同僚と、湯治に行く⑤【サイクリングで猪苗代湖を目指す】
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湯治生活も終盤に差し掛かったころ。
女性 「お連れさん、肌が随分綺麗になってますよ」
私 「やっぱりそう思いますか?私は毎日見てるから」
女性 「私は4日振りだからかな、全然違いますよ」
チェックインの応対をしてくれた女性。私が一人買い出しに行った帰りにフロントでばったり会った。グラデーションを見ている私以上に、その差にハッキリと気付いたのだろう。
女性 「ヨシタカさん、実は明日は会津若松なの。だからこれで最後」
私 「お見送りしてくれないんですか?さみしいな」
女性 「また来てくださいね」
私 「無論」
こちらのゲストハウス、姉妹店が会津若松にある。そちらには温泉はないようだが、同スタイルの格安プランで、ワークスペースありの宿泊所を経営しているのだという。
私達が滞在した「温泉ゲストハウス湯kori」のスタッフは、皆この2店舗を交番していた。
私 「そう言えば、私は毎日宿の湯に入ってるけど、連れは一回も入ってないかも笑。ごめんなさね」
女性 「いいのいいの。うちに来る人、元湯の湯治客が多いから」
私は朝は元湯を使わず、宿の浴場を利用していた。湯koriは男女別の内湯が二つあり、趣の違う浴室が日替わりになる。50度の源泉を湯量調整により適温配湯し、日本人が一番好むという42度程度で張られていた。
朝はしっかり目を覚ますために、こちらに入り交感神経を刺激。湯触りは非常に滑らかで、アルカリ性の優しい湯は多くの方が好むだろう。贔屓目なしに、こちらの湯は素晴らしい。
私 「H。さっき、お姉さんが褒めてたぞ。綺麗になったって」
H 「あっ、さっき僕も言われました」
私 「そうか、会社のみんなも驚くぞ」
これほどまでに効果が出たのは、元湯源泉の力が大きいのは間違いないが、「転地効果」による影響も小さくはないだろう。
<転地効果とは??>
普段の生活と違う環境に身を置くと、心身が刺激され元気になる、
簡単に言うとこれが「転地効果」。1泊や2泊でも気晴らし的な効果があるけれど、2週間3週間と滞在していると、体の機能が新しい環境に慣れていき、その過程で心身が健康になっていく。
※じゃらん様より引用
活動的なこの旅。更なる転地効果を涵養せんと、私達は当初予定になかったサイクリングをすることにした。
連泊していた宿は、昨年からレンタサイクルステーションにもなっていた。入口に計3台のクロスバイクとロードバイクが立て掛けてあり、以前から気にはなっていた。
郡山市が主催の、Cycle Trip Fukushimaという地域振興の一環。「イナイチ(猪苗代湖一周の意)」という企画を推進している。一周60㎞に及ぶサイクリングコースが整備され、観光スポットが点在している。
私の身体の状態でどこまでできるかは未知数だったが、リウマチ膠原病科の主治医からはサイクリングは薦められていた。歩行やジョギングよりも脚への負担が少ないからだ。
長年激痛を庇ったために可動域に制限があり、膝は湾曲が始まっている。明らかに歩き方もおかしく、痛みの出る日はまともに歩けない。
だが、こちらに来てからトレッキングや釣りをするなど、リハビリの効果もあり痛みは引いていた。
H 「大丈夫ですかね?」
私 「まあ、ダメそうだったら引き返す」
宿のスタッフに見送られ、私はロードバイク、Hはクロスバイクで走り始めた。五百川を舐めるように、49号線を西へ。ここから猪苗代湖までは約15㎞、緩やかな上り坂が続く。なかなかハードな走行となり、私は度々休憩を取る。Hは体力的にもかなり余裕がありそうだった。
開始から1時間強が過ぎ、進んだのは9キロ。平路であれば大したことはないが、途切れることない緩い坂。私の足は限界が近づいていた。急坂を前に、遂に自転車を降りてしまう。行くだけなら良いが、着いたところでやっと折り返し地点だ。
私 「すまん、、もう足が動かん」
H 「もう少し先にカフェがあります。そこまで歩きましょう」
見えてきたのは「凛」というロッジ風の喫茶店。フラスコのコーヒーをアルコールランプで加温、お洒落な感じだ。足をマッサージしながらいただく。普段は余り飲まないコーヒー。こんなに旨いものがあるのかと感嘆した。
Hと先を考える。
猪苗代湖まではあと5キロ強を残していた。
私 「ギブアップ」
H 「まあ、無理しない方がいいですよ」
コーヒーブレイクの後は、磐梯熱海駅前まで引き返す。
帰路は、信じられない程の急な下り坂。何と一度もペダルを漕ぐことなく、温泉街に到着してしまった。車の運転でゆるい傾斜に気付かず、速度が落ちてしまう原理と一緒だ。想像以上に、登ってきた坂道は傾斜があったようだ。
私 「くそっ、こんな下り坂だったのか。無駄に体力を残した!行けたかも、、」
H 「そんなこともありますよ。また来るキッカケになっていいじゃないですか」
まあ、それはもっともだ。
令和3年9月19日
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