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自然の摂理によって、大切な記憶も忘れる

夜眠るとき、彼を思い出して恋しくなって眠りにつくから
起きたとき、彼のいない現実を強く感じて自然と涙が浮かんでくる
それを拭い去るところから1日が始まる

最近は3日に1回くらい夢を見たりして、汗
彼は笑ってたり愛想悪かったり、漫画について語ってたりして
目が覚めてこれが夢で、実現不可能なことであると理解して切なさが増す
朝から最悪だ、そして最悪だと思ってしまうことが最悪だ
こうやって大切な人を思い出したり、考えたりすることが、苦しさや辛さにつながってしまうのは、嫌だな

重々しくベッドから起き上がって、就職前の貴重な休みを気を紛らすように映画を見て過ごしている、相変わらずだ
もちろん忙しい日もあって、映画を1本も見れない日だってあるわけだけれど、そんなとき、もはや1日が物足りなく感じちゃうようになった
気を紛らわして正気を保つための行為が、いつしか無いともどかしくなるものへ変わった
朝起きて涙が出るのも、映画のように日課とか習慣と言えるものになってしまった

彼のいない生活を受け止めきれていないのに、その状況にどこか順応でき始めている自分がいて、寂しい

なんとなく思うのは、前を向かないといけないんだと言うこと
誰と話しても、結局はこの状況から脱する、変化するしかないんだと実感する
私がどうしたいか、どうするべきなのかは関係なくて、
流れ続ける時と、身体の成長と老化についていくしかない、心だけ留まっておくことはできない

毎日毎日変わっていく、当たり前だけど
何かしらの新しい情報を取り入れて、今この瞬間も記憶は更新されていくから
彼と共にいた時はどんどん遠い過去になっていく
自然の摂理のように私は彼を忘れてしまう、それが事実

「私はどうしたいのだろう」と言う悩みは、意味のないものとなった

母は、彼を想うことで生まれる苦しさや辛さと、彼を想う愛しさは別のところにあると言う
変化する中で、苦しさや辛さは緩和して無くなっていくと思うけれど、好きと言う気持ちはずっと更新していける、人を想う気持ちは無くならないって
未来で、その想いが新しい可能性の邪魔になることがあるかもしれない、だからみんな「吹っ切る」とか「決別する」とかして生きていく
でも、新しい出会いや成長の妨げになってしまったとしても、想い続けることで起こることなら「そう言うこと」で締めていい

つまり、私はすごく諦めが悪いね


ブルータリストと言う映画の中で「大切なのは到達地、過程ではない」と言う言葉がある
私はこの言葉に共感ができないし、いまいちピンとこないのだけれど
予想される未来を確立して、そこから過程を生きていく
その中で得られないものや拾えないものがあっても、そこに行きつければ良いと思って、少しだけ理解できた気がした
多分、映画内での意味とは違うと思うのだけれど、自分の新しい考えに有りつくことができた

忘れてしまうけれど、想い続けるために
彼について考えたことも感じたことも、彼が出てきた夢も思い出も、全て残さず日記に書くようになった、できることはそのくらいしかない
何をしていても、大抵彼のことにつながってしまう今の私の脳内は、単純でとても浅いな〜としみじみ思う、ダサい。
けれど、そんな時も必要だろうと思うようにしている

こうやって彼への気持ちや考えを残すことも日課になって、きっと当たり前の日常になっていくと思うけれど
私は、私が今後も彼を想い続けるために、自分の記憶力を絶対に過信しない


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