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妄想紙

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長岡ゼミのnoteマガジンです。 Vol.1、Vol.2、と定期的に文章を投稿していきます。
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#フィールドワーク

妄想紙[特別編]皇居一周ウォーキング、小さな発見

今回は特別編として、11月14日に行ったフィールドワークについてそれぞれ執筆しました。フィールドワークでは「皇居の周りを“スキャン“しながら歩く」をテーマに歩きました。 記事の中では、フィールドワークの中でゼミ生が「発見したもの」について紹介しています。さて、どんなことを発見したのでしょうか。 ◆大都会東京での生活 / ノノカ ◆鴨見つけた! / まめきち ◆「タイムよりゆとり」 / ペパーミント ◆ 鉄の柵ってそこにも使うんだ⁉ / コウディー ◆皇居の周りの使

断面じゃなくて新たな側面を発見

 11/14(木曜日)、今回のフィールドワークでは、皇居の周りを歩きながら、人と違うものを観てみた。今日本の東京に来て、3年目だが、まともに東京観光をやったことなかったことに気づいた。東京をこのように詳しく、様々な場所を回ったことが今までなかったので、一緒にフィールドワークしたチームのメンバーから、また先生からいろんな情報を聞きながら、目を通してみた。  皇居を一周していたら、自然的な空間と人工的な空間が両方目に入ってくる。特に大手町に向かう道で、左は皇居で自然に囲まれてい

国会前交差点

 皇居周辺をフィールドワークした。内堀通りを、衆議院憲政記念館から警視庁の方面に向かって歩く途中、「一体、何車線あるんだろう。」という複雑な国会前交差点。  左側を見ると皇居を囲むお濠があるが、右手側には外務省、国土交通省など国を司る組織の大きな建物が並ぶ。その境界となるようなこれまた大きな道路。列の途切れもなく車は走っていたが、信号機一つの統制で何車線もの車道で車がピッタリ停止し整列していた。  東京の中心地では、自分がどこを目指すのか、どのレールを走るのか、明確に定ま

そのままを、そのままで

素朴なものを、素朴なまま伝えたい。心が動いたモノゴトを、そのまま伝えることは、どうしてか、怖い。そこらじゅうに落ちていたどんぐりの中から、自分に拾われて、「このどんぐり」になった瞬間。このどうしようもない無意味さに、むしろ惹きつけられ、心に風が通ったような気がした。それを伝えたい。けれど、「それになんの意味があるの?」と言われる気がして、おそれて「ネタ」に変えた。素朴なものを伝えるためなのに、受け取ってもらいやすいように、大げさな意味をくっつけたことで、本来あった姿がゆがむ矛

美術館に行ってきました。

美術館の雰囲気久しく美術館に行っていなかった。静かな雰囲気と暖房のもあもあとした熱さに息がしずらかった。展示品をじっくりと見るのに、思った以上にエネルギーを使った。 民藝の知識がなかったからか、説明文を読んでも大半が頭に入ってこなかった。陶芸品や椅子のデザインに惹かれたものの、素敵だな〜と感じるだけで、創作物・展示品の作り手がどのような感情を抱いて、作ったのだろうかまで上手く想像することができなかった。 途中から作品の陳列の雰囲気が変わったように感じた1930年〜1940年

再現できない魅力

 今回のフィールドワークは、日本近代美術館の鑑賞がメインに行われた。  民藝にまつわる作品を展示した企画展を見ているとふと「味があるな」と感じることがあった。私の思う味とは「そのものだけが持つ良さ」だ。  特に絵画より陶器に対して味があると感じた。おそらく作者が意図していない線(ひび割れ)や模様(焼きむら)、凹凸が陶器には表れやすい。そういった作品を見ると、私は唯一無二の良さを感じる。  計画された完成されたものではなく、少し歪だったり規則性のない、再現できないものに魅

