ときどき考えること ②
出会いに恵まれている
16年ほど前に寺子屋にやってきたある少年の授業は、最初の1,2か月、私にとって胸が痛むことの多いものだった。今までの彼の経験を聞いて、授業の後、涙が出ることもあった。
いろんな困難を乗り越えて、彼は私の前にいた。
でも、その彼はいつも
「僕は、出会いに恵まれてきたから。」
と言う。
本当は・・・
出会いに恵まれたから、幾度となくあった困難を乗りこえられたのではなく、彼自身が、その「出会いを大切にしてきたから」乗りこえられたのだと私は思っている。
そこにあるのは、健気さと謙虚さだ。
そして、本物の困難の中で、大切にするべき人と、警戒するべき人を見分ける能力を彼は持っていたのだと思う。
だから、必要なときに、必要最小限だったこともあるだろうけれど、必要な手が差し伸べられたのだと思う。
攻撃は最大の防御なり?
大切にするべき人と、警戒すべき人を見分ける、人を見る目ー
最近、子どもたちを見ていると「持っていないな」と思うことが多い。
そして、誰彼構わず、相手にいわれなき口撃を加えたり、他の人やものに責任転嫁をする子どもたちや自分に甘いのに人に厳しい生徒が増えていると感じる。
地元の国立大学卒のスタッフが、少し前に生徒に、
「ここの先生の中で、先生が一番あほなんやろ? だって、M大やろ?」
というようなことを言われたという。その報告に私は
ーはぃ~?
と、聞き直しながら、自分の青筋が立つのを感じた。
その上、「ここのアシスタントはみんな、K大ばっかやし」
とまで言ったという(M大の大学院生が1人いるけどな 笑)。
腸が煮えくり返る思いがした。
確かに、数学の主任をしているスタッフは、難関大学と言われる大学の大学院を出ていて、私も一応、難関大学と言われる日本の大学を卒業し、アメリカの大学院を出ている。主な講師のもう1人は関西の難関私立と言われる大学の1つを出ている。
が、私たちにとって、それはもはや過去の栄光だ。
大切なのは、今、仕事と生徒たちときちんと向き合っているかどうかだ。
私は、このM大卒のスタッフにはできたら寺子屋を引き継いで欲しいとまで思っている。彼女は寺子屋の創設時の生徒で、初代大学生アシスタントだった。私はこの25年足らずの間、ずっと彼女を見てきている。いろんな経験をし、2児の母になり、今、私以上に愛情をこめて真摯に生徒たちと向き合ってくれている。
そして、何かがある度、自分を振り返って反省のできる謙虚さを持っている人だ。
この発言が、彼女が一番接し、いつも彼女を慕っている生徒たちの発言だったということを考えると
愛情を確かめたかったのかもしれないし、
「攻撃は最大の防御」という普段の彼らの言動と同じ路線の発言なのかもしれない。
周囲の大人たちが言っていたことをそのまま言っただけかもしれない
そうだとしても、成人間近の高校生の発言だ。大人になる前に気づいてもらわないといけないことがあると、私は思っている。
私がそこにいたら、
自分が大学に入ってから、言え。
(多分、大学入試にきちんと向き合えば、そんなことは言えないはずだから。)
と、言っていただろう。
寺子屋のアシスタントもスタッフも、原則として寺子屋か父の塾の卒業生または元塾生だ。
だから、私は、信頼して仕事を任せている。
確かに、小さな失敗から大きな失態まで、しでかしてくれることが、歴代のアシスタントにも、私を含めスタッフにもある。
けれど、失敗は誰だってするものだ。
Teaching is learning. 教えることは学ぶことー
私も学ばせてもらっているし、一緒に子どもたちと成長したいと思ってくれる人なら、出身大学など大きな問題ではなく、大歓迎だ。
地元の大学についての私の考えは↓のリンクを読んでほしい。
キーワードは謙虚さ
私は、難関と言われる国立大学を出ている。この仕事をしていると、その大学の名は確かに私を助けてくれることは多い。
その私は、生徒に、
特に難関大学に行く生徒たちには、
大学の名前が使えるのは大学にいる間と次の段階に行くときの入り口だけ。
大学にいる間と就職や進学するときは、「〇〇大学生だから」と少しだけ楽に物事が進むこともあるけれど、それに見合った努力と結果を続けなければ、その後は「〇〇大学出てるのに」に代わり、足かせになることがある。
世の中、上には上がいる。
と伝えることにしている。
そして、最近は
人生の中で、たぶん、
謙虚さが
一番大切なものだと
ことあるごとに生徒たちに言う。
30歳を越えた頃には、どんな大学を出ているとか、出ていないとかはどうでもよいことになり、高校卒業後の人生をどう生きてきたかの方が大切になる。