【挑戦する先生インタビュー vol.3】 教師×主夫×フリーランスとして活躍する木野雄介先生
今回は、フリーランスとして活躍されている木野先生にインタビュー!
専任教師を10年続けたのち、現在の働き方にシフトされた木野先生。
どのような想いでその決断に至ったのか、これからどのような未来を描いているのか。ご自身の働き方と生徒に対する向き合い方には共通点があり、目から鱗の連続です!
ーーよろしくお願いします!まずは自己紹介をお願いします
私は現在、非常勤講師、フリーランス、そして家庭では主夫として活動しています。それまで約10年間、専任教師として私立の中高一貫校で働いていました。
しかし、「社会をこうしていきたいな」という思いと、自分の活動がマッチしていないと感じるようになりました。そして、現在のようなスタイルで仕事をしたらいいのではないかと考えて専任を退職しました。
退職直後は最初の緊急事態宣言が出て、新型コロナウイルスによる大きな不安に巻き込まれていた頃でしたね。
ーーフリーランスで教師として働くというスタイルにいきついたのは、木野先生の実現したい社会とも関係があるのでしょうか?
みんなが自分のリソースを、社会に最大限発揮した方が良い社会になるなって思ったんですよね。
例えば、本やネットで様々な人の意見を見ていると、「みんなが自分らしく生きればいい」という考えをよく目にします。ですが学校では、「現実の社会はそう簡単ではない」、「嫌なことも受け入れなければならない」と子供たちに教える先生も多いのも事実です。
でも私は「そんなに苦しくないはずだよな」と思っていたんです。
例えば、野球をやりたいから高校に通うのはおかしいと感じていました。
野球が好きならクラブやアカデミーで頑張ればいいのですが、多くの人が甲子園に出たいという目標のために、渋々高校に通っているように見えました。
そのために先生たちも成績が下がらないように苦慮したり、追試をレポート制にすることに労力を使っています。
このような状況では、みんながリソースを無駄遣いしていると感じます。
私は、選択肢がもっと多様であるべきだと考えています。
自分がやりたいことを選んで、自分がやる必要ないことは縮小できるようなシステムがあればいいとずっと感じていました。
そのために、学校や社会には自己選択や自己決定ができる環境を増やしたいと思っています。
多様性が重要だと言われながら、実際には多様性を損なう状況も多く見受けられます。私は、自分らしさを大切にして、いろんな表現の仕方を認める社会を目指していきたいなと思います。
ーーその考え方には本当に共感します。ただ、科目で分かれている学校の中でそれを実現することは難しいですよね。木野先生は学校のなかでどのように取り組んでいるのですか?
本人の自己選択・自己決定が最大限尊重されるような環境を作っていきたいと思っています。
仮に授業中に寝ている生徒がいた場合、まずは健康に問題がないかを確認しつつも,その生徒が勉強をしたいかどうかは生徒の課題です。
授業を受けたくないがために、寝ている・ぼーっとしている・絵を描いているなどは僕からしたら同じ現象で、自己決定を尊重したいと考えています。
私は、生徒たちの態度を笑顔やノートの取り方で評価するのはおかしいと感じています。本当のゴールは私の満足ではなく、生徒たちの成長だからです。
また、生徒たちが成長したいと思えるような環境を提供できないなら、生徒たちが他のことをしてしまうのは仕方がないと思うようにしています。
生徒が主体となり、自分の人生の時間をどう使うかを決めるべきです。
ただし、他の人の邪魔する権利はないので、おしゃべりをしたり、騒音を立てたりして、授業を妨害するのは控えてほしいとお願いしています。
以前、私の社会の授業中に、ある生徒が物理の大学受験問題を解いていました。彼に「 難しそうだね」と少し皮肉を込めて言ってみたところ、「木野先生の授業は聞くだけでわかります」と答えてくれましたね(笑)
彼が私へのリスペクトを忘れず、大人の対応をしてくれたことに私は大変驚きました。私が彼の邪魔をしなかったおかげ(?)かは分かりませんが、彼はのちに東京工業大学に進学しました。
ーー木野先生はもともと、本人の自己選択・自己決定を尊重するような教育を目指していたのですか?
