夏の湯治⑦【志賀高原~熊の湯ホテル】
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悠々自適な今回の旅。宿こそ数日前に押さえているものの、それ以外の旅程は気分次第。降雨の中、連泊でお世話になった青木村を出て、長野市の北東部にあたる山ノ内町へと向かっていた。
車を走らせる道中、舞い降りてきた一湯。群馬県との県境志賀高原、標高1,700mに位置する「熊の湯ホテル」。こちらも忘れ難き名湯。
あれは5年前、まだ湯巡りを始めたころ。草津温泉から渋峠を越え湯田中方面を目指していた。日本の国道最高地点、標高2,200m付近を通る292号(通称:志賀草津道路)を通過。東京は初夏の陽気、私はTシャツで出発したほどの時節だった、山を舐めていた。
田植えも終わりし6月、2,000mを超えるころ、電光掲示板に映し出される気温は「0度」。一部区間だったが吹雪が舞い始めた。スタッドレスなど履いていない。5m先も見えぬホワイトアウト状態だ。
路肩に一度駐車しようかと何度も頭を過ったが、停まったところ何が出来るわけでもない。徐行しながら山越えをすると少しずつだが霧を抜けて行った。無事ではあったものの、あれほどまでに恐怖を感じたドライブあれが最後。
ホッとした折、見えてきたのが熊のホテルだった。
浴場に入るとおじさんが一人で入浴している。基本の挨拶から。
私 「こんにちは」
男性 「どちらからですか?」
私 「埼玉です。どちらから?」
男性 「従業員です」
私 「それにしても見事な緑礬色ですね」
男性 「今日は不調です。3日前はもっと濃かったのですが、、」
「絶好調の時はもっと凄いです」
天候や時間帯によっても湯の色は変わる。だが初めて来た私には違いが分かるはずもない。あれから何百と湯に浸かってきたことか。
グリーンの国見温泉(秋田)、コバルトブルーの湯布院束の間(大分)、コーラ色の東北温泉(青森)。どれも美しかったが、その度に頭を過る。
「絶好調の熊の湯ホテルはどれほど美しいのだろう」
心底に眠っていた思いが目を覚ました。
5年越しのアタック渋峠。今回も霧に包まれた。時折雨脚が強まり、アクセルを踏み込むもズブい。途中、休憩がてら立ち寄ったのは「志賀高原 道の駅」。かつてバブル期にスキーブームを牽引したこの一帯、林立するリゾートホテルやペンションも営業している気配はない。
昼食はここ一択。「山ノ内 大勝軒」
長野県山ノ内町は、ラーメンの神様と呼ばれた故山岸一雄氏の生まれ故郷。いつか故郷に大勝軒を、という願いのをかなえるため高弟の一人が開業したという。まだできたばかりの新店だった。
待つこと20分で着丼。大学の近くにあったそのままの味。そしてあのままの量。あまりにも有名な話だが、「何故大勝軒は量が多いのですか?」という記者の問いに、山岸氏は「俺が足りないからだよ」と答えたという。
そのDNAは、標高1,500mのこの地でもしっかりと根付いていたようだ。
ここから更に上ること10分。遂に到着熊の湯ホテル。駐車場にも既に漂う硫化水素臭。浴場に向かうに連れて期待が高まる、さあ、今回はどうだ。戸を開けると待っていたのは見事なエメラルドグリーン。先客がいたが露天に出ており内湯を独占した。
湯底に白い湯花が沈み、表層はグリーンティ色。手で掬うと少量だが沈殿した泥がつかめる。湯を揉むと白濁が一気に混交した。
「どうやったらこんなに美しい源泉が出るのだ・・・」
私の知る限りナンバーワン美麗源泉。硫黄含有量は全国屈指。ついつい長湯してしまい身体はグッタリ。
だが、あの時一緒だったおじさんに判定してもらわなければ、今日が好調なのかは分からないのであった。
(※)写真は公式HPから拝借
1時間程の滞在し、渋温泉へと下山。雨は上がっていた。
先ほどまで立ち込めていた雨雲が下界へ、前方には見事な雲海が。こちらも予期せぬ調絶景、野猿も歩く澗満滝展望台駐車場に車を停めワンショット。
この旅初めて観光らしきことをした。
16時に到着。千と千尋の神隠しの舞台にもなったとされ、国の登録有形にもなっている「金具屋」、のほど近くにあるボロ宿「旅の宿 初の湯」へ。昨年末にも連泊でお世話になった旅館だ。
純和風で3階建ての木造建築。こちらもかなり年季が入っているが、値段を勘案すれば文句は言えまい。広々とした和室は石畳向きの開放的な部屋で、金具屋の外観、浴衣姿でそぞろ歩きする観光客、屋根の上を縦横無尽に走り回る猿が見下ろせた。
部屋を案内されると女将さん。
「今の時期は蛍が出ます!私も案内で川向かいにいますので!」
「・・へぇ」
リアクションが取れない親子。
それもそのはず、前日と前々日、私達は青木村で天然蛍を見ていた。3匹目のドジョウはいない。
女将さんは何故我々がノーリアクションだったのか、気付くはずもない。
令和3年6月21日
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