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怒っているのに自分でも訳わからんよね?
感情の赴くままに怒れる人もいるのだろうが、私は怒るのにもとんでもなくエネルギーを使うタイプ。怒るのって疲れる。疲れずに怒れる人が、テレビやSNSの中には(もちろん現実世界にもいるけど特に)いっぱいいるなって見ていることがある。
その上面倒なことに私の怒りの反射神経は鈍く、本当にイラつくことはいつも遅れてやってくる。やっぱり嫌だー!って後から思い出す。でも今更誰かにぶつけるのは疲れるし、生産性が無さすぎるから、自分の中でぐつぐつ煮込みすぎてどんどん凝縮されていく。結局煮詰められた怒りは最早原型をとどめておらず、自分でもどうしようもなくなる。文章にすると本当に自分めんどくさい。
あと、感情の起伏が激しい。客観的にどう見えているのかわからないけれど、私自身に対する評価としてもっと安定していてどっしりした軸のある人になりたい。一方ほとんどの人が実は荒波に揉まれてていて、でも人間関係うまくやるために自らを律しているのかもしれないとも思う。
その上、私は怒る時泣きながら怒る。何か言おうとしたらそれが怒りであろうと、悲しみであろうと、喜びであろうと何だろうと高ぶったらそれが全て涙と化する。泣いたら感情的になって話にならないって知っているし、泣く女はうざいけど、自分でも止めたくてもただただ眼から液体が出てきてしまう。別に泣いたら許されるとか1ミリも思っていない。
怒りの大元として、自分が考え事をするのが好き故正しさを振り翳しすぎているというのもある。誰かのぽろっとこぼした発言が、何でもないのに自分の中で「それっておかしくない?」とぐるぐるし始める。自分ではない誰かを蔑ろにした発言に対して、勝手に私自身を消費したりしている。何してるんだ、そんなこと気にするな。そもそも気にもならない人もいるんだろう。自ら怒りの要因になり得るものを探しに行ってしまっているんじゃないかと、自分を疑うほどだ。
小さい頃から、「〇〇(私)は感受性が豊かだからなあ」と言われることが度々あった。当時これを褒め言葉として受け取っていたけれど、改めて考えるとどうだろう。感受性云々はその人の特性のひとつであって、良し悪しはないような気がする。
感受性が豊かな人が向いている職種(アーティストとか?)もあるだろうし、一方どんな時もどんなことにも感情を揺さぶられず淡々とこなす方が向いている人が向いている職種もあるだろう。
少し話が逸れるけれど、女性は感情的で男性は理論的みたいなカテコライズに、わからんこともないが、全く同意しない。嫌い。
私のこのメンタルぐらぐら感情揺れ揺れは、どこで形成されたのか?同じような家庭環境で育った妹と比べても全然違う。というか、幼少期からこの機雷はあったから持って生まれたものなのか?じゃあしょうがないと開き直ることができるのなら楽かもしれないが、他人の感情の起伏というのは害になりかねるので、コントロールする力を持たなければならないと思う。中身はぐちゃぐちゃでも冷静に振る舞うこと、感情は揺れ揺れでも焦った決断はしないこと、話しながら泣かないこと。これを読む人の中には、そんなの当たり前だろって思う人もいるかもしれない。そうだよなあ。
だって私は周りを困らせたくなんかなくて、寧ろ明るくしたいから。自分と関わる全ての人に何らかの形で、ハッピーじゃなくてもプラスに働く影響があったらいいなと思う。傲慢かもしれないし、それ故行き過ぎておせっかいにならないようにしなくちゃいけないけれど。
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