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三島由紀夫『春の雪』を読む2【ネタバレ有】
※上記の記事の続きです。ぜひ前回の記事をご覧ください。
今回は本作の”色”について語りたい。
題名から想像される桜や梅の紅。鎌倉の空や海の青。清顕の夢に現れる寺院の黄金。留学生・パッタナディド殿下の指環のエメラルド……。本作にはカラフルな世界ばかりが広がっている。そう思われる方も多いかもしれない。
しかし、一方では鮮やかなモノクロの世界も広がっている。項の白と髪の黒、毛皮の白と斑紋の黒、法衣の白と剃髪の黒。そして、セピアいろの写真。みな白黒である。まずは白黒の対比に注目しながら『春の雪』を語っていきたい。
4.白黒の対比
4.1 宮中の新年賀会
13歳当時、清顕が参列した宮中の新年賀会について。本作の序盤にて、セピアいろの写真の次に語られるエピソードだ。清顕の美少年ぶりが強調されているが、私が注目したいのは妃殿下のお姿である。
今も清顕の目にうかぶのは、諸事地味ごのみの皇后のお裾よりも、黒い斑紋の飛ぶ大きな白い毛皮のまわりに、無数の真珠を鏤めた妃殿下のお裾の方である。(p.12)
妃殿下のお髪は漆黒で、濡羽いろに光っていたが、結い上げたお髪のうしろからは、次第にその髪の名残が、ゆたかな白いおん項に融とけ入ってゆき、ローブ・デコルテのつややかなお方につらなるのが窺われた。(p.13)
姿勢を正して、まっすぐに果断にお歩きになるから、御身の揺れがお裾に伝わってくるようなことはないのだが、清顕の目には、その末広がりの匂いやかな白さが、奏楽の音につれて、あたかも頂きの根雪が定めない雲に見えかくれするように、浮いつ沈みつして感じられ、そのとき、生れてはじめて、そこに女人の美の目のくらむような優雅の核心を発見していた。(p.13)
モノクロの世界が鮮やかに描かれている。妃殿下の美しさが、白黒の明瞭なコントラストの裡に表現されている。同時に、妃殿下に優雅を見て取る清顕の姿もある。たゆたえども沈まず。そんな言葉に象徴される貴族的な”優雅”である。彼はそのような優雅に美を見出した。
4.2 結末との対比
結末を知る私にとって、この記述は物悲しい。綾倉聡子の出家を思い起こさせるからだ。白は尼僧の袈裟を、黒は剃髪された髪の毛を連想させる。
清顕は白と黒に惹かれ、白と黒に殉じた。剃髪後の聡子に会えなかった彼を思えば、そんな解釈もあり得よう。物語は白黒に始まり、白黒に終わるのだ。
我々の眺めている世界も、案外この小説世界と似ているのかもしれない。色彩は仮初めであり、本当に世界を支配しているのは白黒の方なのかもしれない。そんな事をも思わせる。
4.3 冒頭と結末が対応する根拠
この白黒の対応は、私個人の突飛な印象論ではない(と信じている)。下記の文章を読んでいただければ、納得できよう。
……昨夜は昨夜で、彼は夢のなかで自分の白木の柩を見た。……[中略]……一人の若い女が、黒い長い髪を垂らして、うつぶせの姿勢で柩に縋りついて、細いなよやかな方で歔欷している。女の顔を見たいと思うけれど、白い憂わしげな富士額のあたりがわずかに見えるだけだ。そしてその白木の柩を、豹の斑紋の飛んだひろい毛皮の、たくさんの真珠の縁飾りのあるのが、半ば覆うている。(p.23)
清顕が見た夢から引用した。夢の中では、自身の葬式が執り行われているらしい。柩に縋りついている女性の顔は見えない。ただ、黒い髪や豹の斑紋の飛んだ毛皮といった特徴は、新年賀会の妃殿下を思い出させる。
一方で、白い富士額はどうか。こちらは聡子を彷彿させる。また、物語の展開上、清顕を弔う役割にあるのは聡子だろう。著者は布石を丹念に用意していた。
5.色彩豊かな世界
今までは本作の白黒のコントラストばかりを強調してきた。だが、彩り豊かな世界もたしかにある。次はその点を紹介していきたい。
5.1 思いのほか目立たない桜や梅
『春の雪』という題でありながら、桜や梅そのものはあまり描かれていないように感じる。電子書籍であれば作品内で検索してその点を明確にすることも可能だ。が、三島作品は電子化されていない。深く切り込んでいけないのが残念でならない。
ただ『春の雪』に桜の描写らしきものが見当たらないという印象は、朧気ながらある。この点は谷崎潤一郎『細雪』と比較してみるとわかりやすいだろう。
彼女たちがいつも平安神宮行きを最後の日に残して置くのは、この神苑の花が洛中に於ける最も美しい、最も見事な花であるからで、円山公園の枝垂桜が既に年老い、年々に色褪せて行く今日では、まことに此処の花を措いて京洛の春を代表するものはないと云ってよい。
蒔岡四姉妹が、花見のために京都中の寺社をめぐるシーンは印象的であろう。嵯峨野や平安神宮、嵐山。色んな名所に訪れる。そんな花宴のシーンを繰り返すことで、読者に桜の濃い印象を与えている。
一方で『春の雪』にはそれらしきものがない。雪の描写は何回も繰り返されているものの、桜や梅の描写はどれほどあっただろうか。タイトルから連想する梅や桜は我々の幻影なのかもしれない。
