【連載企画】関係と個体のゆくえ 二、個体化の原理のリミットとしての相関主義と心理主義および神経主義
今回は、連載第二回ということで、これまで語られてきた「個体化の原理」と、その現時代的なリミットとしての「相関主義」について語り、もってそれによって生じてきた「心理主義」および「神経主義」についての問題を考察する。
タレスの哲学は、世界とは何であるか、万物の根源は何であるかを問う、すなわち内在と超越の区別も知らない、端的に生ける自然への好奇心の哲学であった。一方でソクラテスは関心を天上から巷間に引き下ろすのみならず、自分とは何であるかを絶えず探求し、かつ自分は何者でありうるかを問うしかたでの哲学であった。
一方で、現象とDing an sich(物それ自体)の区別を知った哲学は、知るというきわめてプリミティヴな欲求に任せて物それ自体としての超越を志向する。徹底的に現象において基礎づけをしようとするしかたもあれば、主観との相関においてのみ対象を認識しうるとする相関主義をラディカル化して内破させようとする動向もある。今もなお、事態はおさまりがつかない。
前回千葉=ドゥルーズを扱った際、課題は関係のリゾームにおける個体化の問題であった。しかし、わたしたちが人間関係のみならず、他の事象に取り囲まれているなかで、事象は事象の継起的再生産の只中にわたしという形態の円環を作動させる。
しかしいかんせんわたしたちはつねにすでに個体として個体化し続けることによって個体系を保っている。だから、わたしたちは無分別な超越的全体性のまどろみに身を委ねるだけではなく、日々、個体として生きることを続けなければならないように思う。そこで、今回は、むろん超越的な意志からの個体化について語るにおいて意志のまどろみを語ることもするが、同時に、つねにすでに個体であるところのわたしたちの通俗的な意味における「現実」についてもしっかりと語らなければならないと思った。したがって、超越のまどろみに身を浸していたい方は、お読みにならないほうがいいかもしれないし、かえって、超越の体得を欲している方にとっては、むしろお読みになれば何かしらの手がかりがあるかもしれない。
だから、本稿はあくまでも先行する言説に従って「手がかり」を投げかけるものであり、必ずしも全てわたしの主張というわけではないことに留意されたい。それでは、本論に入っていくことにする。
ヒュームを問題にしなかったカント、引き受けるショーペンハウアー、そしてユング
「すみません、カントの話でしたが、そのことでヒュームの問題について伺いたいのですが……」
「カントはヒュームを問題にしなかった」
これは、大学二年生の時分の演習で、わたしが恩師である河本英夫と、出会った当初に交わした会話である。わたしは、既にこの頃から「相関主義」と「思弁的実在論」、およびそれ以上に「ヒュームの問題」について深く関心を持っていた。しかし、本稿執筆中時点まででそれに何かしら手がかりを与えられたということもない。だから、まだわたしは問いが解決しておらず、ずっと伏在的に問いを持ち続けていたのである。
ヒュームは、明らかにその後多くのドイツの哲学者を、また心理学者を、さらにゲーテをも問題に巻き込んだ「個体化の原理」の問題を問題にしている。それが、人間の自然、すなわち人間本性(human nature)からの経験論によって自然法則の普遍性を懐疑するしかたの懐疑論から生じた、と言えば妥当だろう。
すなわち、事の次第としては、こうである。ヒュームは、まず、学問においては本丸を落とせば、その後それぞれの砦や櫓は落とせる、と素朴に考え、根本的な問題に解決を与えようとした。そこで行われたことは、当時ニュートン力学において世を席巻していた自然法則の「必然性」に関する懐疑である。わたしたちがその因果性を普遍的だと信じていても、例えば、明日になれば今日まで落下していた球は上昇を開始するかもしれない、といった具合である。これが、重要な「自然の斉一性」に関する懐疑である。ヒュームは、しかし人間は、火を見れば熱いから触らないことを知っているというような身近なところから、因果律は、火を見る→近づくと熱い、この繰り返しによって、すなわち「習慣」によって因果律が形成されると考えた。だから、先ほどのような懐疑になる。習慣によって形成された信念は、いつ別様になってもおかしくない。斉一性を、普遍性を保証する「根拠」はない……。だから、ヒュームは、こんにちでも不安症などにも関わる「学習心理学」においてかたちを変えて採用されている「連合説」の先駆だとされる。連合説とは、ある与えられた観念(例:火)とある与えられた観念(例:熱さ)が結びつくことによって、習慣として、すなわち「ハビトゥス」(無意識的形成体)として、連合によって「信念(belief)」が形成されるとした。
