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巨大な谷間、板橋(板橋散歩、前編)
【江戸四宿の1つ、「板橋」を目指そう!】
「もう、旅立つのですね。」
「…ああ。」
「道中、お気をつけて。」
中山道の最初の宿場町、板橋。
江戸時代に開かれた幹線道路である五街道は、江戸の入り口である日本橋から海沿いを通り京都へ引かれた東海道と、山道を通り京都へ引かれた中山道の2つが大きな主要道路である。
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東海道の旅が快適と思いきや、実は大名たちが通るのは中山道が多い。中山道はたくさんの日本の山々「中部山岳地帯」を通るのに。なぜ?
実は、幕府は江戸を守るために川に橋を架けなかったので、巨大な川の河口を渡れず立ち往生することが多かったし、関所の取り締まりも厳しかった。
なので中山道も多くの人々が使っていた道路であった。
京都から信濃の山々を結び、江戸に入る入口が板橋である。つまり、板橋は江戸に入る入口。出会いや別れの場所だったろう。今でいう成田や羽田の空港や、東京駅か。
さて、江戸時代のイメージで、日本橋から旅してみよう。
キャラはこの人、江戸日本橋の商人の新婚夫婦が京都へ商用へ向かう設定で。「おまえさん、あたいもついていくよ。」「馬鹿を言うな、京都まで遠いし、信濃や木曽の山々を通る山道だ。過酷な道だぜ。てめぇは家で待ってろ。」「いやよ、心配だわ(浮気するんじゃないかしら)。」「…じゃあ、とちゅうまでな。板橋までで見送りとしよう。」
日本橋は繁盛している江戸の入り口。たくさんの商家が乱立している。
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南へ行けば東海道を経て相模(神奈川)や駿河・遠江(静岡)へ。北へ行けば奥州(東北)や信濃(中部)の山々へ。
日本橋室町へいたり奥州街道と中山道の分岐点を北西に向かう。やがて神田を過ぎるとお城(江戸城)からも遠くなる。ああ、自分は生まれ育ったこのお江戸を離れ、初めて山越えをするのかと。不安と期待で一杯になった。
神田明神に立ち寄り、お参りに。やがて本郷の高台が見えてくると下町から離れていく寂しさ。加賀前田屋敷(今の東京大学)を通り、巣鴨村に入るとけっこう疲れる。猿田彦神社をお参りがてらやや休む。さあ、これから板橋宿に入る。
(以上、筆者の私が歩いたこともない道を調べながら書いてみた。間違いがあれば指摘ください。)
板橋宿は遊郭がある。旅人はここで江戸から離れるのを寂しがったか、江戸に入るのを憂いたか。旅人だけでなく、見送り人や人を迎えるために多くの客が集まる。当然、ただ遊びに行く、観光に行く者もいただろう。
このキャラの旦那も、遊郭で遊んだか。男なら遊ぶだろう。どうなったのかこの新婚夫婦の話はもう書かない。さよなら、ふたり、お達者で。
ところで、筆者である僕は、遊郭跡めぐりも大好きだ(決して風俗巡りじゃないですよ!昔の遊郭跡の遺構を探し、盛り場だった町の研究をするのです!)。
あ、改めまして自己紹介。僕は「町歩き」をテーマに、その町の歴史を研究する変人です。押忍!御酢!!オス!!!ただの散歩と金のない旅行という暇つぶしとダイエットでもあるので、かしこまらずに読んでください。
あとですね、無料の郷土資料館もあるのですよ。歴史と博物館好きとしてはたまらない!!
僕は板橋駅の刑場あとで、新選組の近藤勇の墓を見るのと、板橋区にある高島平という都内屈指のマンモス団地に興味があった。
【まずは高島平から】
僕はJR板橋駅から都営三田線、高島平駅を目指す。板橋については「なんか、池袋の北にそんなとこあったな?」「赤羽って板橋区だっけ?」って認識程度。実際に地図を見ると、東京都北区と練馬区に挟まれた狭そうなところだ。板橋に興味がなければ、あっという間に埼玉県だ(JR線=高崎線や宇都宮線の話)。板橋の北には荒川があり、埼玉県に入る。江戸時代はここを船で超えるため、船場である「戸田の渡し」があった。
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江戸の仲間や恋人たちも、ここで別れていたかもしれませんな。「連れて逃げてよ!」「ついておいでよ!」とか言いながら…(これは別の「渡し」の話か。著作権上、書きませんよ!)