しかしながら、桜や梅があまり登場しないからといって、紅が出ないわけではない。鼈の生き血や清顕の喀血といった形で、『春の雪』の紅は彩られている。
5.2 鎌倉の青い海や空
留学生・パッタナディド殿下との海水浴の場面も印象的だ。清顕と本多、タイから留学してきた2人の王子の4人は、鎌倉にある松枝家の別荘に滞在していた。殿下はエメラルドの指環を紛失した直後であった。傷心旅行のような側面もあったのだろう。(清顕と本多の方にもまた別の目的があったのだが、それは別の機会に扱うことにしたい。)
ちなみに、別荘のモデルは鎌倉文学館であるらしい。
![](https://assets.st-note.com/img/1639694797622-mHoohABafe.png)
鎌倉文学館公式サイトより引用。
しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力づよく見えていた渚の波も、実は稀薄な衰えた拡がりの末としか思われなくなる。次第次第に、沖へ向って、海は濃厚になり、波打際の海の稀薄な成分は濃縮され、だんだんに圧搾され、濃緑色の水平線にいたって、無限に煮つめられた青が、ひとつの硬い結晶に達している。(p.264)
鎌倉の景色については、引用しきれない程に、精緻な描写がなされている。ここで紹介した文章もその一部でしかない。個人的に気に入っている風景でもあるので、ぜひご自分で全体をご覧になっていただきたい。
5.3 エメラルドの指環
エメラルドの指環は、ジャントラパー姫(ジン・ジャン)からパッタナディド殿下へと贈られたものである。ジャントラパー姫はパッタナディド殿下の妹である。
それは二三カラットはあろうと思われる、四角いカットの濃緑のエメラルドを囲んで、金のごく細かい彫刻で一対の護門神ヤスカの、半獣の顔を飾った巨きな指環で、こんな目立つものに今まで気づかなかったのは、清顕の他人への無関心をよくあらわしていた。(p.64)
ここで登場する「護門神ヤスカ」とは、いわゆる夜叉のことではないかと思われる。この議論については、イチゴ味の中の人氏の記事を参照されたい。
イチゴ味の中の人 春の雪に関するメモ その3 (shinobi.jp)
指環の盗難事件の経緯は割愛したい。今回の記事の本線ではないからだ。
6.余談~『天人五衰』の老人
『天人五衰』において、本筋に絡んでこない”奇妙な老人”を見かけたことがあるかもしれない。野菜屑や鳥の死体らしきものを落とす老人のことだ。この老人は安永透の日記に登場する。
老人の腰のふくらみが急に削ぎ落された。[……]地球儀のような雑多な色と形のものが、雪にはまって鈍い光沢を放っていた。よく見ると、ビニールの包みで、野菜や果物の切り屑がいっぱい詰まっているのである。(p.231)
そのまま老人は同じ歩度で遠ざかった。老人自身は気がつかなかったのではないかと思うが、[……]、外套の裾から何かが雪の上の落ちた。
黒い、鴉らしい鳥の屍骸が落ちていた。九官鳥だったかもしれない。(pp.231-232)
何の鳥だっただろう。あまり永く見詰めているうちに、その黒い羽根の固まりは、鳥ではなくて、女の鬘のように思われだした。(p.232)
6.1 「老人=松枝清顕の偽物」説
「この老人は松枝清顕の偽物ではないか」、そのようなfufufufujitani氏の指摘は興味深い。たしかに「女の鬘」が聡子の剃髪と対応しているように映る。説得力のある主張だ。
ただし、野菜屑の解釈については、氏と異なった見方をしている。氏は野菜屑を「精進料理」の換喩だとしていた。聡子は出家したために、精進料理を食べるしかない。聡子と再会できなかった清顕の偽物(生きた怨霊?)が、捨てられた野菜屑を所持していても不自然ではない。私もその点には納得しているし、正しいようにも感じる。
しかし、別の解釈もあり得るように思う。あるいは、より多層的な解釈が可能だと思っている。
引用文より、野菜屑はビニール袋に入っていた。しかも「地球儀のような」と形容されている。野菜屑の入ったビニール袋は、「色彩豊かな世界」を象徴しているのではないか。そのような解釈もできるだろう。
6.2 まとめ
本作にはカラフルな世界が広がっている一方で、白黒の対比が強調されていた。物語は白黒で始まり、白黒で終わっている点も興味深い。力強いモノクロの世界も、カラフルな世界と同様に存在していたのだ。
カラフルな世界とモノクロの世界との二項対立は、本作の重要な構造になっているのかもしれない。少なくとも、最後に記した『天人五衰』の老人のくだりは、その対立構造を活かしているように思われる。
一方では「彩り豊かな世界」を象徴する”野菜屑の入ったビニール袋”があり、もう一方では「白黒の世界」を象徴する”雪の上に落ちた黒い何か(しかも女の鬘のように見える何か)”があったからだ。
そのように発想を広げてみると、『春の雪』の色の問題は本質的な課題のように捉えたくなる。
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