介護とケア、「ただいるだけ」ということ
昨日は次女の妹が姪の学校の関係で仕事を早退したので、母の施設に姪と行ってくれた。3姉妹の長女の私が母と祖母の介護を主に担ってきた。その過程で「なんで私ばかりが」という思いも何度も味わった。ただ、今は変わった。アルツハイマー型認知症の母は、会うたびに「のりちゃんの姿勢がいいから」となぜか言ってくれる。
介護のある暮らし
昨日は「介護」について2021年2月23日に書いたエッセイを投稿した。
今日はそこから自分なりに洞察を深めて綴ったエッセイを届けたい。「介護」と「ケア」、もしくは「看護」、「サポート」など誰かの介助や世話をするなかで使う言葉がある。きっとその意味合いは、人により異なるのだろう。しかし、どの言葉の前にも、やはり心があるのだと思う。
2021年7月3日
エッセイ「ケアとはなにか」
認知機能が衰えつつある母と祖母とかかわるなかで「(私が使ってきた)介護」って上から目線だったと自覚してから数カ月。では、その態度を公正に表現できる言葉ってなんだろう、と考えてきた。その結果、現段階で一番ピッタリくる表現は「ケア」に至った。
ミッチ・アルボム著『モリー先生との火曜日』という本がある。その中で、著者のミッチはモリー先生の体をケアし、モリー先生はミッチの心をケアしていく。そこでは、「対話による相互関係」というのに焦点が当てられている。一つは、人は誰かに大切にされ、関心をもって傾聴されると、自分自身を大切にし、自分の心の声に耳を傾けるようになる。一方、自己に向かっていく人に傾聴し、自己洞察や自己理解に触れて、深く共感することを経験すると、自分自身も見せかけのものから離れて、自己に向かうようになる。
私自身、付き合っている彼との対話を通し、ここで述べている「対話による相互関係」が腑に落ちる経験をしている。
「対話」は、私が日常のなかで大切にしている営みの一つだ。母や祖母との対話、姪たちとの対話、妹や義弟との対話といった家族との対話、また、友人や知人、近隣の人との対話、時にその場限りの人との対話のなかで、大きな気づきを得たり、化学反応が起きたり、振り返りをしたり、ひとりでは決して生まれなかった何かに出合える。それは私の場合、人に限らず、自然や書物、物、事象でも同じだ。
例えば、ある日の夕食時、話題は戦争の話に。祖母は終戦時に15歳であった。農家で育った祖母はひもじい思いをせずにいたが、隣の家の我が家(祖母は実家から隣に嫁いだ)には東京から親戚のおばあさんと子どもが疎開に来ていた、という。姪(祖母にとってはひ孫)が林間学校に行くことを聞くと、戦争で楽しい行事もなかった、とのこと。時折話題に上る昔の話は、祖母が自分の過去に思いを馳せ、大変だった時代の苦労話自慢になることもあるが、91歳まで大病もせずに元気でいられることへの感謝も口にする。祖母の人生の半分を共に生きてきた私や母に自分を物語ることで整理しているのかもしれない。認知機能は衰えてきているものの、まだまだ語り継ぐ多くの知恵や経験を含む祖母のからだ。そのからだから発信されるものを聴く私。言葉以外の対話もそこにある。
一方、母とは一日に一度はお茶をしながら話す時間をつくるようにしている。幼い頃の私は、友だちのように何でも語り合える母子関係に憧れた。幼馴染はそんな親子関係で羨ましく見えた。幼い私が希求するような母親像と当時の母は大きく違ったことで、母に共感を求めることをいつしか諦め、気づけば反抗期が早くやってきたように思う。
親子だから分かり合えるというのは、やはり幻想なのだろう。親子だから分からないのかもしれない。しかし、母親というのは子どもの苦しみを我がことと感じる力が強いのだろうか。私が難病となった時、母の奔走と深い愛情に救われた。それでも、やはり理想の母親像と現実の母の乖離に私は苦しんできた。
母がアルツハイマー型認知症の進行により、様々な支障が生じる日常ではあるが、母子関係は今が一番良好かもしれない。一番の理由は私が母に過剰な期待をしなくなったことだ。また私自身が歳を重ね様々な経験をしたたことで内的な変化もあり、オープンになんでも話せるようになった。私の話の内容を理解できなくても聴いてくれる母。聴いてもらう、というその行為に私は安らぎを覚える。話の内容を共感し合うこと以上に、同じ時空間でただ言いたいことを言い合う関係。そんななかで出てくる話題に、時に笑い、涙し、互いの琴線に触れることも少なくない。
