津久井湖に沈んだ集落 ~タイムトリップの旅②
この物語はフィクションで、実際の町の様子をできり限りの資料から妄想で作りました。5000字くらいですが写真多め。
津久井湖編の第二話です。第一話は下のリンクにて。
無口な子に育ちました
祖父はよく「俺の村はな、ダムに沈んだんだ」と言っていた。
子供を連れ実家に帰っても、僕の子供のころのように祖父はアルバムを見せようとする。最初は白黒の写真を怖がっていたが、さすがに小学生ぐらいになると怖がらないというか見飽きてきたようで避けるようになり、祖父も諦めてきたところ、数年前に他界した。
しかし9歳になったわが子は、ふと実家になって退屈になったときに、そのアルバムを自分で見始めた。
正直、この子がわからなくなってきた。何が楽しいというわけでなく、テレビをずっと見続けている。好きなアニメやゲーム、好きな番組もあるというわけでなく、ただつけていた番組を眺めているだけ。
本も、僕が買ったものを手に取って読んでいるだけ。
会話も、自分からするのではなく、僕がいろいろ聞いたことに応えるだけ。
物静かで表情もあまりない。
母親はこの子が小学生になる前に亡くなった。
僕も慣れない子育て、仕事と家事の両立で、この子にあまり構ってやれなかったこともある。
たまに二人の休みがあると、どっかに連れて行こうとするのだが、僕が提案した場所に「うん」「うん」とうなづくだけで、動物園や博物館や映画館に行っても「楽しかった」とつぶやくだけ。
一度「ほんとは、どういうところが好きなの?」と聞いてみたが、だいたい最後は逃げたり癇癪起こして泣いたりする。彼を傷つけないよう、ひたすら僕がいろんなところを連れたり、話したり、見せたり、していた。
もっと彼に付き添っていれば、子育てに完全に失敗した自分は愚かな親だと自覚している。
津久井湖に沈んだ村。いつものように、たまたま近くにあって、退屈だったから手が伸びただけだろうが、あんなに避けていた祖父のアルバムを、この子は見ていた。いつものように僕は何となく「行って…みるか?」と誘ってみた。「ん。」
アルバムを閉じて部屋に逃げて行ったが、いつもは目を合わせないくせ、僕の目を見て「行く!」って意思表示したようなのがうれしかった。
相模湖、ダムに沈んだ「勝瀬」の村あと。
中央線相模湖駅。ここもダムに沈んだ村「勝瀬」がある。
相模湖はボートや釣り具、そしてゲームセンターや川魚料理を出す店もあるので、子供も楽しめそうだと思った。
「ここも、勝瀬って村がこの湖に、沈んだようだよ」と言ったがそっぽをむいて景色を眺めていただけだった。いろいろ誘ったが「いい」って言うだけ。「ますのねぎみそ焼、相模のかて飯ってどんな味だろうね」「いい」って、まだ午前10時、朝ごはんも食べてきたからそりゃそうか。
ただの散歩で終わり、駅に戻る。僕は奥にある「小原宿本陣跡」という建物にも興味があったが、距離が遠いために遠慮した。
相模湖にはバスがあり、そこから津久井湖に行ける。バスを待っている間、観光案内所に入り、近所の写真とか眺めていると、昔の勝瀬の村の写真があった。
この子はじっと眺めている。
「勝瀬っていうらしいよ」と声をかけたが、いつものように無視される。けど、けっこう夢中である証拠だ。
「すいません、この駅は、写真でいうとどのあたりですか?」
「ああ、えっとね」案内所の人がわざわざ写真の前で示してくれる。
だいたいこの崖のあたり? 低いところがダムに沈み、高い崖の上がこの中央線と甲州街道のあたりか。
バスの時間になり駆け込む。
「旅行に来たという感じがするね」僕は家の時とちがい、遠慮せず、必死に声をかけようとした。いつものように無視されたり「ん」とつぶやかれるだけ。
バスは三ケ木(みかげ)のバスターミナルまで行き、そこからJR横浜線(京王線)橋本駅行きへ乗り換える。「みかぎ」と勝手に読んでいたため、観光案内所の人が「みかげ」というので混乱した。
バスは相模川の橋を超えて、美しい山々をのぞみ、三ケ木にたどり着いた。
そこから徒歩にしたのが、この旅の大きな失敗だった。
沼本から中野へ。
僕はこの津久井湖を端から端まで歩こうとした。しかしながら、ふだん家に閉じこもっているわが子。季節は夏、バス停からしばらく歩くだけで汗がにじむ。しかもわれらが住んでいるところとちがい山道だ。緑のにおいがだんだん鼻についてくる。
しかし、こんなに緑が多いものか? こころなしか、民家もだんだんと昔の古い建物が増えてきているようにも思える。
バスは沼本で降りればよかったものの、うっかり三ケ木まで乗ってしまい、来た道を戻るように道志橋を超えた。橋を超えると広がる緑。そして砂利道。あれ?ここバスで通った時はちゃんとした道路だったはずだが…?
