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世は大正、芝神明前、櫻乱れ、紅灯ともるころ 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】
ーー 神明という所はそのころ東京で唯一の江戸情緒をたたえた場所だった。神明大神宮をとり巻いてその一郭には待合や芸者屋が集まり、また一部には矢場と称する銘酒店街があった。 め組のけんかの書割に出て来る呉服屋だの、太太餅の店などがあった。 浅草ほど大規模ではないがそれだけに、いっそう濃厚な情緒をただよわせていた。
大正半ばの芝神明について、作家の村松梢風は、昭和31年に日本経済新聞に連載された『私の
昭和30年代少年の浜松町地政学 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】
野口富士夫『私のなかの東京』(昭和53年6月25日発行)は、あとがきに、「可能な限り詳細に東京の現状をさぐって、それに明治以後の文学作品と、私の記憶のなかにある過去の東京の姿を重ね合わせてみようとしたものである。」とあり、さらに「文学作品に深入りすることは極力避けて、現在の市街のありかたと回想に重心をおいた」とあるように、著者の回想に基づいた、東京の街への再訪記となっている。
著者は、明治44年
昭和30年代少年の浜松町幕末・大正風景 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】
アーネスト・サトウ。幕末の日本に滞在し、西郷隆盛や伊藤博文、勝海舟にも近しく接していた、英国の外交官。幕末の日本を異人の目で捉えた貴重な著書を残している。彼の著書のなかに、「芝神明」が登場する。
ーー神明前は、私たちが好んでよく行った盛り場のひとつで、安価な刀剣、磁器、着色の版画、絵草紙、小説などは、みなここで買うことができた。(『一外交官の見た明治維新』岩波文庫より)ーー
幕末のころの芝神明
浜松町の伝説「映画のミューズ」と「浪曲のスサノオ」 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】
中野翠さんという書き手、肩書で言うと、コラムニスト、エッセイストになるらしいが、この人の文章には、ご自分の美意識を肩ひじ張らずに生活のなかに取り入れてゆく様子があらわれていて、そういう姿勢への憧れもあり、常日頃より愛読させていただいている。多作な方で、全著作を読んでいるとは到底言えないけれど、例えば、小津安二郎の映画を観た後に、その余韻を楽しむには、小津について書かれた中野翠さんの文章を読むに勝る
もっとみる「小林亜郎」という漢の思い出 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】
1999年2月のとても寒い日だった。
大陸からきた大きな寒気が東京の上空にあり、そこからの冷気が夕暮れとともに下りてきて、背に冷たい荷物を徐々に背負わされてゆくような家路だった。
その夜には、ローリングストーンズの3度目の来日公演の後に行われたヨーロッパツアーのブレーメンでのコンサートがテレビで放映される予定だった。ストーンズフリークの末席を汚している自分としては、その情報が入ったときからワクワ
モダンな風は海岸都営アパートから 【東京は芝神明、浜松町あたりのものがたり】
山手線浜松町駅の東側には、旧芝離宮恩賜庭園があり、蓬莱山を模した中島をたたえる大きな池がある。かつては、江戸湾から潮の匂いを運んだ海風が、池の水面を揺らしていたこともあったが、今は、巨大なビル群からの大きな隙間風や人いきれで水面が揺らいでいるようだ。しかし、ビジネス街となってしまった浜松町の中で、江戸の昔と変わらぬ佇まいを今に残している空間で、地元の人間は、愛着を込めて「芝離宮」と呼んで親しんでい
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