東京大学2006年国語第4問 『学校を糾弾するまえに』宮澤康人
東大国語第4問には珍しいといっていい論理的文章。個性的、感覚的表現がほぼないので理詰めで解ける。2006年は第1問の問題文もきわめて論理的な文章だったので、この年の受験生は試される要素として論理力が大きなウェートを占めたことになる。
ただし、設問(三)については、文中の言葉をそのまま使ったのでは文句なしの解答になるとは思えない。指示語の内容を説明する問題であるにもかかわらず、直前の文や言葉をそのまままとめたのでは、具体的になりすぎ、その後の展開とそぐわないように思うのである。この点、2004年第4問の設問(一)と同様、ひと手間が必要だと考える。
(一)「それが大人の権威を支える現実的根拠であった」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
東大現代文でしばしば出題される「根拠の根拠」を問う問題。
傍線部アの「それ」とは、直前の文の「同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立つ基盤がある」ことである。したがって、設問は、「同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立つ基盤があることが、大人の権威を支える現実的根拠であったのはなぜか」である。平たく言うと、「大人と子供との間に同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立ったから、大人の権威が支えられた。それはなぜか」という問いである。
この「同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立つ基盤」を述べる文は「そこには」で始まっているので、その直前の文である「産業革命以前の大部分の子どもは、学校においてではなく、それぞれの仕事が行なわれている現場において、親か親代りの大人の仕事の後継者として、その仕事を見習いながら、一人前の大人となった」ことが、この基盤が成立した背景であることがわかる。
この文から、「大人と子供との間に同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立った」ことと「大人の権威が支えられた」ことを因果関係でつなぐ根拠を見出すと、「産業革命以前の大部分の子供にとって、仕事を共有する先達である大人は、自分も一人前の大人になるために見習うべき模範だったから。」という解答例ができる。(62字)
(二)「中世の教師は、逆説的にきこえるかもしれないが、教える主体ではなかった」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
傍線部イの直前には「その意味では」とある。その前の文を見ると、「中世の教師は、テクストを書き写し、解読し、注釈し、文書を作る人である。その職業を実施する過程の中に後継者を養成する機能が含まれていたということができる」と書かれている。
「職業を実施する過程の中に後継者を養成する機能が含まれていた」ことの具体的意味については、第2段落に「教師がラテン語のテクストを読む作業をする。あるいは文字を使って文書を作る書記の作業をする。それを生徒が傍で見て手伝いながら、読むこと書くことを身につけていく」と述べられており、それが「見習いという方式」であったと書かれている。
また、「学校はあったが、教育という観念がなかった」ともある。
以上のことから、「中世の教師は、教育ではなく、文書の読み書きという職業の過程で、その作業を生徒に見習わせることによって後継者を養成したということ。」(64字)という解答例ができる。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?