私が勤めていた私立の中高一貫校は、できるだけ人気のある、偏差値の高い大学に入ることを目標に教育活動が行われていました。
私自身も中高時代はそうでしたから、教師になってからも何の疑問も持たずに少しでも偏差値の高い大学に合格できるような指導をしていました。
しかし、あるとき気づいたことがあります。
そのきっかけは、2020年度に向けた大学入試制度改革でした。
私は当時中学1年生の担任をしていて、6年後にはちょうど2020年になることに気づきました。
それまで、日本史専門の私は、例えば桓武天皇と嵯峨天皇の違いなどを暗記させるために様々な工夫をしていました。日本の大学入試は暗記中心で突破できるため、教師としてそうするのは必然でした。
しかし、大学入試制度改革の方針を知り、そのような教え方はもちろんですが、その知識そのものが本当に子供たちの人生に役に立つのか疑問を感じ始めたのです。
その答えを求めて、学校外で行われているさまざまなセミナーや研修に参加するようになりました。その結果、自分のこれまでの教え方が完全に間違っていたと感じるようになりました。
ちょうどその頃、私は工藤勇一氏の著書やインタビュー動画に出会いました。
工藤氏の考えは、「自分で考えて自分で行動できる子供を育成する」というものでした。彼はそれを「自律」と定義していました。
それに対して教師は何かとやらせたがるものです。しかし、子供たちはできないと分かればやらないし、やらなかった結果として宿題やテストでも分かっていないまま提出します。
子供たちの「自律」が教師の仕事であり、その自律のための手段として、私たちは教えたり、プリントを作ったり、テストをしたりするのですが、その手段が最適でないなら取る必要はない、と工藤氏は述べていました。
この考え方に触れて、私は自律できる環境を作らなければならないと思いました。
そのために、生徒の自律を妨げないように物理的にも時間的にも精神的にも邪魔をしないように心がけるようになりました。
例えば、私は終礼をなくしました。通常、中学校では6時間目が終わったあと終礼をします。しかし、それが生徒の時間を奪っていることに気づきました。
そもそも、事務連絡はiPadを使って伝えればよいし、掃除は毎日必要ないと気づきました。
私たちも自分の部屋や職員室を毎日掃除するわけではありません。
もちろん汚れたら掃除をしますが、そもそも自分たちの場所が汚れないように気をつけます。生徒にもそう伝えたら、掃除したくないから教室を綺麗に使うようになりました。この考え方はとても自律していますよね。
こうして生徒たちの自律の妨げになっていることに気づきたいと日々考えるようになりました。
ーー木野先生のお話を聞いていると、その子がそうする理由があるっていうことをちゃんと考えてあげること、同じ人間として扱うということがすごくいいなって改めて思います。
ほかにも木野先生が大切にされている価値観があれば教えてください。
私は、生徒指導の中で「学校のルールだから」や「社会はこうだから」ではなく、生徒が共感して納得する理由を探してきました。
ある記事で「人権をベースにすべてを判断できる」という考え方に触れ、「これだ!」と考えるようになりました。
例えば、授業中に生徒が学習するかしないかは彼らの権利,という考え方です。おしゃべりしてはいけない理由は、他の人の学習する権利を妨げるからです。
また、走る権利はあっても、他人にぶつかって怪我をさせる権利はありません。なので,走るのをやめましょう、という考え方です。
中学生だと「自分の体が大きくなっている」という意識が乏しいまま廊下を激走している子が少なくありません。
4〜5月くらいはよく中学1年生と激突します(笑)
このように、権利をベースに話を進めると分かりやすいと思います。
私が主に向き合うのは中学生以上で、彼らなら「他者にも権利がある」ということを理解してもらえることが多いです。今でも「これは人権的にどうなのだろう」と考えながら発言や行動を選んでいます。
ーー専任教師からフリーランスの教師になり、今後、木野先生がチャレンジしたいことを教えてください。
私は、世の中を変える手段として、大きく分けて教育と政治の2つがあると考えています。
最近は、私自身がこの2つにどのように関わっていけるのかを模索しています。
政治家に対して私たちが投票したり意見を言ったりするのも政治活動の一部ですし、政治家になることだけが政治活動ではありません。
もちろん将来、政治家になるチャンスがあれば面白いと思いますが、政治の中でどのように社会に影響を与えられるかを模索しています。
例えば国政であれば、ベーシックインカムが広がれば、無駄なリソースの削減や定期的な収入の確保といった問題が解決される可能性があります。そうなれば、自分が一番リソースをいかせるところで働くこともできます。
もしくは、対話と合意形成ができる自治体があれば、協力やアドバイスを通じて関わることも出来ると思います。
政治家になるかは別として、自治体と協力して取り組みを広げ、全国展開するきっかけを作れたら素晴らしいと考えています。