見えない氣、オーラ💫ネパール&インドにて《魂の在り処を求める旅・ワタシの成り立ち》②(全5話)
成田からタイを経由してネパールに降り立つ。
カトマンズ、ポカラ。ネパールの首都とヒマラヤの麓の湖畔の町ポカラ。この2つの街で一ヶ月、ほぼぼーっと過ごした。
宿の人がくれる日本では吸えないものを吸ったり(このような文化はブッシュ君が教えてくれていた)、チベットから逃げてきた難民の民族道具を眺めたり。モモやチョウメン、チャパティ、ダルバートといったネパール料理を日々食す。日本で吸えないものを吸った状態だと食欲の抑えがなくなる。効いている時はガブガブ食べた。お店の人はそんな様子をニヤニヤと眺めていた。その状態で星空を眺めれば夜空とともに星ぼしがグワッーと迫ってくる。昼間はポカラの和やかな空気の中に溶け込んでいった。
ぼくは旅の友に携えた聖なる予言を読み進める。今は内容を殆ど覚えていないが、ぼくは人の周りに見えるオーラを一生懸命見ようとするエクササイズに励んでいた。
今思うと気功と同じ概念だが、両掌をゆっくり近づけたり話したりしながら気を練ったり、人の輪郭の周囲に白いオーラが見えるようになるというエクササイズだった。
当時のぼくは真剣である。聖なる予言の内容、これこそ救いだと思っていた。そしてぼくは夢中になりやすい性格なのだ(今ヌーソロジーに夢中になっている自分となんら変わってないのである)。
旅はポカラを出て仏陀生誕の地、ルンビニを見学しインドに入る。インドではバラナシに滞在した。
その頃にはインド人の周囲に白いオーラのようなものが見えるようになっていた。時折、額のところから黄色いオーラがバビョーンと漫画のセリフの吹き出しみたいに飛び出しているようなのを見たときもあった。
インドは残念ながら肌に合わなく(腸に合わなく)インドに行けば何かを悟れるのでは何か力を得られるのでは等と大きな期待をしていったが、自分の不安定な状態にノイローゼ気味になり2週間宿の部屋に殆ど引き籠もっていた。ヨガ体験とインド楽器の演奏、マザー・テレサのハウスのボランティア体験には行ったが、すぐ撤退を決断。今思うとこの頃の自分は相当甘ちゃんだったし、インドという混沌の地で何かを得られるような胆力の欠片もなかった。行けば自分が変わるという考えがダメダメだ。ただ、以前の記事でも書いたがこの旅でヴィパッサナー瞑想という瞑想法のことを知る。これは唯一にして最大級の収穫だった。
この後、ぼくは日本に帰りインドの貧しい側の人々の生活を見たからか無給の有機農業研修生でやっていく決心を得る。
そこから農家として独立することは出来なかったが畑という場で生命の循環を見て(この頃読んだ風の谷のナウシカの影響も大きかった。)社会不信で不安定なノイローゼ気味になっていた心の状態も安定することになった。アミニズム的考えに傾倒していくのもこの頃だ。
その後、2年半の研修生生活を終えてナチュラル・ハーモニーという自然食ショピングモールのレストラン&カフェでバイトをすることになるのだが、その間もブッシュ君があちこち連れて行ってくれた。藤沢の自然食ほうとうへっころ谷。東京西荻窪のホビット村。富士山頂登山。グレイトフル・デッドのコピーバンドやヒッピー界の姉御桑名晴子のライブ、ボブディラン日本武道館。ブッシュ君以外にも多くの人から影響を受けた。
縄文の土笛を作っていた織茂さんご夫妻。そのご夫婦の仲間たちと夏至冬至春分秋分に近くの富士塚(富士山信仰をしてた人々が昔作ったもの)に登り日の出が出るまで笛や太鼓で音を出し踊りご来光を拝んだ(完全に怪しい集団😆💦)
へっころ谷のけんご君。自然食のこと魂のこと収穫祭を一緒にやりながら朝まで語り合った。
その頃、ぼくはネパールの地で聞いたヴィパッサナー瞑想の合宿をするために京都へと赴いたのだった。
③に続く
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聖なる予言、こちらの記事で内容を思い出しました。エネルギーのところ、エネルギーの奪い合いというのはほんと参考にして生きてきました🌟
とても詳しく書いてくれてます。9つの予言!そうだったあ。(葉っぱさん、勝手に載せさせていただきました。ありがとうございます✨)
ホビット村
ここの三階の書店はスピリチュアル、インディアン、自然、自然食、有機農業、自然農法、シュタイナー等の本が揃っていてよく通っていた。
以前紹介した屋久島の詩人山尾三省らが開いた店である。
へっころ谷
アルミ缶月見堂
ナチュラル・ハーモニー
有機農業研修生時代について書いた過去記事です。
ご一読ありがとうございました♪
[日本では吸えないもの]は20代で卒業してるのでご安心を😆今は何!?グミ!?グミが流行ってるの!?😂
まあ自分は取り締まるようなものではないと思うけどいろんな事情があるんですね😎
知らんけど〜😆💦
以上です!
(続きます!)
ナマステ✨
①はこちら💫
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