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私のジャーナリング③~無意識に自己卑下していたという気づき~



相手の受け取り方は、相手の課題 …
相手の責任の範囲。 厳しく聞こえる。
私自身に置き換えても、同じ…
私の受け取り方は、私の課題 …
私の責任の範囲。
本当に厳しく感じるけれど、…そうか、受け取り方は、受け取るか受け取らないかも含めて、受け取る個人の責任という事なんだ … 。
それぞれの人生で、それぞれが、取り持つ事。
私は、父親、母親との事を、本当にずっと…
なかなかそんなふうには、考えられずにいた… 。
受け取りたくない課題を、提示されて、
受け取りたくなかったのに、
受け取るしかなかった。
選択の余地なく、生まれて背負わされた…とか …
辛かったけれど、被害者意識を感じる(感じた)事実があって、長い間、
どうしてもその視点しか持てなかった時や、
未完了の感情を抱えている最中は、とてもそんなふうには、受け取る方にも責任があるとは、到底思えない(思えなかった)。
受け取らずに、拒否していた。…つい数年前まで。
だけど、辛くなってしまった…。
拒否していたら、何も変わらず、辛いままなのかも… と思った。
だからこそ、1番に、本気で、自分の感情に寄り添う事が何よりも必要で、本当に大切な事だった。
何よりも、まずは自分の感情への寄り添いが先。
そう思った。
本当に、優しく、無理をしない範囲で。
私も、自分の感情に寄り添って、涙を流して寄り添い続けたその先の今に。寄り添ってよかったと、今、こう思えるようになっているから。




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私は誰かを、相手を、傷つけた訳じゃなかった。
私の言動の意図と、相手の捉え方・受け取り方に齟齬が生じただけ。
そして、そのズレは、コミュニケーションをしていたら生じる事だし、その食い違いが🟰相手を傷つける訳じゃない。
私はここが、イコールになっていた。
受け止め方、受け取り方、解釈、が発生してから、その後の展開に繋がる。


私は対人関係で、この齟齬、ズレ、食い違いを感じとると、すぐに、
私は相手を傷つけるかもしれないと感じて、いつも怖がっていた。


でも、例えば私が誠意を持って配慮して伝えて、齟齬が生じた場合、全部、私が悪い訳じゃない…。
私は、
相手を傷つけようなんて思っていなかったし、
敢えて傷つけようなんて思わない。本音本心。
幼少期、子供の頃、家族や友人や同級生と喧嘩したり、私が悪いよと言われるような事もしたかもしれない。
でもそれは、相手を傷つけようなんて気持ちがあったからじゃない。
自分の気持ちを、伝えようとしたからだった。


なかなか伝わりにくい、という事実もあって
辛かったけれど、
しばらく前の気づきで、
理解出来ないは、単純にわからないとか、相手はそうは思わない、という事。ただの違い。
自分と相手の相違点。
対象を全否定している訳ではないし、
人による部分的違いは当たり前だった。
その応用で、今回の気づき。
例え、相手に私の真意、本音本心が伝わらなくても、それは、私の事を否定している事にはならない。
だから、自分の気持ち、すべてが伝わりきらなくても、傷つかなくていい事だった。
大事な事、どうしても譲れない事が、伝わればいいんだ。


なぜ、どういうことで、私は、自分も傷つくと思っていたのかな?
傷つくと、苦しい辛い 。 …うん。
私のせいで、相手を辛い目に合わせた、苦しくさせた、そう思って、私も辛く苦しくなる。
心が傷つく 。
「私のせいで」  「私のせい」  これかも。…
これって、やっぱりわずかでも、影響を与える、
与えただろう的視点からは、私が相手よりも 上?下? 対等ではない目線的な感じなのでは…
というか、
へりくだっているようでいない、ような… …。
あ!謙虚ではなくて、これは卑下なんじゃ… 。
「自己卑下」    わぁぁ … …
私の受け取り方は、自己卑下になっていた。
本当に、私の失敗などが原因で、何かまわりに迷惑をかける事が起こった時は、素直に謝って、繰り返さないように反省して、対応策がいるけど、
そうではない時の「私のせい」は、思わなくていい捉え方。
…まだ中庸じゃなかった。
…まだ対等じゃなかった。
また偏りに気づいて、自分の中のニュートラル地点の移動。
わずかでも、私にとって、大きな気づき。



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記載は断片的なのですが、
思考では①〜③は行き来して繋がっていて、
感じて、考えて、
私にとっては、大事な気づきになりました。
気づいたあとは、心がまた少し楽になりました。


生まれ持った個々の特性は変えられないし、変えなくていいと思うのです。
特性を含めた姿がありのままだから。ありのまま、そのままでいい。
でも、その特性が影響したりして、
様々な環境や状況や背景とも相まって、
複合的な要因で身に着けた思い込み、
思考の偏り、心の偏りなどで、辛さや苦しさが起こってしまっているのなら、その偏りの部分は、中庸に、戻せないだろうか…と思うのです。
私は発達凸凹特性があり、出来る事と、出来ない事の差が極端に大きいです。
私に行える事は、本当にとても少し、限定的、部分的なんだと思います。
言葉は、額面通りに受け取る傾向があります。
冗談は通じにくくて、皮肉とか嫌味は、よくわかりません。簡単な計算や暗算も苦手で出来ません。
もしかしたら、行える事、私には、あまりないのかもしれません。それが、現実かもしれません…
等身大の自分が好きという意味で、それでいいし、それがいいと思っています。ありのままが、いい。
私は、私を、生きていい。
出来る事を、行えたらいいなと思っています。
結果に執着をしない心持ちで、
一緒に時を過ごす方々の力をお借りして、探したいと思っています。



この頃大切に聴いていた音楽
ダーリン/Mrs. GREEN APPLE
YUME日和/島谷ひとみ




最後までお読み頂き、ありがとうございました。







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