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テニス上達メモ033.「嫌なこと」をやめれば、好循環に乗れる!



▶アドバイスどおりやっているのに、「なぜ?」


循環には、「好循環」と「悪循環」とがあります。

もちろんテニスの上達・調子も、できれば好循環の流れに乗りたいものです。

しかし若かりしころの私は、それこそ真逆の「悪循環」にハマってしまっていました

たとえば相手から飛んでくるボールに対して、振り遅れた。

その様子を見ていたテニスの諸先輩方は、水を得た魚のごとく、たたみ掛けてきます。

「振り遅れないように、テイクバックをコンパクトにするんだ!」

「テイクバックをコンパクトにするには、右ワキを閉めるんだ!」

「テイクバックをコンパクトにしたぶん 、力不足を補うためにはボディターンが有効だ!」

「ボディターンをするためには、左肩越しにボールを見るといいぞ!」

それらのアドバイスに従った結果、どうなったかといいますと、もうお察しのとおりです。

アドバイスに従う以前よりも、ますます振り遅れる「悪循環」にさいなまれました。

今思えば、それはそうです。

テイクバックや、右ワキや、ボディターンや、左肩までをわざわざ意識していては、「ますます遅れる」のは目に見えています。

▶「そのためには」は続くよ、どこまでも

 
「そのためには」
「そのためには」
「そのためには」
「そのためには」
「そのためには」

上手く打つ「そのためには」、さらに何を付け足せばいいというのでしょうか?

確かに、大手を含む出版社が発行するテニス雑誌(当時は隆盛を極め、日本に5誌も、しかも月刊だけでなく隔週刊もあった)にも、有名なプロやテニスコーチによるアドバイスが、ところ狭しとぎっしりと、巻頭技術特集として掲載されていました。

細かな連続写真を使った懇切丁寧な技術解説(いわゆる技術モノ)が、盛り沢山です。
 
それらに習っているつもりなのに、なぜか自分には上手くプレーできない……

こうなると、「自分には運動神経がないのではないか?」「テニスに向いていないのではないか?」などと疑心暗鬼になるから、ますます悪循環なのでした。

▶フォームを意識しなくなったら、イッパツだった


「なんだか、テニスに行くのが楽しくない……」

「ガツガツと嫌な当たりばかりで、ヒジや手首も痛いし……」

そんな日々が続き(時系列に多少の脚色があります)、もう開き直るしかありませんでした。

「もうフォームなんて、どうでも構わない!」

「ボールだけよく見て、ラケット面の真ん中で打てばそれでいい!」

そうすると、びっくりしました。

なんと一発目から、アドバイスされたテイクバックのサイズなど一切意識しなくても、振り遅れはピタリとなくなりました。

右ワキを意識して閉めたりしないから、のびのびスイングでき、力不足にも悩まされなくなりました。

体をひねる余裕がないときには、無理やりボディターンもしないから、対応力がメキメキ向上。
 

▶意識しなくなると「ジャストミート」が止まらなくなった

 
そうなると、あんなに悩んでいたのに、ゲンキンなものです。
 
「あれ? 運動神経あった!」

「もしかして自分、テニスに向いてる?」

何も意識しなくても(←意識しないから)、ジャストミートが止まらなくなる快感

※ガツガツと嫌な当たりの「苦」がなくなった状態を「快」と錯覚するのが「一切皆苦」のメカニズムなのですけれども、真理の小難しい話は置いておくとして、苦しかった反動の「快」ですから喜びももう、当時はひとしおでした。

▶「これが好循環か」と自覚する時


そうしたら、さらに私はびっくりしました。

「打球タイミングさえ合っていれば、フォームなんてどうでも、ちゃんと打てる!」

「強打はきちんとコートに収まる!」
 
強く打ってバックアウトするのは、スピンがかかっていないからだと思い込んでいて、振り上げるフォームを意識していたのだけれど、そうではなくて、打球タイミングが合っていなかったのです

いまだに上記のような「思い込み」をしている人は、少なくないのではないでしょうか?

テニス雑誌でもさんざん「意識しろ」とは書かれているけれど、何も意識しないほうが、すこぶる絶好調!

ある「気づき」をきっかけに、新たな「気づき」が生まれ、新たな「気づき」が連鎖して、また新たな「気づき」が降ってくるというか、湧いてくるというか、やって来るというか。

もう、止まらなくなりました。

「これが好循環か」と、はっきり自覚できたあの時。
 

▶あれやこれやを、「やめる」

 
悪循環にのめり込んだのも早かったですけど、いったん好循環が起こると、スーッと流れに乗れてしまった印象です。
 
好循環に乗るためには、何かを「付け足す」のではなくて、むしろ「引く」ことが答えでした。

テイクバック、右ワキ、ボディターン、左肩越し……。

テニスコート上で付け足したすべてをやろうとするのは、複雑すぎます。

「この一球は絶対無二の一球」が次々と飛び交うさなかでは、やれることといえば限られていて、シンプルなほど、当然ですが上手くいきます。

ですから、あれやこれやを、「やめる」のです。

▶やることだらけだから、ボールは打点を通過する


「好循環に乗るためには、やることをなくせばよかったのか……」
 
そうすると、またまたびっくりしました。

繰り返しになりますが、すこぶる絶好調!
 
