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街道の町・埼玉②
今回も4000字程度です。
埼玉を見直そう
埼玉県。東京のベッドタウン、東京近郊以外は秘境、または東はほとんど千葉またはほとんど栃木、西はほとんど群馬、と思われ気味だ。
確かに、多くの人は小田原から東京を通過し、大宮まで東京の延長と感じるだろう。しかし、大宮を抜けると大都市感はうすれていく。
上尾や桶川、鴻巣や行田など聞きなれない都市を通り、熊谷と深谷や本庄を経て、「長いなあ」と思っているうちに群馬県の高崎に入る。
その「長い何かたくさんあった駅」が埼玉だ。
ふと、駅から降りてみよう。駅の周り以外は、どこに行けばよいかわからない。
行田といえば忍城や埼玉の語源にもなった「さきたま古墳群」であるが、駅からはるか遠く(秩父鉄道の行田市駅のほうが最短)、バスで20分・徒歩で1時間以上はかかるだろう。行田の駅前には見繕った店ぐらいしかない。
深谷は駅は立派であるが、外観の壮麗さのみ。地元の英雄の渋沢栄一の資料館ははるか遠い、さらに行田と同じくバスの本数も少ない。
つまり、「ちょっとついでに降りてみよう」程度だと、降りるだけ無駄である覚悟をせねばならず、結局は「埼玉って何もないよね」って思われ気味かもしれない。
そんな、我が地元の埼玉。僕は今、地元の郷土資料館を巡りながら、埼玉の歴史と産業を探っている。埼玉とはどんなところなのだろう。
前回の①に引き続き、東武(武蔵の東)について描写していく。
埼玉東武、日光への道
埼玉の東武は、日光街道によって発達した町だ。
特に東武伊勢崎線沿い。草加、越谷、春日部、杉戸、幸手と久喜を経て栃木県に入る。(埼玉県は市が多く、日本一の数である)
日光街道とは、東照大権現こと家康公が祭られている日光東照宮への参拝道であるが、もともとは家康が奥州への旅客と貨物の幹線道路として整備した。日光街道と奥州街道は、栃木の宇都宮までは同じである。しかしながら、現在の国道一号こと東海道並みに重要であった道である。
しかし実は、将軍が日光へ参拝する道は、別に作られた。
それが、「日光御成道」である。
ルートとしては、中山道の本郷から分岐され、岩淵(赤羽)から荒川を越え、埼玉県の川口に入る。
どんどん北上し、鳩ケ谷、大門(浦和美園あたり)、岩槻、幸手にて日光街道と合流する。今の埼玉高速鉄道(赤羽の岩淵から埼玉スタジアムがある浦和美園まで)沿いである。
おそらく、将軍と庶民とのトラブルを防ぐため、日光街道は庶民や大名たち専用に明け渡したのだろう。もちろん、御成街道も庶民は利用できたため、あくまでバイパスという考え方か。2代将軍秀忠が家康の亡骸を関東を一望する日光山に祀るときに利用したのがこの御成街道だとか。
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日光御成道「鳩ケ谷」と、川口
日光街道の前に、まずはこの日光御成道を描いていく。
埼玉県川口市の鳩ケ谷にある「#川口市郷土資料館」。
川口というと、何をイメージするだろうか。かつての西川口だろうか(この好色さんめw)。
かつて「キューポラのある街」として小説化・映画化されたが、鉄器をつくる鋳物産業(キューポラ=鉄を溶かす炉)が発達した町だ。しかしながら、実はブルドックソースが発展した町であり、サッポロビールの工場や川口味噌などの醸造業、藍染めと織物業、稲作や、くわい・レンコンなど野菜作りなど。
産業が多岐にわたる豊かな町である。
鳩ケ谷の川口郷土資料館は、その川口の産業の歴史を展示してある。
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藍染めは埼玉の主要産業のひとつ。
藍は、虫や蛇避け、消臭や細菌の抑制の効果、さらに時間が経つほど色合いがよくなる。
ジーンズやデニムも藍というか「インディゴ」という同じ色素で、江戸時代のほとんどの衣服は藍色だ。(昔の衣服は現代の多様なファッションと異なり、色や形などは制限ばかりだ)
原料のタデ藍の生産もしやすいのもあるのかな。
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埼玉の西武は養蚕と絹織物、東武は綿織物の生産がさかん(タイトル画像や前回①に、埼玉の地場産業マップをのせている)なようだが、おそらく養蚕に必要な桑(蚕のえさは桑の葉)は山地や丘陵地に向くためであるから、山がちの西武は絹。
推測だが、対照的に、綿花は川が多い低地に生産できるからかな。
藍染めは多くの水が必要なため、綿生産と相乗効果的に発達したのだろう。
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川口は東武と西武の中間。ここからは綿生産がさかんなようだ。
まあ一概に言えず、東武でも絹生産はあったかもしれないが。
そんな川に恵まれた川口の地場産業はもうひとつ、釣り竿である。
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米がとれるのは、豊かさのきっかけ。
川口は街道と物流の拠点で産業も多様なため食事もさぞ豪華だったろう。(ただし菜食の一汁一菜中心だろうが)
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やがて、鋳物産業も発達。川口は江戸や東京に向けて、家具や道具の需要も見込み、さらには川が集まるところ、つまりはよい土砂も積もるところ。この粘土が、鋳物づくり、「溶けた鉄を流し込む」鋳型に使われる。
