イップス克服に向けて005:イップス実話。この方はテニスを楽しむことが大事だとおっしゃっていた
回答
▶「楽しむことが大事」とは言うけれど……
動画の中の語り手さんもおっしゃっていますが、ある1ポイント(1ショット)をきっかけに、イップスになるという人は少なくありません。
やっぱり自由の効く「フォアハンド」です。
しかも決まって発症するのは時間があるときで、瞬時に反応する必要のある「ショートバウンド(ハーフボレー)イップス」、あるいは走らされたときにギリギリで切り返す「ランニングショットイップス」、比較的自由の効かない「バックハンドイップス」なんて、少なくとも私は聞いたためしがありません。
動画のなかで語られている「楽しむことが大事」、そのとおりですね!
とはいえ渦中にあっては、「ミスショットばかりなのにテニスを楽しめるはずがない!」「苦しい!」「もう嫌だ!」「ラケットがすっぽ抜けて相手コートまで飛んでいくなんてありえない!」「コントかよ!」というのが、一般的な思考反応ではないでしょうか?
▶「良いも悪いもへったくれもないよ」by塞翁さん
そこで私はよく、「人間万事塞翁が馬」のエピソードを引き合いに出します。
飼っている馬が逃げ出したから悪いというわけではなく、逃げ出した馬が仲間の馬を連れて帰ってきたから良いというわけでもなく、落馬して怪我をしたから悪いというわけではなく、怪我をして兵役を逃れたから良いというわけでもない……。
ラッキーと思える体験も、アンラッキーの引き金かもしれない。
アンラッキーと思える体験も、ラッキーの引き金かもしれない。
「万事」そうだと言い切るのですから、「良いも悪いもへったくれもない」と教え諭してくださる塞翁さんなのでした。
▶強引にでも「変わるチャンスのきっかけ」になる
「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」とも言われます。
本当にピンチに陥ったときには、強制的に今までの生き方を変えざるを得ず(大事故とか、リストラとか、イップスとか)、それが、強引にでも変わるチャンスのきっかけになる。
つまり、物事や出来事は良し悪しという価値感では測れない。
それが証拠にビデオのなかの語り手さんも、イップスを経験して、言い換えれば「イップスのおかげ」で、今の「楽しめる境地」に達したのではないでしょうか。
▶「淡々と」やり過ごせばいい
ですから、何があったとしても、落ち込む必要も、浮かれる必要もなくて、淡々とやり過ごせばいいのです。
たとえば打った瞬間にも自分で分かる、不甲斐ないミスショット。
そのとき「うわっ!」「しまった!」などと、うなだれない、天を仰がないようにと、私はお願いしています。
そうしないと、自分が打ったボールの回転を客観的に見続け、見届けられないからです。
「客観的に」というのは、良い・悪いなどの判断を一切せずに見る、という意味です。
▶ミスショットで「ビクッ!」とならないために
つい、打ち損じたら「ビクッ!」となりがちかもしれません。
一切、そうならないようにします。
「そんな反応しないプレーができるのか?」などと、いぶかられるかもしれません。
できます。
「人間万事塞翁が馬」だからです。
良し悪しの価値判断(主観)がなければ、できる、といいますか、そうなります。
赤の他人のミスショットを見て、いちいち「ビクッ!」となったりしないですからね。
何があったとしても、落ち込んだり浮かれたりせず、淡々と、飛んで行くボールの回転を客観的に見続け、見届ければ、フィードバック制御が機能し、やがて正確なボールコントロール力が自然に培われます。
▶テニスが上達するには「エアコンの仕組み」を利用する
たとえばエアコンの仕組み。
現在の温度を感知するセンサーの値と、目標とする値(設定温度)との差を比較して、コンプレッサーの動きが制御されます。
このフィードバック制御により、最適な室温のコントロールが叶います。
テニスでいえば、ボールがズレて飛んでいった方向の現状を目のセンサーが感知すると、目標とする飛ばしたいコースとの差を比較して、身体の動きが制御されます。
ですからまずは、この「目のセンサー」が正確に機能しなければ、コントロールのしようがありません。
うなだれたり、天を仰いだりすると、目のセンサーは正確に(客観的に)、現状を感知する機能を失います。
エアコンのセンサーが壊れているようなもの。
室温のコントロールが乱高下します。
▶コントロール力は機械的に身につける(意識的ではなく)
フィードバック制御の働きに委ねると、ボールコントロール力は、それこそコントロールしようと「意識」しなくても、自然と身につくようにできています。
右へ行きすぎたら左へ、高すぎたら低く制御。
これは本能的なコントロールです。
機械的なコントロールと、言い換えてもいいかもしれません。
「目というカメラセンサー」と、「身体というコンプレッサー」によるメカニカルな運転です。
▶だからコントロール力が身につかない
ところが「意識」で、ボールが狙いよりも右にズレたから、次はもっと左へ打てばちょうど真ん中へ行くとか、高すぎたから、今度はもっと低く狙えばちょうどいい高さになる、などの操作を、しがちではないでしょうか?