ここでお気づきになると思うことがいくつかあると思うが、ヒュームにおいて、或いはイギリス経験論においては、「観念(idea)」という語の持つ役割が過剰に大きい。不当に大きすぎるのである。そして、ヒュームは明らかにそのあまりにも大きな「観念」の学説によって、「個体化の原理」を語っている。わたしたちは、習慣によって形成される観念連合によって、個体化し続けている、と。実際のところ、これはいつ訂正されてもおかしくないし、日常の経験の進み方について考えてみるといいが、わたしたちはいつも形成された信念を解体-再構築するしかたで学習を進めている。なにもとりたてて騒ぎ立てることではない。
さて一方で、カントは、こう言ってよければ古典的自然学者カントのスタティックな哲学は、まずわたしたちに「認識の可能性の条件」として「超越論的主体性」を認めるところから始める。わたしたちは、普遍妥当的な認識の可能性の条件をア・プリオリ(経験に先立って)に持つ主体として登場するのである。だから、カントの語りはいつも「わたしたちは」である。これが典型的な「古典期」における理性的存在者=人間の議論の典型である。
しかし、『判断力批判』の第一序文などを読むとわかるのだが、カントは、確かに認識においては現象/物それ自体の対比において、現象のみを認識可能な事柄とするが、倫理において、カントはそこを「自由の領域」として、思考可能(可想的)なものとして、「汝の意志の格率(maxim)が、つねに同時に普遍的立法の原理に妥当するように行為せよ」と説く。すなわち、認識可能性はないが、思考可能性はあるものとしての、「叡智界」としての「法」の領域を説くのである。
こうなってしまえばカントはつねに「普遍的かつ理念的に理性的な主体」を語っているにすぎず、個別的に圧倒的な差異を有する個体を語れないのである。わたしたちは、いかなるまどろみに惑わされずに虚心坦懐に見つめれば、まずもって身体の差異を有する存在者として各人の生活世界を生きている。しかし、古典期の著者は概して「普遍的な人一般」を語り、ポスト構造主義で行われたような「差異」を語らない。しかも、課題は専ら「認識」と「観念」の問題である。
若くしてカント哲学を専門的に学んだショーペンハウアーは、27歳で『意志と表象としての世界』を世に出した。そこでは、「世界はわが表象である」というテーゼが有名であるが、それは本著の本質的な部分ではない。むしろ、肝心なのは、意志である。
意志とは、「生きようとする意志」と言うように、ドイツ語ではWille(すなわちwill)なので、「○○したい」という、「欲求」を意味している。
ショーペンハウアーは、根源的に意志は一つであるとする。すなわち、カント的な認識のフィルターを喝破すれば、その彼方の物それ自体は意志であるとする議論である。彼がインド哲学に影響を受けていることを勘案されたい。そのうえで、彼は、意志が表象化作用としての「個体化の原理」に基づいて表象的に構成されることで、あくまでもわが表象としての世界においては、個体の分別が生起すると説く。そうした一連の意志の認識による救済への回心が起こるのは、ショーペンハウアー自身が言うには「恩寵」である。実際に『意志と表象としての世界』にそう書いてあるのである。彼はキリスト教と矛盾しないことを弁証するが、しかし彼のキリスト教理解はグノーシス主義に偏り過ぎている。実際に引用元がそうなのである。
そこで、ショーペンハウアーにおける「個体化の原理」は、ヒュームの各個別々に連合される「幻想=信念」ではなく、あくまでもカントの相関主義に従った普遍的な認識のフィルターによる「個体化」ということになり、一様に同じものをみていて、一つの意志であるような世界観が開かれる。すなわち、いかにショーペンハウアーが意志や身体の領域を語ってみせたところで、カントの拘束力が強すぎるために、個体化において肝心な所与の身体の差異が語れないのである。
こうした古典期的な一種の幻想から、逆説的にそれでは説明がつかないものとして「天才」論が登場する。天才は、例外者である。
