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noteを書くと人生が変わる?ーーー3ヶ月続けたら見えてきたこと
私はなぜ「note」で書くことを始めたのか?
きっかけは、「自分を知るため」ーーーん、なんかカッコいい(笑)。
書きながら、自分の心の中をのぞいているような「内面への旅」をしている気がした。
面白いことに、ただ言葉にするだけで、自分の奥深くまで探検している感覚がある。
書くことで、「知らなかった自分」や「気づいていなかった感情」に出会える。
普段の生活では流れてしまうような思い出や気持ちが、言葉にすることで浮かび上がってくるのかもしれない。
自分は誰なのか、意外とわかっていなかった。
デジタルアートを描いているとき、「こんなことにワクワクするんだ」と気づいたり、
内向的な自分の中に、外交的な一面があることを知ったり。
文章って、自分を客観的に見る「鏡」のような役割があるのだろう。
書くことで「自分の運転席」に座る
そして、だんだんとわかってきたことがある。
それは、「自分」だ。
「書くこと」で自分がわかってくると、心がどこにも行かなくなる。
…いや、なんて言ったらわかりやすいかな。
例えば、自分という乗り物の コックピットの運転席 に、ちゃんと自分が座っている感じ。
それまでは、誰かが運転していたり、運転席が空っぽだったりしたのかもしれない。
でも今は違う。
「これは私の人生で、私が運転してるんだ」 という感覚が、しっかりと芽生えている。
じゃあ、運転席に座るまでのプロセス は?
最初は、「どいてもらえませんか?」って感じで、少しずつ手探りで探していくようだった。
まるで、自分自身の「取扱説明書」を見ながら進んでいるような感覚。
時には調子が悪く、誰かが運転席にいるように感じることもあった。
でも、そんなときは決まって 「ここじゃない」 という違和感があった。
見えている風景がしっくりこないし、たどり着く先も「求めていた場所」ではなかったから。
SNSを見なくなった理由
このプロセスの中で、自然と SNS(XやYouTube)をあまり見なくなった。
以前は無意識に、「自分の運転手」をSNSの中で探していたのかもしれない。
でも、運転席にちゃんと座るようになったら、
もう誰かにハンドルを握らせる必要がなくなった。
今はさらっとしか見ない。
「へー、こんなことが流行ってるんだ」 という距離感。
完全に断つわけじゃなく、「情報として眺める」スタンスになった。
それによって、自分を見失わず、余計な影響も受けなくなった。
書くことで「受け取る側」から「発信する側」へ
「書くこと」で、自分が発信者になった。
それまでは、誰かの発信を受け取るだけだったのに、
今は 「自分の世界を形作る側」 に変わった。
誰かの言葉や価値観に流されるんじゃなく、自分の言葉で世界を語る。
すると、「私はこういう人間なんだ」「私はここにいるんだ」 という確かな実感が持てるようになった。
夜のドライブで気づいたこと
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この変化を着実に感じた出来事がある。
ある日、知人を送るために 2時間ほど夜のドライブ に行った。
助手席に座り、暮れていく街を眺めながら、
活気のある夜の国道を走り抜ける。
ラーメン屋の湯気が立ち、仕事帰りの人がカウンターで束の間の安らぎを感じている。
ショッピングモールの華やかなネオン、
巨大なスポーツ用品店のウィンドウにディスプレイされたおしゃれなウェア。
街の光の洪水が目に飛び込んできて、
ただ車で通り過ぎるだけなのに、楽しい。
そのとき ふと思った。
「私はここにいて、どこにも行ってない」
その瞬間、腑に落ちた。
「あ、私はどこにも行かなくていいんだ」
言い換えれば、
「私はもう、自分を探し回らなくていい」 ということ。
SNSを追いかけることもなくなり、
「私は私でいい」 と思えるようになった。
心の内面のドライブと リアルのドライブ が、リンクしたのかもしれない。
(ちなみに 私は無免許で助手席 なんだけどね(笑))
書くことで「自分探しの旅」は終わる
「書くこと」で、ここまでの変化があるとは思わなかった。
私は、書くことを侮っていたのかもしれない。
もし書いていなかったら、今も 「誰かに運転してもらおう」 と思い、SNSをさまよっていたかもしれない。
でも、それって 「自分の人生を誰かに委ねる」 ことになっちゃう。
「この人についていけばいいのかな?」と思っても、
ずっと同じ人が自分の人生を導いてくれるわけじゃない。
「違うかも?」と思い、また新しい運転手を探す…
そんなループにハマっていたかもしれない。
でも 今はもう「自分が運転席に座っている」。
「自分で運転するほうが楽しいし、自由だし、しっくりくる」
そう実感していることが、一番大きい気がする。
だから、「受け取るだけ」より 「書くこと」で発信する側 になってみよう。
これから noteを始める人 に、私は声を大にして言いたい。
「絶対、こっちが楽しいよ!」
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