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だから、私は投稿を続ける。


ご挨拶

こんにちは、黒猫京です。
お越しになっていただけて嬉しいです。

良かったら、気休めに読んで行ってください٩( 'ω' )و

深夜のひとりごと

私の人生のテーマ???

 私の人生のテーマの一つに“表現”、特に自己表現というものがあります。

 この結論に、辿り着いたのは自分が何者なのか?と迷った時に、
 自己理解プログラムというものを受講して、自己分析に取り組んだことがきっかけです。

 振り返ってみれば、
 自分の内側にあるものを表現したいという願望を常に持ち続けてきました。
 
 自分にとって当たり前すぎて、気づきませんでしたが、その仮定の上で人と対話をしてみると、表現したいと言うのは一つの個性であることに気づきました。

最近の私の表現は…

 最近、沢山の手段を使って自己表現をしています。
 文章、写真、被写体、投稿していないけど絵も描いています。

 特に積極的に投稿をしているのは、写真と文章です。
 
 しかし、最近投稿している写真や文章に対して、自分なりに納得したものを出せているか?というと、答えはNOです。

何故投稿を続けるのか?

「歩みを止めたくない」

この一言に尽きます。

これは、中学高校での苦い経験が元になっています。

幼少期から中学2年生の頃までは、絵を描いていました。
クラスの中では、描ける人ではあったけど、
決して1、2番の画力があったわけではありません。
だけど、年齢にしてはそれなりに描けたし、自分の絵を描けることを評価していただくことは多かったです。

しかし、中学2年生から絵を描くことや練習することをなんとなくやめてしまったので
相変わらず私の画力は中2ならそこそこ描ける方の画力のままです。

私自身、その時々で、ベストを尽くして生きています。
そのため、過去に「ああすれば…」と後悔することはほぼありません。
後悔しても、「いやあ…あの状況でそれは無理だよ。できる範囲でよくやったよ。」
と大概思い直すことができます。

しかし、中高絵を描くことだけはやめなきゃ良かった…という後悔だけは
今でも思い直すことができないでいます。

同じ後悔を繰り返さないために、歩みを止めないで取り組みを続けています。

後悔し続ける理由…

当時、絵を描くことをやめてしまった理由に

  • 満足の行く絵が描けなくなった

  • 自分の描く絵が下手に見えるようになった

ということが挙げられます。

だからこそ、大学生になって『ミステリという勿れ』を読んだ時にハッとしてしまったんです。

自分が下手だってわかる時って目が肥えてきた時なんですよ
本当に下手な時って下手なのかもわからない
・・・(中略)・・・
それに気づくのは上達してきたからなんです。
だから下手だと思った時こそ伸び時です。

ミステリという勿れ4by田村由美

実は、こんな時って伸び盛りなんですよね。
当時特に描けない理由もありませんでした。
だからこそ、当時描いていれば、
描きたい絵が描けるようになっていたんじゃないか?と思ってしまいます。

この失敗を活かして、
どんなにスローペースでも
歩みをとめないようにしています。

学び、目が肥えたからこその苦悩

 詳しいことは別記事で記載しますが、
 プロいくやSNSでの発信を中心とし、
 作品の作り方だけではなく、読まれる、インプレッションを得るために必要なこと等
 さまざまなことを学びました。
 学んだがゆえに気づくことが増えて
 特に最近悩むことが増えていしました。

 やればやるほど
 自分の作品の下手さを思い知り、
 他の人の投稿を見れば
 自分の至らなさを思い知り、
 嫌になってました。

手段としてのSNS

今が踏ん張りどき。

わかってても嫌になっちゃう時もあります。
自分なりにベストを尽くして、投稿したものが
20分後にはなんだかなあって感じてしまうこともあるからなおさらです。

だからこそ、SNS中毒と呼ばれるほど高い中毒性を与える場所で
投稿を続けることでこの踏ん張りどきを乗り越えていきます。


最後に

まだまだ荒削りで不器用で方向性も定まっていないし
表現を通して読者の皆様に何を提供したいのかも定まっていません。
何ができるのかもわかっていないです

しかし、1人の人間が、泥臭くもぶつかり気付いたことや
成長する姿が読んでくれた皆様のお役に立てたら幸いです。

では、今日はこの辺で

良かったらまたきてくださいね(・ω・)/~~~

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