しかし、わたしのみるところ「天才」と言えど、いわば「天才型」の人間は世に少なからずいるようであり、なにもとりたてるほど珍しいことではないのである。だから、カント的な超越論的主体の語りでは、事態をうまく捉えられていないという可能性が非常に高いのである。ショーペンハウアーも例外ではない。しかし、カントの語りは確かに近代国民国家の時代において、きわめて適合的な理論体系であったことは疑いようがない。ここに、近代公教育の一様な教育方法が展開する理論的基礎が生じたと考えてはどうだろうか。実際、学校教育や教科書を思い起こしてもらうとわかるが、あれは基本的に、普遍的なものへの志向性を過度に高める仕様になっていることがわかるだろう。普遍的な語りは、事実判断の問題としてつねに真偽において裁かれる。そうして、それを内面化した各個人は、それぞれが他者を裁く語りを展開するようになるのである。
さて、ショーペンハウアーの「意志」は、十九世紀の後半に至ってエドヴァルト・フォン・ハルトマンによってシェリングとヘーゲルの哲学を交えて継承的発展をされ、それがいわゆる「エスの系譜」としてフロイト、そしてユングに流れ込むことになる。
ユングというこの独特で異様な人物は、若い盛りに哲学癖が治らずカントやショーペンハウアーを読んでいた。そうしてユングは、ショーペンハウアーの「意志」、すなわち意志において生命は本質的に一つに繋がっているという思想を、「集合的無意識」の思想に結実させる。これが有名な「元型論」のあらましである。
元型には、ユング自身とその母親との独特な気質からきたらしい「NO.1」「NO.2」「シャドウ」という概念や、まさしく「グレート・マザー」というものなどがある。しかも、これが実在的にあらゆる個体の、個人的無意識のさらに下層で活動しているのだという。そうして、わたしたちは知らず知らずにその影響を受けている……。
荒唐無稽だが、確かに傍らを通り過ぎて無視してよいような学説とは思えず、ユング心理学には、なにかその実在を実感させるような「体験」がしるしとしてあらわれるのである。案外、いっけんスピリチュアルに思えて、馬鹿にできない体験知があるのである。
ユングも、ショーペンハウアー同様、「東洋」なるものに多大な関心を払った思想家であった。ショーペンハウアーが著名な母親のロマン主義者であるヨハンナと格闘したように、ユングもまた霊能的かつコスモロジカルな母親の影と格闘した人生だった。彼は、母親の死に際に異様な夢を見たと報告している。
さて、ユングの話をするのも、なにもわたしたちにわだかまる頗る実存的な母親の問題をまたもやしたいという相談ではなく、あくまでも彼が「個体化の原理」を語るからである。というよりも、一般に「個体化の原理」と言った場合、真っ先にヒットするのがユングの学説である。
ユングの「個体化の原理」は、先の元型論や、昨今MBTIに変質して話題の、彼の「タイプ論」に依拠した、平たく言うと「自己実現」の理論である。すなわち、こうである。個体は、本性的に何ものかである。そうして、男性において「アニマ」に求めるものは、肉体からロマンティックへ、ロマンティックから霊性へ、霊性から叡智へ、という階梯を経て自己展開する。そのようなある意味でプラトニックな「自己展開」の論理の一環として、ユングは人の個体においても、まさに彼が大きく影響を受けたゲーテが植物の変態(metamorphose)を参考にしたように、恐らく植物のアナロジーで、自己展開として人は本性何ものかであるところの者へと「生成変化」していくとする。すなわち、ユングにおける生成変化は、ドゥルーズが関係の論理として語るそれではなく、あくまでも端的な個体における、恐らくしかも頗る内向的に偏った、自体的な生成変化なのである。生成変化を妨げてはいけない。なお、ユングを過小評価し、その芸術論のつまらなさを「症候」として論う浅田彰(『構造と力』)とは異なり、ドゥルーズはユングを良く評価していた。恐らく、たんに反父権闘争(—日本では河合隼雄によってユング心理学が顛倒され、かえって父権的なるものの強調が言われるのであるが―)という妥結点のみならず、「セルフエンジョイメント」を主唱したドゥルーズの、ユングの気質と生き方に対する個人的なシンパシーもあったと推測される。
ユングは母性を重視するしかたでのグノーシス主義に傾倒して『心理学と錬金術』などの労作を書いており、その点でも、キリスト教の本質をグノーシス主義にみたショーペンハウアーと一致する。また、ショーペンハウアーも孤独をすすめた哲学者であった。
