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名古屋で発行された仏教雑誌『幸の泉』ー偽史関係者・織田善雄も編集していた?

 先日、何軒かの名古屋の古書店に立ち寄り、その中で『幸の泉』という雑誌を見つけた。目次を確認すると、以下の記事でも紹介した織田善雄が投稿していたので購入した。織田は柳田国男とも交流があり、神保町のオタ様のブログでは偽史関係者として紹介されている。

私が購入したのは『幸の泉』第15巻第10号(昭和8年10月)である。以下に書影と書誌情報を掲載したい。

雑誌名:幸の泉 10月号 第15巻第10号
大きさ:約22.4cm×約15.2cm、活版印刷
印刷納本:昭和8年9月27日
発行:昭和8年10月1日
発行兼印刷編集人:米本孝巖 名古屋市東区松山町一〇番地
印刷所:志田集栄社 名古屋市中区矢場町一ノ一六
発行所:帝国社会教化社 名古屋市東区松山町一〇番地
頁数:32頁

学者と迂濶(勝海舟先生)
宗教講座 修證義(第十三講) 米本孝巖
文学講座 萬葉集名歌選釋(其三) 織田善雄
詩 山峡の夜道にて 坂野草史
短歌 日本ライン犬山 織田善雄
勉強室・娯楽室
熟語成句故事解(7)
趣味講座 人類の歴史(8) 宮地松魚
禁忌食の話 落合眞雄
偉人の教育 フランスの母 武田生
江戸時代 軽口ばなし
家庭衛生⑦ 山本のぶ子
格言
人形の娘(二) 楠山正雄先生訳
誌友文藝
 散文(編集部選)
 短歌(織田善雄選)
 詩(坂野草史選)
 俳句(加藤彩華選)
誌上交際
美談
関東紡績株式会社平塚工場歌紹介
編集後記 織田生

表紙
裏表紙
目次
奥付

 編集者の米本孝巖は曹洞宗の僧侶であったようで、川口高風「<資料>明治期以降曹洞宗人物誌(八)」(『愛知学院大学教養部紀要』第63号(2016年))に以下のように紹介されている。

米本孝巖 ?-昭和三十一年(一九五六)
愛知県知多郡乾坤院九世。号は雲峰。昭和二十二年(一九四七)七月九日に乾坤院の住職に任命される。二十三年に晋山開堂する。同年には宗会議員に当選し、二十四年から永平寺貫首随行長を十数回務めている。布教師としても名声があり、在職中、禅堂の修復や本堂畳替、浴室の修理などを行った。「乾坤院大通講」を組織して営繕の基金とした。三十年には専門僧堂を開単し、三十一年には聚福院(現在、長久手市)へ帰って十月八日に示寂した。(「傘松」第二五二号、宇宙山侍者寮編『乾坤院』)

「宣教師としても名声があり」とあるが、織田が執筆した「編集後記」によれば、当時米本は上海で布教していたという。発行所の帝国社会教化社は『全国教化団体名鑑』(中央教化団体連合会、昭和4年)で以下のように紹介されている。

名称 帝国社会教化団
事務所所在地 名古屋市東区松山町十番地
創設年月日 大正七年一月八日
経営主体又ハ代表者 代表者 米本孝巖
沿革概要 本団ハ大正六年六月八日、米本孝巖ノ発起者願ニテ、工場布教ノ任命ヲ拝シ、愛知県工場課ノ承認ヲ得、各工場従業員ノ精神的教養ニ努メタルヲ以テ始メトス。大正七年中原布教団成立以来漸次ソノ発展ヲ見、大正十年一月八日、帝国布教団と改称。大正十五年五月、帝国社会教化団ト改称シ、現在ニ至ル。
(筆者により現代仮名遣いにあらためて必要に応じて読みやすくなるように句読点を追加した。)

『幸の泉』はこの団体の布教のための雑誌と考えられるだろう。

 雑誌の内容は仏教に関する文章だけでなく、様々な文章が投稿されている。特に文藝は読者の投稿欄もあって力が入れられており、上述の織田は短歌の選評をしている。近年では、文藝と仏教の関係が注目されている(注1)が、『幸の泉』は地域の文藝誌も兼ねることで曹洞宗の普及に寄与したのだろうか。また、織田は愛知県の郷土研究(民俗学)だけでなく、文藝にも関わっていたように考えられる。他にも織田が関わっていた文藝活動がありそうだ。

(注1)たとえば、星野健一さん「渡辺霞亭(碧瑠璃園)『日蓮聖人』雑記」(調査趣味誌『深夜の調べ』第1号、2023年)

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