沼本集落に入った。スマホのナビは明らかに湖なのだが。僕はその集落にどんどん入っていく。実に不思議な感覚だ。
まわりは点在する民家。人々のかっこうも昔の姿だ。
なぜか僕は確信した。ダムが沈む前、昔の世界に来たのだ。頭の中でそれが自然であるように、何かの大きな声で響くように、体中にそれがはっきりと信じられていた。
「なんかちがう…」この子も反応していた。「昔に戻った…?」まるで神の子のお告げのように彼はつぶやいていた。
ここで親子ともに不思議がればいいのだが、彼は駆け出した。興奮したような顔。
沼本の隅々を、僕らは見て回った。
(その時の話は、↓の以前書いた記事にて)
僕は冷静に財布の中を見た。なぜか、昔のお金が入っていて、何がいくらかわからないが、なんとなく使えそうに思えた。神様というか、神秘な体験はできるものだ。
ある程度見ていったが、だんだんとこの子も緊張と僕への気遣いと、久しぶりの外出で表情がいつものように、いやいつも以上に暗くなっていた。
川坂から中野へ。
沼本から川坂へ、ひたすら歩く。わが子はふてくされたように、ハアハアと息をきらして長い間歩いた。
「もうやだ…」とこの子が根をあげたのは、川坂から急坂を登り、中野に来た頃だった。
僕はここでお昼を楽しもうと思った。ゆっくり休むのも良い。
昔は川和と呼ばれたこの町は、北は相模湖と甲州街道(中央線)、西は道志川(沼本と道志橋は相模湖からの相模川との合流地点)沿いに、ともに山梨県方面を結ぶ道。南は宮ケ瀬湖や厚木、そして東。
2里(8km)ほどにある相模原市の「橋本」は、八王子街道と大山街道の宿場でもあり特に明治以降は八王子のまゆや生糸や織物を横浜まで運ぶ中継拠点の一大繁華街であり、ここを中心に商う人々が中野に集中していた。
主要道路の両脇には商店がならぶ。酒造、味噌、醤油、コメ、木炭、図書、文具、呉服や荒物。
道には大八車、荷物をのせた馬、背負子(しょいこ)や風呂敷を背負った人々などが通る。
うどん屋、そば屋。僕らは地元の料理を食べさせてくれる茶屋を探した。
かて飯というのか、地元の野菜を炊き込んだご飯。おかずはこの地域の産品か、豆腐、おからを揚げたコロッケがついていた。
そして鮎の塩焼き。この子もおいしそうに食べていたのを見て嬉しかった。
ゆっくりご飯を食べ、お茶を飲み、ぼんやり人々の声を楽しむ。昔ながらの方言も混じっている。おたがい無口だが、心地よい時間を過ごせた。
当時のお店を見るのも楽しい。この子も興奮を隠しきれず、味噌屋や醬油屋、そして地元の川和縞が売られている呉服屋の衣服も眺めて面白そうだった。僕が一方的にしゃべりこの子は「うん」とうなづくだけだが、親子の会話を楽しんだ。
馬糞を踏んだ。この子は嫌そうな顔をするが、僕は爆笑してみた。連られて笑ってくれるのも嬉しい。
道のわきで子供たちも遊んでいる。ボールをついたり、メンコをしたり。ただひたすら追いかけっこをしたり、馬跳びをする子。アイスクリーム売りからアイスを買う子、持ってきたサツマイモやたらし焼きを食べる子。
貼っている広告によれば、中野屋という芝居小屋で映画会をやるようだ。どうやら旅の興行などが手品や奇術などをしたり、三味線や幻灯会なども。
中野の町は河岸段丘の上のほうにあり、この辺りはダムに沈んではいない。