「芥川龍之介ももしユングが読めていれば……」
というのは、わたしとのXのスペースでの対話で、X上で繋がっている「白桃母」さんという方がさりげなく述べたことである。然り、芥川はショーペンハウアー(ショオペンハウエル)にも傾倒していた。
というところにも事情があり、先述のハルトマンとショーペンハウアーが日本哲学に果たした役割が思いがけず大きいのである。明治期の日本の哲学者で、はじめて哲学教授となった井上哲次郎がドイツに留学した際、彼はハルトマンの哲学を学んだ。また、ハルトマンにも直接会っており、そのさいにハルトマン招聘を乞うたが、ハルトマンが足を悪くして行けないというので、代わりにかのケーベルが来たというしだいなのである。だから、明治大正期の日本哲学界および文学界では、ハルトマンとショーペンハウアーが一世を風靡していた。そのことは、中央公論社の世界の名著シリーズにおける『意志と表象としての世界』での、先ごろ亡くなった西尾幹二の信頼度の高い解説にも裏付けられている。森鴎外や芥川龍之介は、日本においてショーペンハウアー哲学を厭世主義(ペシミズム)、反出生主義(cf.『河童』)と「誤解」させる役割を主導した。芥川は、ショーペンハウアー哲学を「曲解」したとされるマインレンデルという哲学者の『救済の哲学』という自殺礼賛の書を、『侏儒の言葉』などでも言及しており、さも憂愁の大哲学者の如くに扱っている、とのことである(西尾)。
さて、ともあれわたしは、ショーペンハウアーやハルトマン、ニーチェや芥川、フロイトやユングといったなにやら分類の難しい者たちをただちに推断することを避け、あくまで思考の手がかりを投げておくにとどめる。すなわち、彼らが誠実にカントのコペルニクス的転回を受けて、それに基づいて思索して著作していたのか、という疑問を、あくまでも宙吊りにしておくということである。実際、現代において彼ら全員はそこまで大真面目に取り扱われる人物ではないし、ニーチェやフロイトはまだしも学界的に芥川やユングなどはさらに全くまともに取り合われないのだが、少なくともわたしの知る限りでも一定の熱心な読者がおり、影響力のある思索の痕跡を残してしまっているという文化的影響力が少なからずあるのであるから、多少なりとも手がかりを投げておくに越したことはないと考えた次第である。
内在的に他者へと生成変化すること、心理主義の後で、リミットとしての神経主義
ここからは再び千葉雅也の『動きすぎてはいけない』に目を転じて、ドゥルーズの生成変化論に向かおう。そうすることで、相関主義の、ユングとは異なるリミットが見出せるのである。
しかし、これは「非意味的切断の原理」に則っている関係であり、老荘思想の「万物斉同」ではない。
中島隆博の論じるところによると、注目すべきは、「荘周と蝶とは必ず区別があるはずである」という箇所である。すなわち、よく巷で言われるような、「荘周と蝶の区別はなく、どちらでもよいじゃないか」という話にはなっていない。その、明瞭に区別のある、どちらでもあるような生成変化の只中で、「自ら楽しむ」のである。すなわち、セルフエンジョイメントである。
・生成変化の第一テーゼ……生成変化は「模倣」でも「同一化」でもない。
・生成変化の第二テーゼ……なろうとする何かは、生成変化において、別の何かxになる。
すなわち、ここで言う小文字のxになる、とは、「未規定的なもの」への生成変化であり、それをドゥルーズ&ガタリは、「知覚しえぬもの」と呼ぶ。
これに示唆を与える議論が、述語とは「出来事」であるという規定であり、かつ、生成変化とは諸関係=述語の束における変化であり、それは出来事の束の生成変化だという議論である。
そこで、ドゥルーズ&ガタリは、「モル状/分子状」という区別を立てる。
例えば、「モル状の犬」とは、粗雑な犬、すなわち犬のステレオタイプである。しかし、「分子状の犬」においては、「吠える」という述語=出来事ではなく、「吠えもする」ということになり、これが「分子状」ということである。
すなわち、こうであろう。荘周と蝶は截然と区別されており、荘周にとって蝶は<他者>であるが、未規定的な、しかし述語の束である荘周は、また別の未規定的な述語の束である或る蝶に生成変化する。
これは、こんにちのインターネット空間でよくみられる錯誤に見出せる。すなわち、ある男が「自分は女性的だ」と言っているとき、たいてい月並みに男性的か、やや女性的に偏っている程度に過ぎないのだが、そうした場合の自認の形成過程を見ると、女性的な述語を自己の述語の束から拾い集めて、自分が女性的であると言っているのである。
