ときどき考えること ⑰
現代っ子の学び方の不可思議さの説明を友人にするとき、私は
彼らの多くが物事を理解しようとするとき
新しい情報や知識を
自分の枠に無理やり押し込む傾向があって、無理やり押し込むから私たちが思っているものと違う形になったり、ものになったりすることが多くー
アウトプットされたときに、驚く
と、説明をする。
すると、聞いた相手の頭の上に、吹き出しにいくつか?が並ぶのが見える気がする。 笑
一方、私にとって、自分が新しいことを理解しようとすることは
その知識や情報を、自分の枠の外側に一度、とりあえずおいてみる。そして、吟味して少しずつ自分の枠を広げて、取り入れる。気がついたら、自分の理解の幅が広がっていく
そんな風なプロセスだと思っている。
衆議院議員総選挙を前に、高校生と話をしているときー
国債の話になった。
給付金も減税も財源や未来のこの国への展望がともにないなら、借金をして、そのつけは誰が払うの?君たちだよ。
というと
ー国債を発行するので、借金ではないと高校生が言い出したー
今回は、私の頭の上に?が並ぶー
ー経済の活性化などの目的を持って発行するから
と続いた。
目的が多くの人のためであるなら、借金ではないというのだ。
ん?
ー私が銀行からお金を借りるとき、自分のためじゃなくてこの塾の運営のために使うという理由で借りるし、ローンなんかも、ある程度蓄えがあっても、それは何かあったときのために取っておいて借金をすることでしょう?
それでも借金でしょう?
借金は、自分の収入とは違うところからお金を調達して、返済していくもので、国債発行は国がお金を調達する方法っていうだけで・・・借金だよね?
と、伝えたけれど、納得をしてもらえなかった。
これは、特殊な例だけれど・・・
多かれ少なかれ、というか
大きい話でも小さい話でも、
こんなやり取りが、多くある。
私は、その度、最初に書いたような理解のパターンが思い浮べ、戸惑う。
選挙に行かないという主張でも同じようなことを思う。
もっともらしく、「投票に行っても変わらない」とか、「わからないから行かない」とか、堂々とテレビのインタビュアに向かって言う人たちを見ながら・・・
「それは、何度も行って、変わらなかったことを証明してから言うことだし、そもそも、わかる努力をしたうえでわからないって言っているのか?」と、私は毎回のようにテレビに向かってぼやくのだけれど
そんな主張も、多分、彼らの枠の中で考えるから言えるのだろうと思ってしまう。
だから、私は、できるだけ多くの時間をかけて、目の前にいる子どもたちとは話をしたいと思っている。
いつか、彼らの枠を広げるきっかけになることもあるかもしれないと信じて。