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源泉回顧録【山形 肘折温泉の思い出②】

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 年越しを肘折温泉で迎えることを目標に自宅でのリハビリが続く。
不眠の症状は相変わらず体調は一進一退、「朝方日光を浴びると良い」、「不眠には頭皮のマッサージが効く」、「ラベンダーの香りは睡眠の質が向上する」、様々な情報を集め可能な限り取り入れた。
 円柱型のストレッチポールやヨガマットなどの健康器具も購入し、毎日睡眠前に実践。食欲は湧かないものの決まった時間に腹に押し込んだ。

 どれだけ痛くとも朝は6時から散歩。最初は家の周りを2周。少しずつ距離と時間を延ばした。特効薬となるものはなかったが、1週間もすると500m離れた公園まで独歩できるまでに回復。ほとんど一睡もできなかった日もあったが、”必ず肘折へ” と、自身を鼓舞した。


 通院は続いており、癌や白血病などの進行性の病ではないことが確認された(入院当初それに近しいフェリチン異常値が確認されている)。しかしこれと言った治療法もなく、医師は薬の種類を変えようとするだけだった。
 長年服用し続けてきた鎮痛剤などの薬の数々。このころには、「どうせ効かないだろ」と少々卑屈になっていた。素直に効くと信じて服用していればいくらか違ったかもしれない。

 だがどうも腹に据えかねる医師の言葉、「あまり効かないとは思いますけど、、」と、処方の際に余計な一言が添えられた。絶対に不必要な言葉を何故漏らすのか、所詮他人事なのだろう。
 
 
 会社は長期で休みを取っていたが、時折上司と後輩が自宅近くまで見舞いに来てくれた。勤務地からは決して近い距離ではない。心遣いが身に染みた。
 堕ち合う場所は駅前の喫茶店、自宅から1.5キロ離れた場所を敢えて指定する。ゴールが明確になると、いつもの散歩以上に気合は入る。最初は激痛を伴い、途中休憩を挟みながらの歩行だったが2回目には一息で歩いた。
 
 入院中に軽く心理学にも触れた。人間は成功率50%の目標を設定した時が最もパフォーマンスを発揮できるそうだ。この時12月初旬、このまま順調に容態も回復すればとも期待し、10日後に湯治へ発つことを決意した。



 勿論いきなり肘折温泉まで行くことはできない。湯治や療養を目的とする宿に連泊をしながら、様子見つつ北上していく。保険証を携帯し、容態が崩れるようであればその地で延泊。途中引き返すことも想定していた。
 湯治宿が満室になることなどまずない。不用意なキャンセルをしない様、宿は当日~2日前に予約サイトで押える。ネットで出ていなければ直接電話をすると予約が取れたりした。
 少々無鉄砲だが”どうせ拾った命”とばかりに半ば開き直っていた。


 この時期心配なのは寒波。ライブカメラを注視し、行政のHPで交通状況を毎日朝晩確認。途中、群馬県北部のみなかみ町から新潟県南魚沼地区において記録的な豪雪となった。2,000台の車を巻き込む大事故になり流石に肝を冷やした。
 そのころ私は進路を西に取り、長野の宿で湯治をしていた。県中心地から十日町へ抜けて訪越、ライブカメラの情報の通り山肌には多少雪が被るものの車道には積雪がない。
 テレビを点ければ大雪のニュースばかりが報じられ不安を煽る。だが、記録的な豪雪となったのはみなかみ町藤原地区から南魚沼石打塩沢までと局所的なもの。六日町の街中を抜けている際。
 「あれっ 今魚沼市にいるのに積雪がないぞ、、」
少々過剰な報道に首を傾げた。
 

 湯治に出てからペースは順調だった。出発から10日余り経過し、山形県内を北上。痛みは少しずつではあるが治まっており、何より睡眠時の発作や悪夢のない安穏とした夜が有難かった。睡眠中に舌を嚙むこともなくなっていた。

 12月28日、遂に新庄市から肘折温泉へ。実は数日前からこの日に肘折に入ることを策謀していたのだ。出発直後に第一党の目玉政策「GoToトラベルキャンペーン」が28日に一時中止されることが決定した。
 
 大蔵村のカルデラの中、そもそも国の政策も及ばぬ辺境地(失礼、)、1泊料金4千円台の湯治宿がゴロゴロしている。キャンペーンもへったくれもないのだ(勿論対応していた宿もある)。
 ここに来る道中はキャンペーンの恩恵に預かり、ここから先はそもそも対象外の湯治場ゾーンへ。ここで年越しを迎えることは確実となった。


 
 日本一の豪雪地帯とも言われる肘折温泉。カルデラに向かうに連れ両サイドの積雪は厚みを増す。運転に多少の心配もあったものの、この地では数年前から豪雪地であることを逆手に取り、「ドカ雪キャンペーン」を実施している。前日の積雪量に応じて宿泊費を割引するというものだ。

 4mにも及ぶという雪の回廊は街の観光資源にもなり、地元民が力を合わせ雪下ろしをする光景は風物詩ともなった。国道458号線には次々とラッセル車が通り、1200㏄の愛車を先導してくれるよう。運転の不安は杞憂に終わった。


 遂に念願の肘折温泉に到着。宿泊は最も安く、公式サイトでも”大正・昭和の世界観”を謳う「三春屋旅館」。言い方を変えると、「ボロい」。
 ギシギシと軋む床と襖仕切りの部屋、内鍵などかからないバリアフリー空間。だが平癒だけを願い発ったこの地、求めていたのはこれ以上でも以下でもない。

 宿に到着し、食材の仕入れにとすぐ近くの「カネヤマ商店」へ向かう。この街では何でも揃うコンビニの様な店、、と前訪の際に認識していた。
 だが、店内に入ると想定外のことが起きていた。


                         令和2年12月ごろ

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