なお、注意しておくと、そんなにプリミティヴに「男性性/女性性」は規定できない。当然そのように「人間的/猿的」というのも規定できないだろうと思う。それほどまでには述語の束は「プロテウス」しうるのである。経験をプロテウスすること、生成変化し続けること=個体化し続けること。これが、「経験の弾力性」である。
ドゥルーズは、関係の束の議論に関して、カントの超越論的哲学におけるような、認識のスクリーンに映じる現象と、その関係を同一に置くようなしかたを行わず、経験論者として、現象=表象と、その諸関係を明確に分けようとする。
ドゥルーズ=ヒュームは、カントのように、主観の側の事情から出発しない。むしろ、物それ自体の所与の現前から考えることを始めるしかたをとる。ヒュームにとって、精神は函ではない。むしろ、観念の諸関係が精神なのである。ドゥルーズ=ヒュームは、閉じた精神を考えない。リゾームは開かれているのである。
わたしたちの頭の中に箱があるかと言われると、確かにおかしい。実際は、神経細胞同士が樹状突起と軸索を伸ばして、シナプス間隙をあけて複雑に絡み合っているのである。
千葉=ドゥルーズの言い分としては、そこから、観念同士の非意味的な接続が起き、非意味的な断片から意味的な連合が起きるとする。これが「観念連合」である。ドゥルーズは、ヒュームに一種の「システム論」を認める。
すなわち、非意味的な断片が連合して意味づけをなされるということは、空想や幻想の自由さをもたらすのである。本書ではドゥルーズにならって「サイエンス・フィクション」と言われているが、実際には「コラージュ」として、と言い換えても可能であろう。インターネットにおいてよくみられてきたコラージュ動画の名称は、まさに「MAD」である。MAD動画が本来の「元ネタ」から遊離して、複製を繰り返すなかでまさにスズメバチとランが飛び交うように共進化する事態、これがまさにわたしたちが見てきた複製と離接的総合の実例ではなかったか。信念の強化としてのコピー&ペースト、空想の自由としてのMAD。しかし、実例を細かくみると、信念を解体するようなコピー&ペーストもあれば、信念を再強化するしかたでのMADもあったはずである。まさに個人単位で組織化するしかたでのリンクを辿る「陰謀論」がどうでもありえたように。
ドゥルーズの『意味の論理学』についてラカン派的精神病理学者の松本卓也が論じているところによれば、有名なアントナン・アルトーの「垂直」の深みに対して、チャールズ・ドジソン(ペンネーム:ルイス・キャロル)はひたすら「水平」の、すなわち「横滑り」の物語を紡ぐのである。
これについてわたしが持っている物語で言えば、阿部和重の『ニッポニア・ニッポン』がある。これは、2000年代初頭に芥川賞候補になった作品で、ニッポニアニッポン、すなわちトキをめぐって、自閉的な引きこもりの少年がインターネットでリンクを辿って妄想を膨らませ、すなわちれいのごまんとみてきたような「陰謀論的組織化」が実行され、佐渡のトキを密殺するか解放するかのどちらかをやるしかない、と考え出すところから物語は始まる。
このように、この作品に関しても、「リンクを辿る」ような快感という、水平移動のモチーフが多用され、主人公が実際の行動の水平移動をするにしても、「上野のパンダ」を視察に行ったり、「上越新幹線」で新潟に移動したりと、意味ありげなリンクを辿るような構成になっている。わたしが注視するのは、この物語の中で、「祖父」からの電話だと主人公が直感するシーンである。ここに、陰謀論的世界観に垂直性が接続している。わたしたちはそうした陰謀論をさんざん見てきたが、ありふれたことである。
ところでこれは、その場にいながらにして動き続ける、という、『千のプラトー』のモチーフそのものではないだろうか。しかし、ルイス・キャロルはやり手であったが、鴇谷春夫はあまりにも信念の強化に偏り過ぎていて、たんなるどこにでもいる個人経営の陰謀論者である。ルイス・キャロルは、『不思議の国のアリス』にみられるように、常に対象が別のものになる(生成変化)ことを描く。すなわち、「別様の可能性を開く」という作業を怠らない。松本によれば、ルイス・キャロルは「分裂症」ではなく「自閉症」の可能性が高い。すなわち、「分裂的」であるのではなく「自閉的」であること。
