目の前に現れた事~両親に会いに行くという選択肢~
前回のnote記事を書き終えて2日後の休日、
早朝に目覚め、時計は4:34。
あ...また...と思いました。
よく早朝に目覚めて、その前日は3:03、その前日は3:33。夏頃以降、こういう数字を日々よく見かけていて、少し慣れてしまい、数字を書き留める事は最近はやめていました。
この日目覚める直前まで夢を見ていた気がしましたが、夢の内容は覚えていませんでした。
まだ早いので、もう一度眠ろうと思った時、ぼんやりとした頭の中に、ゆっくりと、両親に...会いに行く、という選択肢が現れました。
脳内に大きなホロスコープが現れて、そのサイン(星座)が回り動いたようなイメージで、私の目の前に、両親に会いに行く、その文字が、現れました。現れてしまった、という感覚でした。いきなりで、驚きました。
何年か前、両親に会いに行く事は、大きな恐れ(また傷つくかもしれないという気持ちや、生きる原動力を失うかもしれないという思い込み等から)によって、実家へ向かう準備はしたものの、行く事が出来ずに、諦めた事でした。(note記事 私の過去⑩)
前回の記事を書き終えた直後も、その翌日も、この選択肢は私の心の中にありましたが、それは心の1番奥の方にあった事でした。手紙を書く事よりも、ハードルが高いと感じていた事でした。
いつか、たぶんもう少し先で、気持ちに無理の無い時が来たら考える選択肢、という認識でいました。それが、なぜか、この時急に現れて、驚いて目が覚めてしまいました。
起き上がり、静かに、...え... ...?... ?両親に、会いに行く...?...実際に、会いに行くという事...?
ゆっくりと、そう、考えました。
えぇ... ...と思いました。どうしてこの事が...今...?と思いました。落ち着こうと再度横になり、いつかは考えるだろうと思っていた事を、こんなにも早く、もう考える時が来たの...?と思いました。
と同時に、...でも...確かに...そうだよね...と。私は向き合いをして、色々な思い込みに気づいた事によってそれらを手放してきた。
でも、両親は、もしかして未だに色々な思い込みをしているままかもしれない。過去の私の態度によっても、思い込みが作られてもいるかもしれない。
もしもそうなら、このままの世界線の延長線上にはもしかしたら、両親の方から私に会いたいという連絡は無いのかもしれない...、そう思いました。
もしもそうだったとしたら、思い込みを外した私の方から会う為に動いたほうがいいという事...、そうだよね...と、思いました。
そのまま目覚め、予期していなかった事を私は考え出しました。頭の中に浮かんだ文字を、横へ押して戻し、視界から消そうと思っても戻りませんでした。
数日前に、私は目の前の事に集中しようと、思ったばかりでした。それは、現実の日々の暮らしの中で行う事の、すぐ目の前の事...その時すぐに行う事から集中して行おう...という意味でしたが、少し違うカタチでも、こうして目の前に現れてしまった以上、この選択肢に精一杯取り組む必要があるという事、取り組む時、そのタイミングという事かな...、と思いました。
そう思うと、普段もう静かになっていた私の中のエゴちゃん達が少しざわざわし始めました。
大きく主張して来る事はありませんでしたが、私を心配してくれていました。
また、以前と同じように、両親からの言葉で傷つくかもしれないよ...と、小さく言ってくれました。本当にそう、怖く思いました。
自分で向き合い、治してきた心の傷です。また傷つく事は嫌だし、怖い事でした。
大丈夫...?...無理はしない事...。
内側の私は親身に本当に心配していました。
私も、内側の自分の事が心配でしたので、自分と内側の自分で会話しました。
1番大切なのは、私の心を守る事。大切にする事。
この事に揺るぎはありません。
自分と対話をしました。
会いに行っても...もしかしたら、思いやりの言葉の無い両親かもしれないよ?...大丈夫...?
...うん...そうだよね...わかった...大丈夫な気がする。
...また...、傷つくかもしれないよ...?
うん...身構えておくよ...。内側の私が常に一緒にいるから大丈夫な気がするよ...。ただ、無理は、絶対にやめようね。
うん、絶対に、無理は、しない。
いろいろ考えてしまう時間がありましたが、
ふと、考える事をやめて、動いてみようか、と。思いました。
目の前の事に、精一杯取り組む。
両親に、会いに行く。その選択肢がこうして目の前に来たんだから、精一杯取り組んでみよう。動いてみよう。
実家へ、向かってみようか、そう思いました。
今回は、連絡をせずに。黙って行く。私の気持ちが揺らがないように、そう思いました。
少し横になったまま過ごしてから、起きて、準備をしようと思いました。
準備を始めてから、ぐらりと目眩を感じました。
少し休みましたが、治らず、このままでは、車の運転が出来ない...と思いました。急過ぎる展開で、やはり心理的に負担だったからかもしれません。天候が雨、だったからかもしれません。
無理をせずに、この日に動く事は諦めました。
以前のように、実家に向かえなかった事に、絶望のような気持ちは感じませんでした。
今日は、無理だった。また、今度、トライしよう、と思いました。
諦めの気持ちは湧きませんでしたが、過去に両親に会いに行こうという気持ちが持て無かった年月と、会いに行こうと思っても、実家へ向かう事が出来なかった年月が積み重なった結果、この時の私のいる場所から見て実家は、まるで違う星へ行く程にも遠い距離のように感じました。
昔はもっと気楽に、片道約1時間半で着くからと、パッと決めてパッと動いて行っていた、行けていた頃もあったのに(20歳位の頃に...)、今はそうも出来なくなっていて、ため息が出ました。
...実家って...こんなにも、...遠かったかな...と思いました。行けるのだろうか...、向かっても、辿り着けるのだろうか...と思いました。
ゆっくり心身を休ませながら、...会いに行く、このプロセスもあるんだと思いました。
呼吸を整えて、無理をせず、プロセスを少しずつこなしていく。もう少し時間を掛けよう、それも大事な時間なんだと思いました。
考えてみれば、1年前と今は、全然違う。
昨年の今頃、1年後に、自分との向き合いをしてきて、こんなにも現実的に両親に会いに行くプロセスを考えて歩んでいるなんて、思ってもいませんでした。そう思うと、今は、違う世界を生きているようにも思いました。
同時に、実家なのにと、簡単に思うように動いて行けない自分に涙し、情けなさや弱さを感じました。
でも全肯定、全受容。私だけはこんな私でも、どんな私でも、ありのままを受容したいと思っていると。
いいよ、大丈夫、今日の私はこれでいいよ。動こうとしてみる事が出来たし、ここまで考える事が出来たんだから、頑張ったよと。
僅かだけど、1歩にも満たないけど、少しだけ前に出てるよね、いいよ、いいよ、すごい事だよ、これでいいよ。と自分に言って伝えました。
また次のお休みの日に、再挑戦。亀のような、いいえ、それよりも、遅い速度かもしれない...と思いましたが、何よりも、心に負担が無いように...、と思いました。
向日葵/Ado
私自身の内側で何となく、新章の始まりのような感覚があり、また、少しずつ書いていきたいと思っています。
お読み頂き、ありがとうございました。