が去っていくのと軌を一にして、一気に崩壊していった
今回は実に圧巻というべき見事な崩れ方だった
ここ10年で何とかかんとかやってきた「まっとうな」生活を簡単に吹き飛ばしてしまうような見事な崩れ方だ
メンタルに疾患を持っている人ならわかると思うのだけれど、社会で日常生活を送りながら病気と付き合っている人は、いつも大なり小なりのメンタルの波みたいなものに揺られている
ああこのところ調子がいいなぁとか、なんだかちょっと塩梅が悪いなこりゃちょっとおとなしくしておいたほうがいいぞとか、あるいは、ちょっと病院の受診の時に薬をうまい具合に調整してもらおうとか、そんな風にしながらメンタルの波をなんとか凌いでいる
そもそも病気なんだからいい時ばかりが続くなんてうまい話はないのだ

とにかく僕のメンタルは8月の終わりとともに大変芳しくない状況に陥った
それで、車に乗って主治医のところに話をしに行った
椎名、というのが僕の主治医の名前なのだけれど、彼は僕の話をどことなく上の空みたいな感じで時々、うんうん、そうね、なんて相槌を打ちながらひとしきり聞くと、
「あぁ、堀込さん、これは良くないね、入院ってほどでもないと思うけど、とりあえず仕事は休んだほうがいいと思うよ」
というと、僕に入院と自宅療養のどちらがいいかを尋ねた
経験上、入院というのは社会との関係が完全に切れてしまいがちで仕事への影響も大きいし、「とりあえず1か月入院しましょう」と言われて本当に1か月で退院できた人をあまり見たことがないから、やっぱりここは在宅療養で行こうかななんて思って、「家で療養します」とぼそっと言うと、椎名医師は目の前のパソコンですぐに会社に提出する診断書を作ってくれた
そして薬の増量と週に一回の受診が命じられた
わずか15分ほどの受診で9月の僕の仕事は飛んで行ってしまった
まぁ仕方ない、会社に行ったとて、まともに仕事ができる状況でもないんだ
ついでに言えば、そのちょうど一週間後の受診で椎名医師は僕に「10月からの仕事の復帰には賛成できないな、少なくとも10月も仕事は休んでください」と言い渡した
かくして、僕の秋は自宅療養の季節となった
やっぱり医者が言う「1か月だけ」は信用ならないんだ

(続)



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