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実際に板橋駅は、板橋区の南端。僕は都営三田線で「高島平、遠いな!」と思った。高島平は板橋区の北端。都営三田線の新板橋から、板橋区役所~板橋本町~本蓮沼~志村坂上~蓮根など間隔は遠くないが8駅を経て高島平だ。
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蓮根は以前、偉大なる探検家・植村直己冒険館で訪れた。今は閉館となり残念だったが、板橋区役所近くの加賀スポーツセンター内で12月18日からリニューアル。僕は10日に訪れたので残念!
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高島平はもともと、徳丸ヶ原と言われていた何もない原野だった。
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イメージとしては、「板橋宿まで江戸の郊外で、その北部は未開の秘境!?」なのかな。あまりにも何もないので、高島秋帆が幕末(天保の改革のころ、アヘン戦争の影響を受ける)に日本初の洋式銃と大砲の軍事演習を行ったことで、全国的に有名になる。そりゃ、人がいる村の近くに大砲や銃をドンドン・パンパン打ち鳴らしちゃ、みんな逃げるわな。戦も関ケ原など、人里離れたところで行われていたし。
明治時代に米の増産のため荒川水域を開発しよう!ってことで、「徳丸田んぼ」「赤塚田んぼ」など広大な水田地域となる。なんと、昔の東京の米の生産7割をほこるほどの地域へ。
やがて工場の進出も進み、工場労働者も周辺に住むようになる。
高度経済成長期に現在の都営三田線が1968年に巣鴨~志村へ開業する。これにて東京都心の大手町と板橋区の志村と赤塚が結ばれる。
(高島平はもともと「志村」という駅名だったが、志村の人々が「そっちは志村じゃないだろ!お前、赤塚村だろ!」ってことで(朝日新聞の見出し「志村じゃないのに志村駅」)、高島秋帆の名をとり「高島平駅」に改称される。(僕の脳内に、志村さんと赤塚さんがバトってます!)
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まさしく東京都心のベッドタウンとして人口増加、1972年に高島平団地が開業。
見渡す限りの、超高層団地!四方八方が団地ですね。
やがて住民の高齢化が進んだため、空き家も増えたと聞いたが、なお多くの人が住んでいるらしい。なお、コンビニよりも団地内(駅近くの団地の1F)にピーコックや東武ストアなどのスーパーや、商店が立ち並ぶ。まさに団地で1つの町を成しているのだ。
僕は高島平駅から、都営三田線の終着・西高島平駅を歩く。
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お腹がすいた。ダイエットのためと代謝を良くする糖分補給で旅のお供に、東武ストアで買った「富山干し柿・あんぽ柿」を買い、少しずつかじる。干し柿が食べたくて大好きで。しかも中が半生で、何物も半生は蕩けるような美味しさだ。
まずは高島平団地近くで1口。ああ、このまま丸かじりしたいが我慢。
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西高島平駅まではそんな長く歩かない。しかし、三田線の終着・西高島平駅の周辺は閑散としているな。「西高島平」を調べたら、検索結果に「駅前」「最果て」「何もない」と続いたが、確かにただの住宅街でまわりに店はほとんどない。その向こうは道路がのび、やがて荒川を超えて埼玉の戸田へ行くのか。
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西高島平から徒歩20分くらいか。板橋郷土資料館へ到着。
【板橋郷土資料館】
閑静な住宅街を抜けて。板橋郷土資料館に到着。
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さあ、中に入る前に。まずは城攻めでござる!!
