【毒親育ちのエッセイ】理由が無いと生きられない
ーー理由が無いと生きられないーー
それに気付いたのはいつの頃だっただろうか。
物心ついた時から、親からは無意味に侮辱され続け、暴力を受け続けてきた。
抵抗しても、あったのは逆上だけ。
元ヤンのままプライド以外は成長していない親に「正常さ」を求める方がおかしかったのだとは、今では思える。
苦痛に耐え続け、争い続ける日々の中、僕は疑問を抱く。
何故僕は耐え続けているのだろうか。
痛みに耐え続ける理由が無い。
そして、理由を探す理由も無い。
それなら何故僕は生きている。
「死にたい」
初めて口にしたのはいつの頃だっただろうか。
少なくとも小学生の低学年の間には既に口癖になっていたことは覚えている。
トラウマを植え付けられ、洗脳され続けてきた僕にはこの世界が合わなかった。
この世界に、生きてやる価値なんて無かった。
理想は有れど、希望は無い。
殺されながら生きる方が辛い。
どこにも味方は居なかった。
多くの子どもたちが無条件で与えられている「家庭」という名の平穏は僕には無かった。
「楽しい」だけでは生きられない。
でも、
「苦しい」だけでは生きられない。
モラハラDV搾取旦那と結婚するほどの母親だ。
もちろんまともな訳が無く、
「家を地獄にしておけば、学校でいじめられようと不登校にはならない」
という滅茶苦茶な自論を掲げていた。
そう、家庭なんてものは地獄だった。
何処にいても怯えながら、息を殺してやり過ごしてきた。
僕は貧困もDVも、モラハラも、パワハラも、いじめも搾取も経験してきた。
だからこそ感じることがある。
本当の地獄は他人には救えない。
結局自分で勝手に救われなければならない。
でも、どうしようもないことの方が多い。
生き方も分からずに、今までやり過ごしてきた。
正直それももう限界だ。
こんな自分も、あと数ヶ月は耐え続けられるだろうか。
親に命を弄ばれる。
そんな子どもが少しでも減りますように。