作品を通して

東京国立近代美術館に行った。 直感で「きれいだな」、「おもしろいな」と思った照屋勇賢さんの作品に目がとまった。作成者は何か伝えようとしていた。その作品はファッションブランドの紙袋が木で作られていることを示していた。木は貴重な原材料だ。日常すぎて忘れてしまうこともアートにすることで直感的に感じ取れる。ささやかな警告。文字よりもなぜか胸に刺さる。 アートを通して人に考えさせられるモノをデザインするのってすごい。サークルのパンフレットを最近作ったけど、デザインを通して自分は人に

日常に落ちている可能性

物事を広めるためにどんな手段があるだろうか。 今の時代であれば、真っ先に思い浮かぶのがSNSである。世界中のほとんどの人がネットワークを通して繋がっていて、いつどこにいても自分の発信ができる。この手段を選ぶことは簡単である。しかしありきたりすぎて私はワクワクしない。 東京国立近代美術館で開催されている「民藝の100年」の中で心が動いた手段があった。それは自分を使うということだ。民藝をファッションとして取り入れ、人目を引いていた。警官に職務質問されることもあったらしい。 今

美しさを 「観る」

美しさとは何か?民芸品を鑑賞しながら、そんなことを考えていた。  私が美しいと思うものは、直感的で視覚的なものがほとんどだった。しかし、この作品展を眺めていると、柳宗悦らが注目したのは、地方に根ざす民衆の中で生まれたという過程や、その地方ならではの風土や伝統を表しているといった、目に見えない美しさを見出しているような気がした。  彼らが捉えた民芸品の魅力というのは、鑑賞者と作品という一方通行で見るものではなく、 その作品を通じて感じる土地柄や人との繋がりといった目に見えな

クリエイティブの源泉

1021_待つということこの日はカフェゼミ。ゲストにNPO法人青春基地代表の石黒和己さんをお招きし、高校教育における「新しい学びのカタチを考える」というテーマで長岡先生と対談をして頂いた。対談を聴いている中で、「待つ」ということの概念が変わったことを書き記したいと思う。 ゼミの中でよく出てくる、「トレーニング」や「試行錯誤」という言葉。 私はゼミに入りたての当初、このNoteを書く時のモチベーションが腑に落ちず、ずっともやもやしていた。だからこれらの言葉には我慢が伴うものだ

妄想紙[vol.6]視る・観る

今回のフィールドワークの集合は靖国神社の大村益次郎像前。集合時間よりも15分ほど早く到着した僕は、予め配布された資料に書かれていた「丸いものを探しながら」というミッションを誰よりも先に始めていた。靖国神社内を少し歩けば、芝生を囲む木の柵であったり、各都道府県から靖国神社に送られているモニュメントなど丸いものは容易に見つかった。今日のフィールドワークはうまくいきそうだ・・・そんなことを呑気に思っていると集合時間になり先生が来た。まず初めに今日のフィールドワークの説明がある、はず

高層ビルと柳の木

2020/11/12*ゼミで皇居周辺のフィールドワークをしました。靖国神社から千鳥ヶ淵公園を通り、三宅坂、桜田門、大手門、竹橋と、約3時間かけて皇居を一周しました。 桜田門のあたりまでは、左側に内濠を見ながら緑の生い茂る歩道を歩いたのですが、桜田門を過ぎ、二重橋のあたりからは大丸有(大手町、丸の内、有楽町)の高層ビル群がみられるように。そこから竹橋、乾門と進んでいくにつれて、歩道の緑は少なくなり、雰囲気もどんどん暗くなっていきました。 桜田門まではビルや商業施設は皇居から一

これは誰のモノ?

皇居周辺たまに気晴らしに自転車で一周することはあったけど、歩いて回ったのは初めて。自転車のスピードで見ると世界を歩きながら見る世界とでどう違うのだろうとワクワクしながら散策した。 ふと気になったのは千鳥ヶ淵緑道の木に巻き付けってあったこの型番。「RD-Sってなんだ・・・」と思いながら歩いているとちょうど木の手入れをしている方がいたので聞いてみた。聞くところによると、RDは千鳥ヶ淵緑道の「緑道」の略、そしてSは桜のことだそう。そして千鳥ヶ淵緑道は千代田区の区道なので管理してい