キルケゴールの論じるところのソクラテスは、常に「エイロネイア=アイロニー」をもって、相手が攻め込んできたら転進して無限後退する、というような人物であった。ここには縦の移動が顕著にみられる。しかし、横移動は千葉やドゥルーズの言葉で言えば「ユーモア」である。別様の可能性に開かれること。
以前、解剖学者の養老孟司の『唯脳論』が売れたことがあったのだが、ドゥルーズも彼と同様に「神経」を語る。ポストモダンにおいて、時代は「心理主義」ではなく「神経主義」に転じるのである。そして、その、絶えず新たな回路に再組織化する運動が、いかにもインターネットに適合的なのである。しかし、わたしの論じる、またわたしの住まう「インターネット空間」はあまりにも閉じており、再組織化よりも、むしろ絶えざる信念の強化が起こる空間性を帯びている。
スラヴォイ・ジジェクは、『身体なき器官』において、関係の外在性、すなわち、理由なし=偶然性の連合、理由なし=偶然性の切断を、ヒッチコックの映画を喩えに「恩寵」だとする。
なお蓮見重彦も、ドゥルーズへの追悼文として「ジル・ドゥルーズと「恩寵」」を書いている。
だから、ニーチェもフロイトも穴を埋めてくれないと嘆く者が期待していた「ヒッチコックみたいなサスペンス」(ヨルシカ「ヒッチコック」)とは、恩寵の待望だったのではなかっただろうか。しかし、物質的な安定剤だけに頼っているかぎり「恩寵」がやって来るものだろうか。或いは、「あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない」(マタイ23:8)という感度で、「誰が先生か」というのはとても大切なことである。例えば、ニーチェもフロイトも共同精神としての神の死後における、執拗に神の問題にこだわる無神論者であった。ここに、彼らが少なくとも「垂直」の問題にかたくなにこだわっていたことがわかる。「父」の問題に(フロイト)、また、「母」の問題に(ニーチェ)。むろん先述したショーペンハウアーであれ芥川であれユングであれ後者であろう。だからそこには必ず「垂直」的な問題が顔を覗かせる。村上春樹が河合隼雄の影響で、心の「地下二階」を語るように。
だから、ドゥルーズの戦略は、彼の「形而上学」「存在論」の中心をなすテーゼは、「内在平面」である。それが、彼の神経主義であり、リゾームである。すなわち、わたしとしては、ドゥルーズは相関主義の問題をあっさり放棄している、というよりも、問題にしない戦略を敢えてとっているように思う。ちょうど、サルトルにおける無神論が、神に執拗にこだわるのではなく、「いたって、いなくたって、関係ないね!」という感度で言い切ったように、である。しかもさらにわたしの考える「内在平面」としては、有神論的内在平面は可能ではないかと考えられる。というのは、ドゥルーズはどこまでも中世のスコラ学を学んでおり、また「形而上学者」として哲学を行っていたのである。そのテーゼが「内在平面」であり、実践形態が「リゾーム」の生成変化の運動なのである。すなわち、穴を埋めつつユーモラスであることは同時に可能であるらしい。
おわりに
今回はこのようなまとめかたになったが、要するに、相関主義のリミットとしての心理主義と神経主義についてである。「実在」を問題にしないということ。「実在とはなんであるか」を問わないアプローチもあるということである。
しかし、もしわたしたちが生ける自然との再会を望むならば、また別様のアプローチが必要になってくる。そこで近代における有機的自然についての考察は、ゲーテやシェリングに負うところ甚だ大であり、こんにち再び高まる汎神論への関心や、さらには「自然哲学」の若干の流行のきざしもそのことと関係しているはずであるとみている。
わたしは、今後の展開に関して、フッサールがライフワークにした「学の基礎づけ」の課題と心理主義への対抗、そして、レヴィナスの他者論、そして、より重大な関心事で言えば、ゲーテとシェリングがいかにして生ける有機的自然を語ったのかに着目している。哲学は狭く、この二百年、たいていの課題は共有されいているのである。だから、あくまでもこの課題にこだわること、必ずしも性急な解決を与えないこと、肝心なのは経験の変容であり、勝手に解決を与えたと思ったら、たんなる認識の問題にものごとを回収して分かった気になって安定化してしまうのである。
そうした思いから、わたしはさらに考究を継続する。
2024年12月28日