伊藤亜紗が『「利他」とは何か』の「第一章 『うつわ』的利他―ケアの現場からー」の中で「哲学者の鷲田清一は、患者の話をただ聞くだけで、解釈を行わない治療法を例にあげて、ケアというのは、『なんのために?』という問いが失効するところでなされるものだ、と主張しています。他者を意味の外につれだして、目的も必要もないところで、ただ相手を『享ける』ことがケアだというのです」と述べ、鷲田清一著『「聴く」ことの力』を引用していた。
この鷲田氏の本は二十代後半に読んでいて、ちょっと読み返してみると、「時間をあげる、あるいは無条件のプレゼンス」という部分があった。そこに広井良則著『ケアを問い直す』が引用されていた。
ここで、鷲田氏は、「つまり、『いる』というのはゼロではない。なにかをしてあげないとプラスにならないのではない」と続ける。『星の王子さま』にも『モモ』にも通じるところだとも思うのだが、私は母や祖母、そして姪たちの近くに「いる」ということを無意識下で大切にしているのかもしれない。
昨日も、朝早くから祖母の特定健診兼診察で一緒にクリニックへ行き、順番を待つ時間も無駄ではないと思っていたのかもしれない。近年、母と祖母の通院に付き添うことが増えたが、私が「いる」だけで母も祖母も安心するのかもしれない。また、姪二人も母親である妹がフルタイムで働いており、幼い頃から「のりちゃん、いて」とよく言っているが、こちらも何かしてほしいというより私がただいることで安心しているのかもしれない。「いる」ということがこんなにも尊いことだと改めて思い知り、思い浮かんだ、まど・みちおの「ぼくが ここに」という詩。
「いる」ということが守り、守られていることに気づくことで、ただそこにいるという行為の重さを知る。そのことを知ることで山のような問題も解決するのではないか。訪問介護事業主の彼は移動支援も行っている。移動支援は時間も長くなることが多いようだが、その時間のなかでなんらかの支援ももちろん大事だが、一緒に「いる」こと自体もケアになっているのではないだろうか。ケアサービスを行う上でも「ただいる」ことの重要性を日々の仕事のなかで彼は気づいているのだろう。
こんな風に考えていくと、ケアとはもしかしたら「ただいるだけ」という行為が核となるのかもしれない。そこから、対話が派生したり、介助や世話のような営みに移行したり。現代は兎角、効率化や合理化、簡素化といったものにどうしても意識が傾きがちだが、「ただいるだけ」といった、一見、無駄とも無意味ともとれる行為のなかに、ケアを探る糸口があうように思われる。
みつをのいう「あなた」になれなくても、ただいるだけで十分なのではないか。
2024年10月30日に思う「ただいるだけ」
今、母とも祖母とも物理的に一緒にいることは少ない。ただ、私の中に2人がいつもいるように、母や祖母のなかにも私がいるのではないかと思う。
母は、8月末、初めて私が誰だか分からなくなった。いつもと違うシチュエーションで会ったことが大きかったとは思うが、「とうとう来たか…」という感じだった。ただ、「私だよ~」と笑い話に変えられてよかった。その後はしっかり私を認識している。
祖母からは「冬物を持ってきてほしい」と連絡があり、祖母の言っている冬物を察知し、昨日の午前中に施設に持って行った。祖母は私に絶対的な信頼をしてくれており、その分注文多かったが、大分と減った。
小6の姪は、今、目の前で宿題をやっている。さっきまで中2の姪もいたが、自分の居場所に戻っていった。2人とも「のりちゃん、いて」と言うことはほぼなくなった。しっかりと成長している証。でも、2人の中には私がいるのではないかとも思う。
いつも近くにいることはできない。でも、「ここにいるよ」という思いで過ごし、何かあれば動く、というスタンスを今はとりたいと思う。
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