東京大学2011年国語第4問 『風聞の身体』今福龍太
第4問にしては、文意が明確で、題材もイメージしやすいものであるうえ、設問もおおむね解答しやすいものばかりである。
設問(一)(二)(三)はいずれも下線部の近くの文を要約すればたりる。設問(四)は下線部と要約すべき箇所がかなり離れているのが難点といえるが、それさえ特定できれば解答にこぎつけるのはさほど難しくないと思われる。
(一)「私のなかに奇妙な違和感が湧いてくる」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。
傍線部アは、第6段落の「エカシの使う『無鉄砲』ということばを、そうした『無謀』さという意味論のなかで理解しようとしても、不思議な齟齬感が残るのだった」という文と同義である。それをさらに詳しく説明するためには、その前にさかのぼって理解する必要がある。
傍線部アの出来事は、そもそも第2段落の「(エカシの)壮年のころの熊狩りの話」の中のことである。また、第4段落には「エカシ自身が、意図的に鉄砲を持たずに山へ入ることがままあった」とあり、第5段落には「そのとき、エカシはさかんに『無鉄砲』ということばを使うのだった」とある。
これらのことを受けて、傍線部の直後の「丸腰で熊の棲む山に入ることはきわめて危険なことであり、すなわち『無鉄砲』であることは、まさに字義通り、後先を考えない『向こう見ず』で『強引』な行為であるはずだった」という文の意味がつながるのである。
以上のことから、「長老が壮年の頃に丸腰で熊の住む山に入ったことを「無鉄砲」と表現するのを通常の「無謀」の意味で理解しようとすると齟齬が生じたということ。」(67字)という解答例ができる。
(二)「熊と人間のあいだに横たわる「鉄砲」という武器の決定的な異物性」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。
熊と人間の間に鉄砲を置くことの意味として、第4段落に「鉄砲を持つことで自らの生身の身体を人工的に武装し、そのことによって狩るものと狩られるもの、すなわち猟師と獲物という一方的な関係に組み込まれること」とあり、続いてそれと対照的な概念として「搾取的関係から離脱して、熊に対して自律的な対称性と相互浸透の間柄に立とうとする」とある。
このことから、「人間が熊に対し鉄砲で武装することで、両者間の自律的な対称性と相互浸透の関係が失われ、猟師と獲物という一方的な搾取的関係になるということ。」(68字)という解答例ができる。
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