川口鋳物は需要と供給の利点で産み出されたのだ。
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つまり、川口の産業は日本経済をも支えた。
この川口の産業を支えたのが、水である。
川口は、「地面を掘れば水があふれる」と言われるほど、水資源に恵まれた。
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豊富な水資源は、時として牙を剥く。
水害だ。
川口をはじめ、川に恵まれた東武はキャスリーン台風など水害により壊滅的被害を受けてきた。
荒川の南・東京の北区にも(飛鳥山博物館にも展示あり)東武にも、水害用の避難小屋・水塚(みずか)が各地に作られていた。
もともと、人が住める場所とは言い難い、「掘れば塩水しか出ない、広大な湿地帯」である関東。この関東を首都に開発したのが、神君・家康公であるが、実際に家康公の志を受け、水道工事を行った人々に、以前水道の歴史記事でまとめた玉川上水を作った玉川兄弟がいる。
そして、その玉川上水の水道奉行でもあり、父の伊奈忠次とともに、利根川東遷と荒川西遷事業など、関東の治水とくに江戸と埼玉(武蔵)中心に多くの河川事業や産業の基礎を作った、埼玉の神としても崇めてよい「伊奈忠治」。この伊奈忠治の本拠地が、川口にある赤山陣屋(赤山城)なのだ。
いつか伊奈忠治についても調べ記事を描いていきたい。
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つまり、幅が狭く奥に長いつくり。
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町を歩いても、見える「鳩ヶ谷宿あと」。
筆者の趣味の、町歩き歴史散歩が充実する。
岩槻へ
鳩ケ谷から日光御成道を北上し大門宿(今の埼玉高速鉄道の浦和美園駅・埼玉スタジアム近く)を経て、岩槻に入る。岩槻は、現在は春日部と大宮をつなぐ東武野田線の中間地点。近年、大宮と浦和と与野とともに「さいたま市」に合併された都市、といっても知名度は少ないだろう。
「ひな人形の町」といえばわかるだろうか。
(アニメ・漫画オタクの筆者から見れば、「その着せ替え人形(ビスクドール)は恋をする」の舞台・聖地といえよう。しかしながら、岩槻はあまり「着せ恋」を前面に推してはいないようだった… 割とファンが多い当時の覇権アニメだったはずなのにっ!)
それはさておき。
岩槻は宿場町でもあり城下町でもある。岩槻城は太田道灌により江戸城や川越城とともにつくられたという説もあれば、成田氏の居城という説もある。
いずれにせよ、江戸時代には将軍が日光参拝時に宿泊するのがこの岩槻城「御成御殿」といわれる。
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岩槻の人形博物館近くには西洋の野菜が売ってる店がありました。
岩槻も、埼玉東武の川に恵まれた地域。
川があるところは繁栄すれど、水害という牙を剥く。
元荒川は熊谷から東に向き、岩槻や越谷を経て中川に合流(そして八潮から東京の足立区と葛飾区を経て荒川に合流)。
綾瀬川は桶川から蓮田を経て東に向き、岩槻を通り、浦和と川口を南下し、さらに東へ草加を南下し足立区の綾瀬駅と北千住駅の間で荒川に合流する。
この2つの川にはさまれたのが岩槻だ。
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郷土資料館を出て、駅前に戻り、左手側の人形博物館へ。
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桐などの粉を型に詰めたりして、人形の頭をつくる。
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岩槻のひな人形などの人形細工の誕生も、日光御成道によるものと言われる。
日光の宮大工たちが岩槻に立ち寄り、桐のくずや粉末を利用してつくったのが岩槻の人形細工のはじまりだとか。
諸説あるが、この辺りが桐がよく育ち、そしてその桐粉を固める水も豊富だった。さらに、街道を伝い江戸に運ばれ売っていたのだろう。
これは、春日部の桐箪笥や、越谷のダルマにも通じるし、川口の鋳物の生産も同じ構造だ。
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陰キャのひな人形オタクの主人公が、陽キャだが実はアニメ漫画オタクが過ぎてコスプレ趣味のヒロインと出会い、一緒に「好きに邁進し仲間と出会っていく」青春もの。
美しい映像美と躍動するキャラの心理描写と表情芝居、歴史に残すべきアニメだろうが、内容がちょっとエッチなシーンが多いことも、岩槻市であまり推せない原因なのかも。
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次回の③へむけて
以上。前回は「草加と春日部を描く」と言っておきながら、川口と岩槻を描きました。引き延ばしのようですいませんでした。
しかし、草加と春日部との共通点が、この川口と岩槻にもあると思い描きました。
突然のアニメや漫画の聖地についても描いてしまいましたが、やはり必要な要素だと思います。
越谷はやっぱ「小林さんちのメイドラゴン」、春日部は「クレヨンしんちゃん」かな。あとで描きたい西武(東武より取材は進んでいる)もたくさんの漫画やアニメの聖地がある。
おもに地元の産業や生活を描きたいのだが、やはり漫画とアニメの要素も必要だろう。