俵万智著『かすみ草のおねえさん』を読んで ~その4(2004年6月25日著)~
20年以上前に読んで書いた、俵万智著『かすみ草のおねえさん』の読書感想文を「その1」~「その3」に分けて投稿してきたが、今回は最後の投稿となり、「その4」をお届けしたいです。
俵万智著『かすみ草のおねえさん』(文藝春秋、1994)の読書感想文/2004年6月25日
結局、『かすみ草のおねえさん』を最後まで読み終えないうちに返すことになった。また機会があれば図書館で借りようと思っている。
気になった箇所を引用する。
どのエッセイも味わい深く読んできたけれど、いちばんよかっとのは「かすみ草のおねえさん」かもしれない。かすみ草のおねえさんのように気がつかれないようにそっと誰かにhappyをプレゼントできたらどんなにか素敵であろうか。 (おわり)
50歳の今もココロに響くことばたち
『かすみ草のおねえさん』の読書感想文を書いてから20年以上が経つ。引用している箇所を読み直すと、「私らしいな」と思う。何より、タイトルにもなっている「かすみ草のおねえさん」のエッセイの感想にもあったように「気がつかれないようにそっと誰かにhappyをプレゼントできたら」という思いが私の根底には流れている。
また、俵万智さんが「心」「ココロ」をとても大事にされている方だとよくわかる。「『型』があるからころ、そこで『心』が生かせる」というのもいろいろなことに通じる。例えば、私自身がやってきた茶道にもやはり型があるが、その型はある意味合理的。そして、お点前をする中でどうお客様におもてなしをするかは、やはり心の問題。
俵さんは短歌の五七五七七という型のことを記しているがさまざまな文章にも型はある。その型にどう自身の心を生かすかというのは常に挑戦、といったところ。このnoteも自分なりの型をこれからつくっていき、その中で表現方法が淘汰されていくのであろう。
他者に何かを発信していくうえで大切なのはやはり「想像力」であろうし、感じる心。生まれてから現在に至るまで私が感じてきたことをこのnoteでは発信していく。アンのいうように「ココロが描き出す世界は、いつまでも色あせることがない」からこそ私は書いていきたいのだとも思う。
さらに、熊谷守一の言葉はつい一生懸命になってしまう私への問いかけでもあり、「たそがれ」の語源への言及からは日本語の深さを改めて感じる。1冊のエッセイ集から多くの気づきを20年以上前も、そして今も与えてもらった。そして思う。「考える」ことから生まれる「言葉」の前に「感じる」ことがあることを。
これからも感じる心に素直に生きていきたい。