資料館裏には赤塚城址がある。東京にも実は、ちょこちょことお城の跡があるのは、漫画「東京城址女子高生」で知った。
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以前、世田谷城は登ったが、赤塚城も、城の遺構というより、ただの丘です。
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いわゆるみなさんが知っている城は近世(戦国時代~江戸時代)の平城などで、赤塚城は古代~中世のころ。石垣やしっくいで固められた巨大な城郭ではなく、軍事基地としての建物・お屋敷だ。
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1分で城攻め完了。
丘を登り広場へ。ど真ん中に本丸跡の石碑がある。もちろん、いったい誰が作った城なのかわからないので、「千葉氏」が千葉の市川から移ってきて、ここにて「武蔵千葉氏」として拠点にしたとか。
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高島平から歩いてきてわかったが、高島平周辺は広大な平地だが、この辺りは坂や丘が多い。武蔵野台地が広がる中、荒川と平地と丘に囲まれた、見晴らしがよいこの地形に千葉さんも落ち着いたのだろう。
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東上線は、池袋~北池袋~中板橋~小竹向原にて西武線に乗り換えられ練馬・飯能・秩父方面にも行けます~東武練馬(練馬区じゃなく板橋区)~下赤塚~成増になります~なんやかんやで川越へ
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あんぽ柿2口目。内部のトロリ半生を丸ごとしゃぶり、おいしひ。
さあ、資料館を攻めていくぞ!
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1部屋でこじんまりだが、無料です。真ん中に道祖神や板碑・地蔵など。現地の人々の道端にささやかに祈る信仰のあとを見ることで、地元で暮らしていく人々の心が見えてきそうで。地元の歴史を残そうとする郷土資料館はこの道祖神を飾ってますね。「米が今年は豊作であるように」から「洪水が二度と来ないように」や、「明日良いことおきますように」やら「好きなあの子と結ばれたい」とかでしょうか。
周辺に歴史展示。旧石器時代はここまで海だったとか、なのでこの周辺に集落があったのだろうか。
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【古代~中世の板橋の支配者】
支配者の話をしよう。マニアックな歴史話なので、嫌いな人は次の見出しに飛ぼう。律令下(古代の天皇の支配)では武蔵国豊島郡があり、多摩郡にならぶ大郡。律令制が崩れた平安時代は源氏の豊島氏が支配。練馬城(としまえんが城址)や石神井城を作る。やがて戦国時代に鎌倉府の公方(将軍)足利氏を支える関東管領・上杉氏の配下である太田道灌に豊島氏が滅ぼされる。
僕の興味は赤塚城。千葉氏は桓武天皇の子孫である平氏と言われるし、地元の豪族ともいわれる。どのみち、律令制以前から「千葉」と言われる土地に土着していたのだろうが、源頼朝(源氏は清和天皇の子孫)の挙兵に活躍、今の千葉県あたりに所領を広げる。さらに元寇のときに九州防衛のため今の長崎県に千葉氏の一派がうつる(九州千葉氏)。そのときに長崎の深堀(僕の生まれの近所)から時津までの長崎半島の広い岬を支配したので長崎氏と名乗ったとか、北条氏の家来(身内人)の長崎氏(静岡の伊豆に所領をもつ平氏)が移ったから長崎という地名になったとか。
長崎県出身の僕は親近感を持つ。
この千葉氏が鎌倉公方と対立し、千葉から赤塚へ移った(武蔵千葉氏)。そして太田道灌と対立。やがて小田原北条氏の家来となり、秀吉が小田原北条氏を滅ぼし天下統一するまで、この周辺は武蔵千葉氏の支配下だった。
とまあ、いろいろグダグダ書いたけど、かなり複雑な歴史なのだろう。これも秀吉が関東を支配し、その関東を家康にポーンっと渡し(ともに1590年)、徳川の政権下に下ると、この荒川がよく氾濫する地域は「鷹狩の場所」として利用されるようになった。
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前回の杉並散歩にならび、幕府は江戸の郊外を鷹場にしたのでしょうね。
【人々の暮らし】
さて、ここからは民衆のターン。
文章多かったので、写真をお楽しみください。(決してサボるわけでは…)
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ということで、前半は以上。次回は資料館に並ぶ名所「東京大仏」と、板橋本町を歩きます!
東京大仏は癒しでした… 麗しく尊い… ずっと見てたい。
板橋宿跡もよかった。遊郭も出てくるよ!!
干し柿の運命も、ぜひ気にかけてね★