そうやって不自然な努力(力のかけ方)をすると、今度は左へ行きすぎたり、低くなりすぎたりして、方向性は余計にバラけてしまうのです。
これが、ボールをコントロールする力が一向に身につかない理由です。
▶「壁依存」にならないために
次に壁打ちにつきまして。
身体を動かす運動としてのエクササイズ目的、あるいはボールを見送る(客観的に見る)実験をする(『新・ボールの見方』)以外には、テニスゼロは「壁打ち」をお勧めしない立場です。
壁打ちをテニスと思って、壁打ちのつもりでオンコートに臨むと、ほとほと散々な目に遭うからです。
だけどイップスの人ほど、オンコートではまともにプレーできないから、壁などで自信を取り戻したくなる。
動画のなかの語り手さんが、イップスについて周囲の人に打ち明けられず、1人でもんもんと練習をしていたエピソードにも符合するかもしれません。
だけどまたオンコートで打ちひしがれ、何度も何度も壁に戻ってくる「壁依存」に陥りがちなのです。
▶テニスは「人間関係」だ
「背面打ち」や「高速ボレー連打」など、それこそ曲芸のようにいろいろできる「壁打ち名人」もいます。
だけど、残念ながらオンコートでは通用しません。
テニスというのは「人間関係」であり、相手とのやり取りを通じてゲームを組み立てるからです。
「壁打ち」をテニスと思って、取り組めば取り組むほど、オンコートでは「こんなはずじゃない……」という悲壮感が強まりかねません。
そしてビデオのなかの語り手さんが、こうおっしゃっています。
克服に向かう過程には、「キャプテンやチームメイトの支えがあった」と。
これも「人間関係」。
テニスの「本質」です。
▶イップスは「こんがらがった糸」
イップスというのはたとえていうと、「こんがらがり」です。
「メンタルが弱いのか」「フォームがマズいのか」「トラウマのせいなのか」などと、主観的に判断する考えをごちゃごちゃに絡ませてしまった成れの果てです。
すると、最初に糸を掛け違えている場合、余計に「こんがらがり」がひどくなる。
強引に引っ張ればより固く締まり、柔らかくほどこうとしても、糸口が全然見つかりません。
そしてイップスの人は「ラケットが軽すぎるのではないか?」とか「相手をカボチャと思えばいい!」などと、ますます考えを複雑化させてしまいます。
▶「考えていなさそう」なのに「楽しそうな人」
かたや隣のコートでは、「何も考えていなさそうな人」が、超楽しそうにテニスをプレーしているのです。
ですが、何も考えていない「から」、テニスが上手くいく。
脳というのは小賢しい器官で、上手くいかないときほど、考えてはいけないのに、いろいろ考えてしまうようにできています。
まさに「自分の敵は自分」です。
▶現実を「客観視」する練習
「こうに違いない」などと勝手に思い込む。
非日常時ほど認知が歪む正常性バイアス(恒常性バイアス)みたいなものかもしれません。
ですから治療においては、現実を客観視する「食禅」「歩行禅」に、継続的に取り組むのです。
これにより、主観の夢から醒めます。
物事や出来事に、良いも悪いもない。
「人間万事塞翁が馬」。
イップスの時ほど(今はとてもそうとは思えないかもしれないけれど)、チャンスです。
チャンスはピンチの顔をしてやってくるのでしたね。
イップスにでもならなければ、今までのやり方を強引にでも改める変化を起こせなかったから、苦しんできたのでした。
ビデオのなかの語り手さんも、イップスに罹患して得られた経験が、テニス人生の彩りとなっているようにお見受け致します。
▶イップスは「病気」として位置づけると克服できる
ちなみに「罹患」などというと、「プレーヤーを病人扱いするな!」といって、怒られることがあります。
しかし、病人だから、適切に治療すれば、ちゃんと治るのです。
病気として位置づけなかったら、手の施しようがないじゃないですか?
さて改めまして、SNSなどを使った動画の拡散を望んでいらっしゃる、動画のなかの語り手さん(マチュー先輩)。
イップスの渦中にあるプレーヤーにとって励みになる、貴重な実話です。
よろしければこの記事を読んでくださった方々にも、広めるご協力を賜りたくお願い申し上げます。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
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