なので、僕らはまた坂を下ってもと湖の村のほうに戻る予定。
「また坂を下って、不津倉というところを通って、三井の小学校も見ようよ。で、塩民橋を渡ったら、荒川っていうちょっとした町があるらしいよ。そこにはブドウ園があったり、『さんこうく』ってところの桜がきれいらしいよ。鮎漁も見れるかもね。」
僕は祖父の写真と現地の人から聞いた話をもとに立ててみた、旅の計画を伝えた。湖周辺を楽しむ予定だったが、まさかタイムトリップできるとは思わなかった。この子の機嫌も直っているようで、ちょっとした笑顔で「ん」と言ってくれた。何より、昔の街並みが気に入っているようだった。
不津倉から三井へ。
坂を下り、不津倉といわれる集落に入る。
ここには友林寺があり、何より集落のほとんどの表札が、「長田」か「佐藤」だった。
ここには「不津倉の渡し」という船着き場がある。
この辺りは船による輸送業が地元の人々の魅力的な仕事らしい。遊覧船、魚釣り、木材の輸送。船を巧みに操り、稼ぎも良かったらしく、粋な仕事として人々のあこがれだったようだ。
しかし、道路や橋が整備され、次第に自動車も使われはじめバスも通るようになると、次第にこの仕事も廃業が相次ぎ、他の仕事につく人々も増えたと聞いた。
僕らも橋を渡ろうとするが、せまい橋で怖かった。怖がるわが子を写真で撮った(なぜかこれまで撮りまくったスマホの画像は、のちにことごとく消えたが)。
三井へ。
三井(みい)地区の中心地は、崖の上になる。三井寺と八幡神社、その近くに町が集まっているが、僕らは川沿いのほうを歩く。
この奥の塩民橋の手前に、三井小学校があるらしい。小学校自体は中野にもあったが、ダムに沈んだ小学校として僕は興味を持っていた。
まばらな住宅を過ぎていくと、大きな建物が見えた。これが三井小学校らしい。
この子は校庭に入るとすぐに駆け出し、昔の小学校の建物を隅々まで見ていた。休日であったが、小学生が校庭で遊んでいる。ボール遊び、ゴムまりみたいなものを手のひらで打っていてそれを奪おうとするもの(筆者註・ベースという遊びらしいが?)、馬跳びやゴム跳び、かけっこ。
僕は校庭の手前のほう、遠くから昔の子供と今の子供の遊びの違いを考えながら眺めていた。
ん? ふと、大きな子が、わが子に話しかけているな。
まさか、友達がいないわが子に、この時代の友達ができるのか。
その大きな子は、わが子の手を引き、走っていった。
僕は遊びに誘われたかと思いながら彼らを追いかけていったが、校舎を出て、その子はどんどん走っていく!
連れ去ろうとしていたと思うや、心配になりながら僕はダッシュで追いかけた。その子はわが子を背負い、とにかく走る。やばい、速い!!
わが子は、戸惑いながら僕の顔を見ながら、言われるまま背負われていったようだ。ちょっとでも大声出せばいいのに!
「ちょっと! 君!! 待ちなさい!!」彼は塩民橋をダッシュで走る。
「すいません、だれか!あの子を!!」「うちの子を!!」
ふだん運動しないのがたたったか、すぐ息を切らす。歩きっぱなしで足もいたい。しかも高所恐怖症の僕は、橋を渡るのが怖いが、無我夢中で追いかけたが、距離を保つどころかどんどん開いていった…
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