テニスで得た経験は、日常生活にも活かされました。
 
「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」(ロバート・フルガム著、池央耿訳、 河出文庫刊)という本があるけれど、私は「人生で必要な知恵はすべてテニスコートで学んだ」一人です。

「やることをなくす」とは、日々の日常でいえば「暇を作る」と言い換えられました。

「暇がない!」と言って忙しくするのではなくて、やることをなくして暇を作る。
 
あたかも「時間がない!」といってテイクバックをコンパクトにするのではなく、意識するのをやめる。

そうしないと取り返しのつかない貴重な人生の時間というのは、「やらなければならない(大抵は嫌な)こと」だらけで埋め尽くされ、アッという間に過ぎ去ってしまいます

「テイクバックが!」「右ワキが!」「ボディターンが!」「左肩越しに!」などと言っているうちに、ボールが打点を通過してしまうのと同じです(苦笑)。

「やらなければならない(大抵は)嫌なこと」が多すぎるから、ジャストのタイミングを逃してしまう。

だから、暇を作るのです

▶自分の都合を大切にできるのが「自己肯定感」

 
「そんな暇なんてできないよ!」という人であれば、私のようにGoogleカレンダーに「暇(何もしない)」という予定を、あらかじめ組み入れてみてはいかがでしょうか。

「暇の予定」がある日にちには、よそから仕事や用事を頼まれても、「予定がある」といって断れば、嘘にはなりません。
 
(必ずしもそうする必要はないけれど)他人の依頼ではなく、自分の都合や体調や気分を大切にできるのが「自己肯定感」です。

▶「別のやり方」を試す勇気


「暇ができたらやる」と言っているうちは、暇はなかなかできません。

少なくとも私の経験上、できたためしがありません。

つまり「本当にやりたいこと」は、「いつかやろう」と思いがちになるけれど、今生のうちにはできない定め。

今までのやり方で上手くいっていなかったのだとしたら、これからは、今までのやり方とは逆のやり方に変えればいいだけの話だったのです。
 
フォームを意識してテニスが上手くならなかったのなら、フォームを意識しないようにする。

当然ですよね。

これまでの仕事・勉強・人間関係のやり方で、上手くいっていなかった場合、これまでの仕事・勉強・人間関係のやり方を、「もっと頑張ろう」としがちです。

しかし、これまでの仕事・勉強・人間関係のやり方で上手くいっていなかったのだから、これまでの仕事・勉強・人間関係のやり方でもっと頑張れば、もっと上手くいかなくなるのです。

なので思い切って逆方向へ振り切って、やらなければならない(大抵は嫌な)ことをなくして暇を作る。

これが、好循環に乗るファーストステップなのでした。
 
「別のやり方」を試すには、勇気が要るかもしれません。
 
しかし、それでも上手く行かなかったらもとに戻せばいいだけだから、ノーリスクです。

▶嫌なことを「やめる」と、やりたいことが「できる」


あとはいったん循環が起こると、スーッと流れに乗れてしまうのは、先述したとおりです。

「やらなければならないこと」だらけで、取り返しのつかない貴重な人生の時間がアッという間に過ぎ去ってしまうと、「自分はしょせん、この程度の人間なのではないか?」「今さら幸せになんか、なれないんじゃないか?」などと、ますます悪循環になりかねません
 
この循環にも、はまり込んでしまうと早いというのは、かつてテニスでフォームを意識した私の例と同じです。
 
嫌なことをやりながら、やりたいことまでやろうとするのは、混ぜるな危険。
 
テイクバックやボディターンや左肩を意識するのが煩わしいと思いながら、ボールに集中したいという無理はとおりません。
 
ますます人生の貴重な時間が削られます。
 
やらなければならない(大抵は嫌な)ことをなくし、暇を作る。
 
少なくとも時間に限って言えば、嫌なことを「やめる」と、やりたいことが「できる」相関です

▶嫌なことをやめるのは立派な「善行」


嫌なことというのは、初期仏教でいう三毒のひとつ「怒り」ですから「嫌なことをやめるというのは=怒ることをやめる」という観点からも、立派な「善行」と言えるでしょう。

「やらなければならないこと」だらけの日常には、新たなチャンスが入り込む余地もありません。

ですから日常の「ほんの些細な嫌」も、見逃さないように。

そうすると「暇」という余裕、余力、余白、隙間、時間が生まれるところに、新たな気づきやエネルギー、アイデア、出会いが注ぎ込まれます。

もちろん、テイクバックや右ワキ、ボディターン、左肩越しなどを意識しなければ、インパクトの瞬間に「暇ができる」とまでは言わないまでも、少なくとも今よりは、ボールをよく見る「視覚的集中のための余力」や、「打球タイミングを感じる時間的余裕」は生まれます。

そのタイミングを、逃さないようにします

これをきっかけに多くの方が、「好循環」に乗れるよう、祈っています。


即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero